第九話:知らなければよかった。でも私は知ってしまった。
ローストヴィルの地に、知り合いなどいない。
この屋敷で暮らすようになり、誰かが訪ねてくることもなかった。
「エル」
「大丈夫です、お嬢様」
エルは魔法を使い、革製の胴鎧と籠手、そして黒のスリムなズボンに脛当てを身に着ける。さらに腰に剣、背には矢筒、肩から弓を背負う。その上で私の部屋へと向かい、トランクを手に持った。もしもの時に備え、トランクはすぐに持ち出せるようにしていた。つまりトランクの中に必需品が既に詰め込まれていたのだ。
「表と裏口を同時ということは、ご近所の方が訪ねてきたわけではないわよね」
「残念ながらそうなります。こういった訪問は、屋敷の人間を捕らえることが目的かと」
まさかバレるとは思わなかった。
貴族にしては質素過ぎる屋敷に暮らし、狩猟と市場の買い物で細々と生きていたのだ。狩猟の申請では偽名を使っているし、身分を示すようなものも提示していない。さらに新聞で報じられた通り、首都アールを目指したと思われていたはずなのに、なぜバレたのかしら……?
エルとのスローライフにすっかり気持ちが緩んでいたの、私!?
いや、違う。
こんな場所を捜索するなんて、想定外……!
「お嬢様、落ち着いてください」
「エル……!」
「捕えることが目的ですが、まだ自分達の素性がバレているかどうかは不明です」
「それは……そうね。でも捕えられたらバレる可能性がある」
エルはコクリと頷く。
「エル。ここで滞在を始めてから、あなたも頑張ってくれたから、魔法を使う機会はほぼなかったわ。だから魔力は温存できている。それでも上級魔法でも高度になる転移魔法は三度が限度よ」
「お嬢様……!」
「南部の都市へ逃げ延びたいけれど、きっとギリギリだわ」
それを聞いたエルはぐっと口を結んだ後、真剣な表情になる。
「自分が足止めをします。お嬢様はお一人で逃げてください」
「!?」
「転移魔法は移動距離、移動人数で消費する魔力が変わります。自分がいなければお嬢様は確実に南部の都市へ逃げきれます」
そこで私はハッとして尋ねることになる。
「エル、あなたまさか最初からそのつもりで……」
「そういうわけでありません。できればお嬢様をずっと護衛していたいと思っていました。ですがこういう時に役に立てるとも思っていましたので」
エルが手にしていたトランクを私に差し出した。
私はトランクを受け取るとすぐに蓋を開け、金貨の入った巾着袋だけを手に取る。
「ひとまずお金があればなんとかなる。これを持って、エル!」
「お嬢様……!」
「エル、あなたはとても有能よ。毎日の剣術の訓練の様子も見ていたわ。それに日々の狩りの成果からも、あなたは自分が思う以上に強いでしょう。それでも数で攻め込まれたらどうにもならない。ましてや今踏み込んできている全員が、中級以上の魔法の使い手だったら?」
「それならばなおのこと、自分が足止めを」
そこで私はエルの頬に手を添え、その紺碧色の瞳をじっと見る。
「エル。これは命令よ。私について来ると誓ったのだから、絶対について来て。途中離脱なんて、許さないわよ」
「お嬢様……!」
知らなければよかった。
最初から一人で国外追放でこの屋敷で暮らしていたら、こんな気持ちにはならなかっただろう。だがもう遅い。
私は知ってしまったのだ。
誰かの帰りを心待ちにする気持ちを。誰かと一緒に料理を楽しみ、食事をする楽しさを。何よりも誰かがそばにいることの安心感を、経験してしまった。それはなかったことにはできない。
「どこに着地するか分からないわ。私のこと、絶対に離せないで、エル」
畳み掛けるとエルは、その紺碧色の瞳を一瞬潤ませたが、すぐに真剣な表情になる。
「承知しました、お嬢様」
そう言い終わるなり、エルが私を抱き上げたので、ビックリしてしまう。
「こうしていれば、もし湖に着地することがあっても、お嬢様は濡れません」
これにはいろいろツッコみたい気持ちになるが、屋敷の玄関の扉が蹴破られたような音が聞こえてきた。
「三度目の転移魔法を使った後、魔力切れで私が気絶したら、後は頼んだわよ」
「お任せください」
そこで私は転移魔法を詠唱した。
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