第十三話:発想の転換
ルナが失踪してから五日が経った。
可能な範囲を探し尽くし、手詰まり感もある。
ここは発想の転換が必要だと思った。
つまり。
町中のどこかにいるのではなく、「可愛い子猫がいる!」と誰かに拾われた可能性だ。
首にはリボンをつけているが、それだって絶対にとれないわけではない。それに飼い猫を示す首飾りをつけているが、毛が汚れていたりすると「どこから逃げてきたのかしら?」と自身の家で保護してくれている可能性もある。
一応、町の掲示板には「子猫を探しています」と貼り紙をしているが、それを用意するのと掲示する許可をもらうのに時間がかかっていた。ルナを保護してくれた人が、掲示板を確認した時は、その貼り紙がなく「探している人はいないのね。ならば我が家で飼いましょう」になっている可能性だってあるのだ。
こうなるとこの町にあるコミュニティに「子猫を探しています!」という噂を流してもらうしかない。
それは教育ママ風リディアン、信楽焼のタヌキみたいなセファン、この世界でピザを再現しているマイア氏の三人に動いてもらった。
するとそれなりの情報が集まる。
最近、野良猫を飼い始めた人、子猫を拾った人、子猫が庭に現れる人。
そういった人が相応にいるのだ。
それらの情報を頼りに、町中の捜索に加え、そのお宅に足を運ぶことになった。
だがしかし。
「残念ながら今回も違っていましたね」
「毛色がミルクティーみたいって言うから、期待したのに!」
ピアとエルが無念そうにするが、仕方ない。
誰かが保護してくれている。
その可能性も低いのだろうか。
失踪してから一週間が経つ。
これは町の端、小麦畑が広がるあたりまで、捜索の範囲を広げる必要があるか。そう思ったら──。
「私達も責任を感じ、ルナ様の捜索に協力して参りました。でもまもなく十月で収穫祭が行われます。その準備もあり、これ以上、人手を割くことが難しく……本当に申し訳ないのですが」
そう切り出したのはリディアンだ。
これに対して「そうですよね。ご協力、ありがとうございます」としか言えない。
彼らは責任を感じ、ルナの捜索は勿論、この町での滞在を延長する私達のために、宿代や食費を含めた一切を出してくれたのだ。その必要はないと伝えているが、そうでもしないと気が収まらないからと言って。さらには貼り紙の準備や掲示の許諾、この町のコミニュティにルナを探していることも伝えてくれたのだ。
確かにルナは、リディアンとセファンと一緒の時に姿を消した。でも石垣の穴は彼らのせいではないし、ルナを飼っているのに目を離した私達にも責任はある。
そしてここまでしてくれた彼らを責めるのは、やり過ぎだと思えた。
子猫の捜索。
一番の山場である、失踪から24時で見つけることができなかった。そして捜索範囲を広げ、保護の可能性も考えたが、それでも見つからない。
町の外れの小麦畑を探しても見つかるのか。
既に小麦は収穫され、子猫が隠れられるようなものはない。そんな場所をヒョコヒョコ歩いていたら、野犬やカラスに狙われるだろう。
ルナが町の外れにいる可能性は低いのでは?
こうなると、川に落ちて流された、荷馬車に紛れ込み、他所の場所に行ってしまった……そんな可能性も出てくる。そしてどこかで区切りもつけないといけない。
そんなことを思い、側溝を覗き、そこでルナが「みゃあ」と言ってくれないかと期待するが……。それはない。
エルがピアの読み書き計算を見ている間に、町のはずれ近くまでやって来たが、収穫はなさそうだった。
もう空気にも、目に入る草花にも、夏の気配はない。収穫祭も近い時期。季節は秋を迎えている。午後の陽射しに夏のような力強さはない。
大きなため息をついた時。
「Each sigh a blow upon my heart.」
これは……シェイクスピアの戯曲の一節。
女性のため息が自分の心を打つと表現した、切ない恋を示す一文だ。この世界でも古典作品としてシェイクスピアは存在していた。多分、乙女ゲームの製作陣の中に、シェイクスピア好きがいたのだろう。
しかし。
今の一節をサラッと口に出来るなんて……。
かなりの知識人であり、間違いなく、貴族だろう。
シェイクスピアの有名なセリフといえば「To be, or not to be」だろう。それに比べると今の一節を覚えている人は、なかなかコアだと思う。
この世界でも庶民も楽しむシェイクスピアであるが、初期のコメディ作品の一節をそらんじることができるのは、通な人と見て良いはず。
ということで一体どなたですかと振り返ると……。
お読みいただきありがとうございます!
本日もよろしくお願いいたします☆彡
次話は12時頃公開予定です~























































