第五十話:わー、近いっ!
「フェリスは人気者だから……心配だな」
クラウスの言葉に顔をあげそうになり、慌てて動きを止める。今、顔をあげたら、あの美貌の顔が目に飛び込んでくる。それは距離が近過ぎる!
「フェリス、自覚できている?」
そう言ってクラウスが顎を持ち上げるから……。
わー、近いっ!
そこで視線を伏せるようにすると、コンと私の額に、クラウスの額が触れた。
「それにフェリスがトレリオン王国に帰ってしまうかと思うと……とても寂しいな。屋台だってやめてしまうのだろ?」
これにはドキッとしてしまう。
屋台をやめる……それを想像すると、ものすごく寂しくなる。
ただ、追われることもなくなり、追放の身ではなくなったのに、屋台を続けるのも変な話。何せ私は公爵令嬢なのだ。
国へ戻り、屋敷へ帰り、両親と暮らして……。両親と暮らし、そこから先、どうしたらいいのかしら?
そこでふと浮かぶのは、赤ん坊を抱く自分の姿と、そのそばで微笑むクラウスの姿!
な、私ったら、何を考えているの! 私のことより、ピアよ。
「屋台をどうするかは、ピアやエルとも話し、決めようと思います。ここまで頑張ったのだから、やめるのは……」
「うん。そうだね。フェリスはそういう子だった。自分のことより、ピアやエルの気持ちを尊重したいと思っているんだね。……そこに僕のことも加えてもらえると嬉しいけれど、でもそれはすべてが落ち着いてからだ。今は国へ戻れるのだから、両親に顔を見せ、安心させてあげるといい」
クラウスのこの言葉には、胸が熱くなる。
気持ちとしては告白の返事が欲しくて仕方ないだろうに。
まずは私自身が身の振り方を決め、エルやピア、ルナのことをどうするか。それが決まり、落ち着くまで、私に無理をさせない、余計なことを考えないでいい状態にしようとしてくれていること。その優しさ、思いやりに感謝の気持ちでいっぱいだった。
アランが十六年の想いを募らせ、猪突猛進になっているのにストップをかけたのも、クラウスなのだ。アランみたいに、前のめりになることの方が多そうなのに。これだけ自身をコントロールできるクラウスは……本当にすごいと思う。
そこでクラウスの額が離れたので、驚いて顔をあげると、彼は本棚に置かれた時計に目をやる。
「もっとフェリスと一緒にいたけど、そろそろ部屋に戻ろうか。さっき報告を聞いたら、ピアはもうぐっすり眠っている。ちゃんとベッドでね。今日はこのまま宮殿に泊るといい。エルの部屋も用意して、既に案内している。フェリスもあの部屋にはベッドもあるし、ゆっくり休める」
そう言ってから、クラウスが私をまじまじと見る。
「幌馬車の中には屋台に必要な調理道具などに加え、棺があるとゼノビアが言っていたけど、本当?」
「あ、はい。ローストヴィルから転移した後、追っ手に遭遇した時に備え、棺を手に入れたんです。南部の休憩所では野宿になるので、棺の中で寝ていました。結構、快適ですよ」
これを聞いたクラウスは、その整った顔で、なんとも言えない表情を浮かべる。
「!? フェリス、君、何を言って……! 棺はいくら快適だろうと、ベッド代わりにするものではないよ!?」
「ベッドとしてだけではなく、蓋を閉じるとベンチ代わりにもなります。ピアとよく横並びで座り、おしゃべりもしていますよ」
冗談っぽく言っているが、事実を伝えるとクラウスは「二段ベッドをプレゼントするから、棺は禁止! というか宿に泊まって欲しい。頼む、フェリス……!」なんて切実に言い出す。心配していることもよく分かるので「前向きに検討します」と伝える。
「本当に君は……目が離せないことをするんだから。それでも幌馬車の中は、君達のプライベート空間だ。これまで干渉せずにいたけれど……まさか棺。本当に驚いた。ともかく今日は、広々としたベッドで手足を十分に伸ばして寝て欲しいな」
「分かりました」
笑いながら立ち上がると、クラウスもソファから腰をあげ、スッと私の腰を抱き寄せる。
「フェリス。もう名実ともに、君は自由の身だ。誰かに追われることも、国を追い出されることもない。そして君を助けたいと思っている人間は、僕だけじゃない。ライバルではあるけど、アラン国王だって同じ。だから堂々としていい。国に戻り、そこで君に好奇の目を向ける者がいても、気にする必要なんてない。そして君が君らしくいられる場所。それを見つけて欲しい。エルやピアも大切だ。でも君自身のことも、ちゃんと考えて欲しい」
「クラウスさん……。今日、この日を迎えられるよう、影ながら動いて下さり、本当にありがとうございます。自由の身になれたのは、クラウスさんのおかげです」
「僕はそんな大したことはしていないさ。そもそもフェリスは冤罪だったのだから。……何はともあれ、だ。僕の大切なお姫様。棺ではなく、ベッドで快適に休んで欲しい。でもその前に」
そこでクラウスは額へキスをする。
慈しみを感じるキスにはドキドキより嬉しい気持ち。
唇がゆっくり離れると同時に。
「上を見て、フェリス」
そこで頭上を振り仰ぐと――。
ドーム型の屋根が開閉されており、満点の星空が見える。
「天体望遠鏡は正確な位置把握のために必要だけど、ただ眺めるならこれで十分。美しいだろう?」
「ええ、とっても。カウチに寝そべってこの星を眺められたら、最高ね」
「フェリスが望めばいつでもできるよ。……またここにフェリスと来ることができたら嬉しいな」
クラウスが朗らかな笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございます!
ごめんなさい!仕事でいつもの時間で更新できませんでした!次話は18時頃公開予定です~