第五十六話:魔法を使えれば。
魔法を使えれば自分の身を守ることも、エルやピアも守れると思っていた。
そう、魔法を使えれば。
その魔法というのは呪文の詠唱が必要だった。詠唱するには声を出す必要があるのだけど……。
今、布を噛ませされた私は、声を出すことが出来ない。
そしてそれはあまりにも突然の出来事だった。
◇
冷やし中華と麦茶は完売。その多くはポアラン男爵が払ってくれた。初対面ではいきなり「けしからん」なんて言われ、強引なところもあった。でもゼノビアのおかげで、事なきを得た。そしてゼノビアに説得された後のポアラン男爵は、気前のいい領主様だった。
「君たちの作る料理は、実に独創的で素晴らしい。これならどこで商売しても成功する」
ポアラン男爵はそうまで言ってくれたのだ。
ゼノビアも褒めてくれたし、エディも「次の土地でも絶対に上手くいく」と言ってくれた。
いい出会いが出来たと、無事販売を終え、まだ人出が多くなる前に、広場に戻った。そこでエディと再会し、エル、ピア、私と四人で遊戯系の屋台を見て回った。食べ歩きもして満足して宿に戻ったのだ。
しっかり入浴し、眠りについたが……。
何時かなんて分からなかった。完全に寝入っていた私の部屋に、何者かが忍び込んだ。そしていきなり口を押さえられた。
単純に声を出されたら困るための行動だと思うが、それをされると魔法を使えない。
そう、呪文を詠唱出来なかった。
では物理的に動けるかというと、相手は私を軽々担げるような男性。念の為で枕の下に隠していた短剣を抜く暇なんてない。ましてやエルが教えてくれた日傘の護身術を披露するなんて無理な話。手足を結わかれ、目隠しもされ……。
おそらくは荷馬車で何処かに運ばれてしまった。
一体誰がこんなことを!?と思うが、私は追われている身なのだ。こんなことをされる可能性はゼロではなかった。
ただ、備えはしていた。部屋の扉には魔法をかけ、魔法を検知出来るようにしていたし、物理的につっかえ棒もしていたのだ。
それでも部屋に何者かが現れたということは、窓からの侵入だったと思う。部屋は三階でもあったため、窓には注意を払っていなかった。
それは甘かったと思う。ローストヴィルで追っ手が来た直後とそれからしばらくは、かなり厳重にしていた。でも次第に危機意識は緩んでいく。
人間、常に緊張は持続出来ない。緊張状態は身体への負担が高いからだ。筋肉の緊張、呼吸は浅くなり、心拍数も上がる。集中力も必要となるのだ。脳も疲れる。交感神経が活性化された状態が続けば、体は副交感神経を働かせようとして、リラックス体勢に切り替えようとするはず。
こう言った状況にならないためにも、移動を続けるのは良い方法だった。見知らぬ土地に行けば、いやでもいろいろなことを意識し、緊張する。
それでも環境に適応するように、順応も行われてしまう。何より緊張していると、不安や恐怖につながる。心の反応として、緊張を緩和しようと防御反応が出て当然。
それに新聞で悪女についての記事も見かけなくなったのだ。
世の中、日々、何かが起きている。どこにいるかも分からない悪女のことばかりで盛り上がる程、皆、暇ではないということ。
つまりはいろいろな要因が重なったと思う。
その結果が扉からの侵入を警戒し、窓への警戒が疎かになった理由でもある。
なんてことを分析出来たのは、攫われたのが私だけと分かったからだ。荷馬車に乗せられたが、私と同じように、そこで転がされている人はいなかった。
無言で二名ほどが乗り込んだと思うが、それは見張りだろう。
攫われたのは私だけ。
そこだけは安心だった。共に旅をしていれば、悪女の仲間と思われるリスクはある。ゆえに今さらではあった。それでもやはり、エルやピアが攫われずに済んだことに安堵していた。
それにこれで攫った相手の目的も明白だった。
私を攫ったのは、隣国から来た悪女をこの国から追い出したいアルシャイン国の関係者に違いない。
しかし荷馬車でこのまま、国境近くまで連れて行かれるのかしら……? もしそうならそれをエルやピアに知らせたい。二人は朝起きて、私がいないことに大騒ぎになるはずだから。
そこで荷馬車が止まった。
「丁重に扱うように。くれぐれも傷をつけるなよ。大切な客人だからな」
聞こえてきた声。
知っている声だった。
この声はまさか──。
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