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LGBTQ短編小説

【FTMスーパー銭湯デビュー短編小説】「湯けむりの向こうの私」

作者: 霧崎薫

●第1章:決意


 霧崎碧は、スマートフォンの画面を見つめながら、深いため息をついた。新宿区にある「大黒湯」の公式サイト。古き良き銭湯の趣を残しながら、サウナや岩盤浴などの設備も充実した人気の銭湯だ。


「行ってみたいけど……」


 24歳の碧は、鏡に映る自分の姿を確認する。中性的な整った顔立ちは、化粧っ気のない素顔でも十分に男性として通用する。むしろ、最近では「イケメン」と言われることも増えてきた。ホルモン治療を始めて1年。身体つきも随分と変化してきている。


 それでも、完全な安心はない。


「でも、このままじゃダメだ」


 碧は立ち上がると、タンスから下着を取り出した。特注で作った白いボクサーパンツ。股間のパッドは控えめだが、違和感なく男性用下着として機能する。


 ホルモン治療の効果で、胸はほとんど平らになっている。それでも、乳首は女性時代の名残を残して大きい。上半身用の補正下着も必需品だ。


 スマートフォンの画面には、大学時代からの親友・鷹宮遥斗からのメッセージが表示されていた。


「おい、そろそろサウナ行かないか?  この前見つけた銭湯がいい感じなんだ」


 遥斗は、碧がトランスジェンダーであることを知る数少ない理解者の一人。大学1年の時、まだ女性として過ごしていた碧に、何気なく声をかけてくれた人物だった。


 碧が性別違和を打ち明けた時も、「そうか。大変だったな」と静かに受け止めてくれた。それ以来、遥斗は少しずつ碧の転換を支えてくれている。


 ただ、銭湯だけは別格の壁だった。


 更衣室での着替え。裸での入浴。これまで碧は、トランスジェンダーであることを公言していない場所では、公共の浴場を徹底的に避けてきた。自宅での入浴ですら、裸を見るのが辛い時期があった。


 しかし最近、少しずつ変化を感じていた。鏡に映る自分の姿が、以前ほど違和感を覚えるものではなくなってきている。筋肉質になってきた体つきは、確かに自分のものとして実感できる。


「よし」


 碧は、スマートフォンを手に取った。


「行ってみる。でも、知ってる場所は避けたい。新宿の大黒湯ってとこ、いいみたいだよ」


 送信ボタンを押す。すぐに返信が来た。


「おお!  決心したか。その場所なら俺も行ったことないから、一緒に行こう。明日の夕方とかどう?」


 碧は小さく息を吐いた。明日。急すぎる気もしたが、考えすぎると逆に臆病になりそうだった。


「うん、明日で」


 送信すると、画面の向こうで遥斗が喜んでいる様子が伝わってきた。


「よっしゃ!  明日16時に、新宿駅東口で待ち合わせな」


 碧はスマートフォンを置くと、もう一度鏡を見た。

 

 これまで幾度となく憧れながら、一歩を踏み出せなかった銭湯。ついに、その扉を開ける時が来たのかもしれない。


 胸の奥で、不安と期待が混ざり合う。明日は、きっと特別な一日になるはずだ。


●第2章:入浴前の緊張


 新宿駅東口の待ち合わせ場所に着くと、遥斗はすでに到着していた。長身でやや痩せ型の彼は、いつものように無造作なヘアスタイルで、リラックスした様子でスマートフォンを見ていた。


「お、碧!」


 遥斗が顔を上げて手を振る。碧は小さく頷いて近づいた。


「待った?」


「いや、今来たとこ。……緊張してる?」


 遥斗は、いつもの調子で話しかけてくるが、その目には少しの心配の色が混じっている。


「まあ、少しは」


 碧は正直に答えた。胸の中では、様々な不安が渦巻いている。誰かに見破られないだろうか。着替えは大丈夫だろうか。乳首は目立たないだろうか……。


「大丈夫だって。碧は今、立派なイケメンだぜ」


 遥斗は軽く碧の肩を叩いた。その仕草は、大学時代から変わらない。


「ありがと」


 二人は雑踏の中を歩き始めた。新宿の街は、いつもと変わらない喧騒に包まれている。


「この一年で、すごく変わったよな」


 遥斗が、横目で碧を見ながら言った。


「……そう?」


「ああ。なんつーか、すごく自然になった。最初の頃は、どこか力が入ってた感じがしたけど」


 碧は少し考えてから頷いた。確かに、ホルモン治療を始めた頃は、必要以上に「男らしく」振る舞おうとしていた。声を低くしたり、歩き方を意識したり。


「今は、碧が碧らしくいられてる感じがする」


「遥斗……」


 思わず、胸が熱くなる。遥斗は、さらりとそんな言葉を投げかけてくる。それが、何より心強かった。


 大黒湯は、新宿駅から徒歩10分ほどの場所にあった。昭和の雰囲気を残す外観。しかし、入口には最新の電子マネー決済にも対応している旨の案内が貼られている。


「よし、着いた!」


 遥斗が明るく言う。碧は、深く息を吸って吐いた。


「……行こう」


 自動ドアが開く。懐かしい銭湯の香りが、二人を包み込んだ。


 フロントでは、中年の女性が温かな笑顔で迎えてくれた。碧は、できるだけ自然に振る舞おうと意識する。


「いらっしゃいませ。2名様ですか?」


「はい」


 遥斗が答える。料金を支払い、脱衣カゴとタオルを受け取る。


 男湯への入口。「男」という文字が、碧の目の前にある。


「じゃ、行くか!」


 遥斗が先に進む。碧は、一瞬ためらった後、その背中を追いかけた。


●第3章:脱衣所とシャワー


 脱衣所に入ると、平日の夕方にしては意外と人が多かった。碧は、できるだけ奥まった場所のロッカーを選んだ。


「ここにしよう」


 遥斗も隣のロッカーを使うことにした。碧は、さりげなく周囲を確認する。数人の会社帰りらしいサラリーマン、年配の常連客らしき人々。誰も、特に碧たちに注目している様子はない。


 それでも、服を脱ぐ時の緊張は隠せなかった。


「あ、そうだ」


 遥斗が、突然思い出したように言った。


「この前、サウナで知り合った人から聞いたんだけど、ここの塩サウナがすごくいいらしいぞ」


 自然な話題で、碧の緊張をほぐそうとしている。そんな遥斗の気遣いが、またしても胸に染みた。


「へえ。塩サウナか……」


 碧は、上着を脱ぎながら答えた。補正下着の上からさらにアンダーシャツを着ているため、上半身の曲線は完全に隠れている。


 ズボンを脱ぎ、特注のボクサーパンツ一枚になる。股間のパッドは、自然な膨らみを演出している。これなら、誰も疑問に思わないはずだ。


「おっと」


 隣で遥斗が、脱いだ靴下を落としてしまった。その瞬間、碧は反射的に拾おうとして屈んだ。


「あ、いいよ」


 遥斗の声に、碧は動きを止めた。そうだ。必要以上に親切にする必要はない。むしろ、それは不自然かもしれない。


 男性は、ちょっとしたことでは他人に手を貸さない。そんな些細な「男性的振る舞い」を、碧は少しずつ学んできた。


 最後に下着を脱ぎ、タオルを腰に巻く。


「よし、シャワー浴びに行くか」


 遥斗が立ち上がった。碧も、大きく息を吸って立ち上がる。


 浴室に入ると、湯気と湿気が全身を包み込んだ。シャワーの音、会話の声、そして銭湯特有の響きが、空間いっぱいに広がっている。


 碧は、遥斗の後に続いて空いているシャワーの場所を探した。なるべく人の少ないスペースを選びたい。幸い、奥の方に二つ並んで空いているシャワーを見つけた。


「ここにしよう」


 遥斗が声をかける。碧は無言で頷き、シャワーの前に座った。お湯をかけ始めると、緊張していた体が少しずつほぐれていくのを感じる。


 シャンプーを手に取り、髪を洗い始める。女性時代から習慣的についていた丁寧な洗い方を、意識的に少しぞんざいにする。


「あー、気持ちいい」


 隣で遥斗が、わざとらしく声を出した。その声に、碧は小さく笑みを浮かべた。


 体を洗い始める。筋肉質になってきた腕や胸。それでも残る、どこか丸みを帯びた体つき。碧は手早く、でも確実に体を洗っていく。


「碧、背中流そうか?」


 突然の遥斗の申し出に、碧は一瞬固まった。男性同士での背中流しは、決して珍しいことではない。むしろ、銭湯では日常的な光景だ。


 しかし……。


「いや、いいよ。自分でやる」

「そうか」


 碧は、できるだけ自然に断った。遥斗は、何も言わずに自分の体を洗い続けた。


 シャワーを終え、お湯を止める。碧は、大きく息を吐いた。最初の関門は、なんとかクリアできた。


●第4章:サウナと水風呂での出会い


 シャワーを終えた碧と遥斗は、浴場内を見回した。


「まずはサウナかな?」


 遥斗が提案する。碧は少し考えてから頷いた。サウナなら、暗めの照明の中で静かに過ごせる。


 塩サウナの扉を開けると、ミネラル豊富な塩の香りが漂ってきた。中は3段の階段状の椅子があり、現在は2名ほどが黙々とサウナを楽しんでいる。


 碧は最下段、遥斗は中段の椅子を選んだ。程よい温度と湿度が、全身を包み込む。


「けっこう、いい感じだな」


 遥斗が静かな声で呟いた。碧も同意するように小さく頷く。緊張していた体が、少しずつほぐれていくのを感じる。


 その時、サウナの扉が開いた。


「すみません」


 30代後半くらいの男性が入ってきた。がっしりとした体格で、腕には刺青らしきものが見える。碧は反射的に視線を逸らした。


 男性は最上段に腰を下ろすと、深いため息をついた。


「ふぅ……今日も疲れたぜ」


 独り言のような、誰かに話しかけるような、微妙な声色。碧は黙ってじっとしていた。


「あんた達、初めて見る顔だね」


 男性が、碧と遥斗に視線を向けた。


「ああ、初めて来ました」


 遥斗が自然に返事をする。


「へえ。この塩サウナ、いいでしょ?  オレ、毎週来てるんすよ」


 男性は気さくな様子で話しかけてきた。刺青があるにも関わらず、どこか柔和な雰囲気を漂わせている。


「タトゥー、気になった?」


 突然、男性が碧の方を向いて言った。碧は一瞬、動揺を隠せなかった。


「いや、その……」


「ハハ、大丈夫。これ、シール式なんです。仕事柄、たまにファッションでつけるんで」


 男性は明るく笑った。その笑顔に、碧は少し緊張が解けるのを感じた。


「美容関係の仕事してるんです。あ、佐伯っていいます」


「霧崎です」


 碧は小さく自己紹介した。


「鷹宮です」


 遥斗も続けて名乗る。


「へえ、お若いですね。学生さん?」


「いえ、もう社会人です」


 碧が答える。声が少し上ずっているのが自分でもわかった。


「そうですか。若いうちからサウナ来るの、いいですよ。体に良いし、なにより心が落ち着きます」


 佐伯は、どこか説得力のある口調で語った。


「あ、そろそろ水風呂行きましょうか。長湯は禁物ですよ」


 佐伯が立ち上がる。碧と遥斗も、つられるように立ち上がった。


 水風呂は、サウナのすぐ横にあった。碧は一瞬躊躇したが、佐伯と遥斗に続いてかけ湯をしてから入水する。


「はぁっ!」


 冷たい水が体を包み込む。一瞬の衝撃の後、心地よい清涼感が全身を巡る。


「どうです?  気持ちいいでしょ」


 佐伯が嬉しそうに言う。


「はい、確かに……」


 碧は、思わず素直な感想を口にしていた。


 水風呂から上がると、外気浴スペースに移動する。木製のデッキチェアに横たわり、天井を見上げながら、体の内側から湧き上がってくる心地よさに身を委ねる。


「サウナって、不思議ですよね」


 佐伯が、静かな声で語り始めた。


「見知らぬ人同士が、一緒の空間で過ごす。でも、そこに余計な気遣いはいらない。ただ、同じ時間を共有するだけ」


 碧は黙って聞いていた。


「オレね、この一年くらい、毎週ここに来てるんです。仕事のストレスで、最初は何か発散できることを探してて」


 佐伯は天井を見たまま、語り続けた。


「でも、来てるうちに気づいたんです。ここでは、誰もが等しく、ただの"人間"なんだって」


 碧は、その言葉に心臓が強く鼓動するのを感じた。


「社会的な地位も、年齢も、性別も関係ない。ただ、一人の人間として、この時間を過ごす」


 佐伯の言葉は、碧の心に深く染み込んでいった。


「ははは、ごめんごめん。なんか、急に説教くさくなっちゃいましたね」


 佐伯が照れたように笑う。


「いえ……」


 碧は、小さく声を絞り出した。


「とても、わかります」


 遥斗は黙って碧の横顔を見ていた。


●第5章:岐路


 外気浴を終えた後、三人は再びサウナに向かった。今度は、ドライサウナを選ぶ。


 ジリジリとした乾いた熱が、全身を包み込む。


「このサウナも、なかなかいいですよ」


 佐伯が言う。碧は黙って頷いた。先ほどより、ずっとリラックスできている自分に気づく。


 その時、新しい客が入ってきた。若い男性が二人。おそらく大学生くらいだろうか。彼らは下段に座り、小声で会話を始めた。


「なあ、さっきの子、かわいかったよな」


「フロントの子?  うん、めっちゃタイプ」


 他愛もない会話。しかし、その内容に碧は思わず耳を傾けた。男性たちの何気ない会話。女性への興味。それは、碧にとってはまだ踏み込めない領域だった。


「碧さん、水風呂行きましょうか」


 佐伯の声に、碧は我に返った。


「あ、はい」


 三人は立ち上がり、再び水風呂へ。今度は躊躇なく、碧は水に浸かることができた。


「あの、佐伯さん」


 外気浴スペースで横になりながら、碧は声をかけた。


「はい?」


「どうして、美容の仕事を?」


 自分でも驚くような質問を、碧は口にしていた。


「ああ、それはですね……」


 佐伯は少し考えてから、話し始めた。


「昔、自分の見た目に、すごく悩んでた時期があったんです」


 碧は、息を呑んだ。


「でも、美容師さんに出会って、自分の新しい可能性を見せてもらった。それで、自分も誰かにそういう経験を届けられたらいいなって」


 佐伯の声には、懐かしむような温かみがあった。


「人は誰でも、見た目と内面の狭間で揺れ動く。でも、それは決して悪いことじゃない。むしろ、その揺らぎの中にこそ、その人らしさが宿るんじゃないかって」


 碧は、じっと佐伯の言葉を聞いていた。


「なんか、また説教くさくなっちゃいましたね」


 佐伯が照れ笑いを浮かべる。


「いえ、とても……参考になります」


 碧は心からそう感じていた。


●第6章:受容


 サウナと水風呂を3セット繰り返した後、碧たちは浴場に戻った。


「じゃあ、そろそろ湯船にでも……」


 佐伯が言いかけたとき、脱衣所から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「パパ、見つけた!」


 5歳くらいの男の子が、裸で飛び込んでくる。その後を、若い父親が慌てて追いかけてきた。


「だから走っちゃダメだって!」


 父親は申し訳なさそうに周囲に頭を下げながら、男の子を捕まえた。


「でも、パパと一緒のお風呂、うれしいもん!」


 男の子の無邪気な声が、浴場に響く。碧は、その光景をじっと見つめていた。


 そのとき、男の子と碧の目が合った。男の子は首を傾げ、碧をじっと見つめる。


「おにいちゃん……」


 碧の心臓が一瞬止まった。


「もしかしておねえちゃん?」


 無邪気な声が、突然の静寂の中に響く。碧の背筋が凍る。遥斗が反射的に碧の方を見た。佐伯も動きを止めた。


「すいません!」


 父親が慌てて男の子の頭を押さえる。


「こら、人のことをあんまりじろじろ見ちゃだめだろ!」


「でも、でも……」


「謝りなさい!」


 父親は真っ赤な顔で碧に向かって深々と頭を下げた。


「大変申し訳ありませんでした。うちの子が本当に……」


「いえ」


 碧は、意外なほど落ち着いた声で答えていた。


「まだ子供さんですから」


 碧は小さく微笑んだ。その表情は、どこか晴れやかだった。むしろ、これまでの緊張が嘘のように溶けていくのを感じる。


 男の子は、まだ不思議そうな顔で碧を見ていたが、父親に連れられて湯船の方へ消えていった。


 父と子。男性として生まれ、男性として育つということ。碧には経験できなかった人生の一コマ。


 しかし不思議と、以前のような痛みは感じなかった。ただ、それは一つの人生の形なのだと、静かに受け止められる自分がいた。


「あ、もうこんな時間」


 佐伯が腕時計代わりの防水タイマーを確認して言った。


「オレ、そろそろ上がりますね。今日は楽しかったです」


「こちらこそ、ありがとうございました」


 碧は心からの感謝を込めて答えた。


「また会えるといいですね」


 佐伯はそう言って軽く手を振り、浴場を後にした。


「碧も、そろそろ上がる?」


 遥斗が声をかける。碧は小さく頷いた。


 脱衣所に戻り、体を拭く。さっきまでの緊張は、もうどこにもない。


 服を着る時、碧は鏡に映る自分の姿を見た。濡れた髪、少し上気した肌。そこに映っているのは、間違いなく自分自身だった。


「なあ」


 着替えを終えた遥斗が、碧に声をかけた。


「また来ようぜ」


 碧は、満面の笑みで頷いた。


「うん、また来よう」


 二人が建物を出ると、すでに外は夜の帳が降りていた。涼しい夜風が、心地よく肌を撫でる。


「あ」


 碧が空を見上げると、小さな星が瞬いていた。


「遥斗」


「ん?」


「今日は、ありがとう」


 遥斗は照れたように後頭部を掻いた。


「別に、大したことしてないよ」


「いや、でも……」


 碧は言葉を探した。


「私、今日、大切なことに気づいたんだ」


 遥斗は黙って碧の言葉に耳を傾けた。


「自分が何者かってことは、きっと一生の課題なんだと思う。性別のことだけじゃなくて」


 碧は夜空を見上げたまま、静かに語り続けた。


「でも、その答えを急いで出す必要はないんだ。ゆっくりと、一歩一歩、自分のペースで進んでいけばいい」


「……そうだな」


 遥斗も空を見上げた。


「人は誰でも、自分との距離に悩む」


 碧は佐伯の言葉を思い出していた。


「その悩みの中にこそ、その人らしさがある」


 新宿の夜空に、星がまたひとつ瞬いた。


「なあ、腹減ったな」


 遥斗が唐突に言った。


「ラーメンでも食べて帰るか?」


 碧は笑顔で頷いた。


「うん、食べよう」


 二人は雑踏の中を歩き始めた。今日という日が、確かな一歩になったことを、碧は心の底から感じていた。


 これからも、きっと様々な壁や不安が待ち受けているだろう。でも、もう恐れることはない。


 自分は、自分のままで、ここにいていい。


 碧はそう確信していた。今宵の星空の下で。


(終)



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