第十話:突然の別れ
「トレリオン王国の人間は、養蚕のノウハウを何としても手に入れたかった。でも蚕の餌となる桑の木は、この村の中にも周辺にも沢山育つことになったけれど、肝心の蚕がいないのよ。シノブさんを連れ去ったところで、どうにもならないのに。それでも彼らは村を訪れて、シノブさんを連れ出そうとしたのよ」
ちょうどその時、シノブさんはピアを出産したばかりだった。赤ん坊の名付けさえ、終わっていないのだ。ここは「ちょっと待ってください」だったが……。
「とても強引だったわ。その様子を見て、シノブさんは母国から父親と共に攫われた時のことを思い出したの。手段を選ばない人々だから、このままではみんなに迷惑をかけることになる――そう考えたシノブさんは、村を出る決意をしたのよ」
「つまり産まれたばかりの赤ん坊のピアを連れ、旦那さんと共に、この村を、島を出ることにしたのですか?」
私が問うと、マーガレットおばあちゃんはコクリと頷いた。
「そんなのは無茶だとゲンさんも私も、当時まだ健在だった私の夫も止めたわ。でもシノブさんは『強引に連れ去られたら、赤ん坊ともアントニーとも引き離されることになる。それだけは嫌なんです』と言って……」
「でも村にはマーガレットおばあさんやゲンさんは残ったのですよね? 大丈夫だったのですか……? 逃げたシノブさんが村に戻るよう、残った人を人質にとる危険もあったのでは?」
私が尋ねると、マーガレットおばあちゃんは、シノブさんが置き手紙を用意していたことを明かした。そこに書かれていたことは──。
『サンフォレストを目指し、船に乗ります。きっともう二度とは会えないでしょう。ごめんなさい、お父さん、マーガレットさん、マークさん。どうかお元気で』
「手紙を、シノブさんを狙う人に見せるつもりはないと見せかけ、でも強引に見られたことにしたの。追っ手は、シノブさんとアントニーと赤ん坊が、サンフォレストに向かっていると知ると、慌てて後を追ったわ。サンフォレストは南部最大の都市。しかも海に面した大都市よ。そこに紛れ込まれたら……」
「そうなったら、干し草の山から針を探すようなものだよね」
ピアが蜂蜜をたっぷり入れた紅茶を飲みながら応じると、マーガレットおばあちゃんは「まさにその通りよ。ピアちゃん」と頷く。
「シノブさんとアントニーとピアちゃんを見失わないことを優先して、追っ手はすぐに島を出て行ったわ。その後、シノブさん達を見つけられず、村に何度か追っ手はやって来たけれど……。もう余所者に対して警戒を強めていたから、奴らが村の中に入ることはできなかったわ」
「では残された村の人が、その追っ手に何かされることはなく、そしてシノブさんとアントニーさん、そしてピアは無事に逃げ切ることが出来たのですね」
エルが問うと、マーガレットおばあちゃんは「そうだと思うわ。そもそも目指したのもサンフォレストではなかったのよ」と答える。
「ただ、シノブさんもアントニーも徹底していたの。その後どうしたのか。どこにいるのか。手紙で知らせることもなかった。だから本当に三人がどこに向かったのか。私も分からなかったの。シノブさんは芯の強い女性で、そこは本当に徹底して、この村を立つ時にも身一つだった。でも……私が生まれたばかりのピアちゃんに贈ったお守りは、持って行ってくれたようね」
「お守りって何、おばあちゃん?」
ピアが尋ねるとマーガレットおばあちゃんは、ハーミット村の風習について教えてくれる。
「生まれてきた赤ん坊が食べ物に困らないようにと、小麦や大麦などの種を入れたお守り袋を用意するの。それはね、赤ん坊のおばあちゃんに当たる人が用意するの。そこにシノブさんが母国から持ってきた種も入れておいたのよ」
「じゃあきっとその種に、アサガオが含まれていたんだね。その種を植えたら、この庭と同じアサガオの花が咲いたんだ!」
ピアの言葉にマーガレットおばあちゃんは「そうね」と微笑み、しみじみと呟く。
「ピアちゃんがもし、このアサガオを家から持ち出していなかったら……こんなふうに再会にはならなかったかもしれないわ。もう二度とは会えないと思っていたから、おばあちゃん、本当に嬉しいわ」
そこで目頭をハンカチで抑えたマーガレットおばあちゃんだったが、思いついたという顔で提案してくれる。
「良かったら今日はこのまま泊まっていって。そして夜に冷やしラーメンを、村のみんなに食べさせてくれないかしら?」
ピアが私を見るので、これはもちろん「ええ。材料も揃っているので、そうさせてください」と応じる。
「ありがとう。嬉しいわ。代わりにお昼はゲンさんに教えてもらった煮物を作るわね。ゲンさんが亡くなってから、作ることも無くなってしまったの。どうしてもその味で、ゲンさんやシノブさんのことも思い出してしまうから……。でも今日は逆ね。みんなのことを思い出したいから、煮物を作るわ」
「それならおばあちゃん、ピアも手伝う!」
「まあ、本当に? 嬉しいわ、ピアちゃん! じゃあ、こっちに来て」
こうして昼食作りが始まった。
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