58.泣きたい誕生日
光輝くんの部屋で誕生日パーティーを開いてもらったけど、光輝くんは急ぎの用事が出来たと言って、出かけてしまった。
いい雰囲気だったのに。しかもケーキは食べ損ねたし。
しゃがみ込みたいくらい、最悪な気分だけど、なんとか自分の部屋に帰って来た。
そのままベッドの上にドサッと倒れ込む。
電話の発信元は間違いなく一華さんだった。
なのに光輝くんは、小倉先輩が相手だと嘘をついた。
もちろん、一華さんの携帯で小倉先輩と話した可能性だって否定は出来ない。
クラスメイトなんだから、何らかの集まりの最中で⋯⋯とか。
けど、誕生日なのに、光輝くんは私のことが好きって言ってくれたのに、結果的には私がひとりぼっちになってしまった。
さっき一華さんが、どっちが特別か証明するって言ってたのは、このことなのかな。
じゃあ、私が浮気相手だったってことだ。
何やってんだろ、私。
好きって言われて、甘い言葉とスキンシップでその気になって。
でも、光輝くんって、そんな不誠実な事をする人なのかな。
だめだ。一人で考えても意味はない。
『お忙しいところごめんなさい。もし、今日中に帰って来れるなら、少しだけ電話で話せませんか? 声を聞いて話したい』
光輝くんへのメッセージを送信する。
左手首のブレスレット――外そう。
小さな金具と格闘していると、インターホンが鳴った。
光輝くん! もう用事が終わって来てくれたのかな!?
慌ててドアを開けると、そこに立っていたのは意外な人物だった。
「あれ? 樹くん? どうしたの?」
樹くんは、何やら後ろ手に隠している様子。
「突然ごめん。今日は小春ちゃんの誕生日だと思って、ケーキ焼いたんだけど食べる? もうお腹いっぱいなら無理しなくていいから、冷凍すれば、しばらくもつから⋯⋯」
少し緊張している様子の樹くんの手には、ケーキが入っているであろう箱。
今日が誕生日だって、覚えていてくれたんだ。
「ほんとに? 私のために焼いてくれたの!? 食べる食べる! 絶対に食べるよ!」
樹くんの腕をつかんで、グイグイと部屋の中に引き込む。
「ささっ、どうぞおかけになってください。お客様」
テーブルセットの椅子を引いて、座るように促すと、樹くんはぺこりと頭を下げて座った。
「コーヒーは置いてなくって、ティーパックのお茶でもいい? 緑茶、ほうじ茶、紅茶⋯⋯どれがいい?」
「いいの? じゃあ⋯⋯ストレートティーで」
「了解!」
電気ケトルでお湯を沸かし、マグカップに紅茶のティーパックを入れて、お湯を注ぐ。
赤みがかった紅茶のクセのない香りが、湯気に乗ってふわっと漂ってくる。
樹くんはというと、テーブルの上に両肘をついて手を組み、あごを乗っけて何か考え事をしている。
そんな自然なひと時でさえも、様になっている。
「はい! できました!」
テーブルの上にカップを二つ置いて、向かいあって座る。
「ありがとう」
樹くんは少し硬い表情をしながら、紅茶を飲む。
「すごいね! 樹くんが私の部屋にいるのが不思議な感じ! 樹くんが座るとテーブルが小さく感じるね! また来てくれるならコーヒー買っとくね!」
にこにこ話しかけると樹くんは、ふっと笑って表情を和らげた。
どうしたんだろう。
いつもの樹くんならもっと口数が多いのに。
「ケーキ焼いてくれたってことは、オーブン買ったの?」
「ううん。給湯室のを使った。結構上手く行ったと思う。ちょっとあっち向いてて」
樹くんは何やらゴソゴソとカバンの中を探り始めた。
何が始まるんだろう。
期待しながら、言われた通りに背を向ける。
「はい。もう良いよ」
ドキドキしながら振り返ると、テーブルの上には四角い形のバースデーケーキが置かれていた。
真っ白なケーキの上には、ピンク色のうさぎの人形と、1と7の形をした火が灯ったロウソク。
「ほら、吹き消して」
樹くんが私の方にケーキを近づけると、ロウソクが燃える匂いがして、この場では私が主役なんだと実感が湧く。
秋人の病室では火気厳禁だから、毎年ロウソクは使わないんだよね。
「うん。行くよ」
ドキドキしながら、一息にふーっと息を吹くと、ロウソクの火は消えた。
「小春ちゃん、おめでとう」
樹くんは柔らかい笑みを浮かべながら、拍手してくれた。
「うん。ありがとう。嬉しいけど、なんかちょっと照れくさいね」
あまりにも優しい目をされるので、樹くんの顔を直視出来ない。
「ほら、食べて」
樹くんは布製のカトラリーケースから、フォークを取り出して渡してくれた。
なんと用意がいいのか。
彼とピクニックに行ったら、至れり尽くせりで楽しませてくれそうな気がする。
「樹くんは食べないの?」
「うん。俺は練習でも、味見でも食べたから」
少し照れたような樹くん。
この日のために、ケーキの練習をしてくれてたんだ。
パシャパシャと、さまざまな角度から写真を撮ったあと、マジパンで出来たうさぎちゃん人形をお皿の上に避難させる。
「ありがとう! いただきます!」
フォークを突き刺すと、真っ白なホイップクリームの下には、ふわふわのスポンジ。
その更に下には、スライスされたイチゴの層がある。
口に運ぶと、クリームの甘み、イチゴのきゅんとした酸味が絶妙なバランス。
スポンジの舌ざわりもなかなか⋯⋯
樹くんは、テーブルに上半身をつけて、上目遣いでこちらの反応を伺っている。
「一言で言うと幸せ!」
「そう。よかった」
安心したような樹くんの微笑みが、まぶしく感じる。
最後にマジパンのうさぎをポリポリかじりながら、幸せをかみしめる。
「そんなお洒落してどこ行ってたの? 弟さんのところ?」
もしかして樹くんは、昼間も部屋を訪ねてくれたのかな。
だとしたら悪いことしちゃったかも。
昼間はね、家族で過ごしたあと、光輝くんと⋯⋯
封じ込めていた嫌な記憶が一気に蘇る。
スマホを確認するも、返信はないどころか、既読にすらなっていない。
あーやば。さっきまで幸せな気分だったのに。
ここで泣いたら、おかしな雰囲気になるじゃん。
しかも、エスパー海星くんにまで、最低な誕生日を過ごしてるんだなってバレちゃうのに。
「小春ちゃん、どうしちゃったの?」
堪えきれずに泣き出してしまうと、案の定樹くんを困らせてしまった。
「ごめんね、樹くん。私が間違ってた。ごめんなさい」
せっかく忠告してくれたのに、私がそれを聞かなかったから。
「泣いてる理由はこれ?」
樹くんは私の左手首を掴んで持ち上げた。
そこにはイエローシトリンが揺れている。
「だって、私のこと好きだって。今日はお祝いしてくれたのに、行っちゃった。一華さんのところ。でも、男友達だって。嘘ついて」
ほら、だから俺は言ったでしょ?
自業自得でしょ?
そんな声が聞こえて来そうなのに、樹くんは何も言わなかった。
同情するような目で見つめながら、支離滅裂な私の話を、ただ、うんうんって聞いてくれた。
「樹くん、これ、外してくれない? 今の私、正気じゃないからか、上手くいかなくって」
樹くんは黙ったまま、ブレスレットの金具に触れて、そっと外してくれた。
なんとも言えない開放感と同時に寂しさを感じる。
話を聞いてもらい気分が少し落ち着いた頃、樹くんは帰って行った。
私が光輝くんに送ったメッセージは、その日の内に既読になることはなかった。




