81.彼が生まれた街
六連星として活動し始めてから、二度目の夏。
樹くんは無事に、普通自動車とサイレンカーの運転免許を取得した。
高校が夏休みに入った、七月の後半。
六連星のみんなも交代で夏休みをもらうことになり、私と樹くんは二日間だけ期間をかぶせて休みを申請した。
その二日間で向かうのは、殿宮県のお隣、樹くんの生まれ育った千蔵県だ。
あえて基地から二駅離れた駅で待ち合わせすることにして、時間通りにロータリーに到着する。
曲がりなりにも有名人のため、深めの帽子をかぶり、柱の陰にいると、目の前に黒くて大きな車が止まった。
「お待たせ。さぁ、乗って」
樹くんは運転席に座ったままボタンを操作し、ドアを開けてくれた。
「すごい⋯⋯ハイテクだ⋯⋯二日間、よろしくお願いします」
会釈をした後、するりと助手席に乗り込んだ。
「これはレンタカー? めちゃくちゃ大きい車だね!」
今回、私が乗せてもらう車は、六連星のサイレンカーと同じくらい大きなもので、七人くらいは乗れそうなように見える。
「そう。二人で乗るには大きすぎるけど、ちょっと仕掛けがあって、この車を借りることにした。どのくらいの頻度乗るかは分からないけど、結構使うなら、そのうち自分のを買うかも」
冬夜さんもお祖母さんを乗せるために、高三の冬には車を買ったと言っていたし、高校生なのにマイカーを買うという発想は、防衛隊員ならではなのかも。
会話が途切れたところで、ハンドルを握る樹くんの姿をちらりと盗み見る。
真剣な眼差し、男の子らしく骨ばった手。
腕から肩、腰のライン⋯⋯かっこよすぎて鼻血が出そう。
このお方と私は恋人同士なわけで、今日から二日間、二人きりで過ごすわけで⋯⋯
初めての経験に妄想が止まらくなりそうだけど、一生懸命運転してくれていると言うのに、自分の世界に入っていたらだめだよね。
邪念を払って、きちんと座り直す。
「今度から出動の時には樹くんと光輝くんも運転するんだよね。来月には海星くんが教習所に通い始めるし、私はまだ四ヶ月もお預けだ」
憧れのサイレンカーを颯爽と運転出来たら、どれだけいい気分になれるのか⋯⋯
「そんなに気がはやるなら、少し前倒しで通い始めれば? 免許の取得は十八からだけど、教習自体は十七歳から受けられるみたいだし」
「そうなんだ。先に通い始めるって言うのもできるんだ」
他愛のない話をしながらも、車はどんどん進んでいく。
ドライブ向けの軽快な音楽に、自然と身体が揺れる。
「運転中はお疲れになったり、眠くなったり、退屈になったりすると聞きますが、実際のところどうでしょう?」
優秀な彼女なら、ガムを用意していたり、飲み物をさっと買いに降りたりするそうだけど⋯⋯
「小春ちゃんがいるだけで退屈しないから大丈夫。自由にしててくれたら」
信号待ち、樹くんはちらりとこちらを見て、ふにゃりと微笑む。
あの緑川樹が、とろけそうな笑顔を浮かべている⋯⋯
「夢か、幻か。やっぱり妄想?」
目の前の光景が信じられずにいると、いよいよ県境が近づいて来た。
私たちを乗せた車は、山を貫くトンネルに入った。
ここを抜けたら、千蔵県。
これから私は、生まれて初めて殿宮を出るんだ。
ワクワク感が押し寄せてきて、胸元のシートベルトをぎゅっと握り締める。
トンネルの終わりかけ、出口がまぶしく見えて、目を薄める。
光の中に飛び込むと、徐々に目が慣れて、山道が見えた。
正面には、ようこそ千蔵へと書かれた看板がある。
「すごい。本当に殿宮から脱出しちゃった」
目の前に広がる景色は、青々と生い茂る木に覆われた山。
舗装された道路と、白線。
それと⋯⋯
「小春ちゃん、天井にある、黒いボタンを押してみて」
突然、樹くんはヒーローアニメにありがちなセリフを言った。
「え? このボタン? 押したらどうなるの? 滑空モード? それとも座席が飛び出すの?」
戸惑う私を横目に、樹くんは笑みを浮かべる。
「そのボタンが、この車を選んだ理由。今回の旅のメインの一つ」
「今回のメイン? と言うことは、まさかまさか⋯⋯」
助手席と運転席の間の天井にある黒いボタンを押す。
すると、助手席の天井から電子音が聞こえてきた。
引き戸の持ち手のような部分を持って引き上げると⋯⋯
「わぁ! 見えた! 空が見える! 本物の空だ!」
青い空と、どこまでも高く膨らむ白い雲。
殿宮だとUFOが邪魔をして、奥行きのない、薄っぺらい空だったのに、ここの空はこのまま宇宙までずーっと繋がっているんだ。
「本物の太陽だ! UFOが照らしてくるライトと違って、光がちょっとチリチリするかも! だからみんな日焼け止めを塗るんだね!」
サンルーフから見える空を眺めていると、最寄りのサービスエリアに着いたので、車を降りることになった。
「太陽が! 太陽がまぶしい!」
UFOの明かりを初めて見た人は、太陽よりも明るいですねとよく言うけど、UFOの光の方がふわっと明かりが広がって、本物の太陽は鋭く照りつけてくるようなイメージだ。
殿宮の方角を振り返ると、雨雲の端っこみたいにUFOのフチがくっきりと見えた。
「すごい! 夢じゃない!」
開放感から、両手を広げてその場でくるくる回る。
「良かったね、小春ちゃん。UFOが来るまでは、殿宮も、ここと同じような空だったんだよね。この星の空は、ぐるっと繋がっていて、このままどこまでも高く昇って行けば、宇宙に繋がってる。今夜は宇宙にある星空も月も見えるはずだよ」
「うん! 連れてきてくれてありがとう! 夜が楽しみだね!」
しばらく、地面に立ったまま太陽を浴び、再び車に乗り込む。
本日の宿泊場所である海辺に行く前に、寄りたい場所があると樹くんは言った。
向かった先は、県境の山から少し離れた、豪邸が立ち並ぶ街。
少し坂になった道路は幅が広くて、大きな車も余裕ですれ違える。
都会ならばこれだけの広い敷地があれば、マンションを建てて数十世帯で住むだろうに。
セレブはこれだけの土地に、一家族で住んでいる⋯⋯うらやましい。
樹くんは、とある立派な門構えのお屋敷の前で車を停めた。
白くて大きな金属製の門扉の向こうには、既視感のある噴水が見える。
手入れされた芝生と、玄関まで敷き詰められた、真っ白な石畳。
ピーコックブルーのお屋根の邸宅の壁も、くすみのない、まっさらな白。
ちらりと表札を見るとそこには、『緑川』と書かれていた。




