第二話 不真面目なからす達
窓際にからすが一羽留まっていた。木枯らしに巻き込まれない様にしながら、カァと鳴くのがどこか物悲しかった。
自分に似てるかもしれない。そう思った矢先、からすの後ろからひょっこりと雛鳥が姿を現した。雀だろうか。
暫く、二匹はみゃあみゃあと囀っていた。からすは親のフリをしてるのか、雀を食べる素振りも見せない。
それどころか取った芋虫をあげてさえいる。……羽鳥を煙に巻いてしまった私とは似ても似つかない。
「優しいね……」
私はそう呟いて、使い込んだ机を撫でた。もうすぐ、部活動の生徒すら出払わなくてはいけない時間だ。
結局、今日も何もせずに居残ってしまった。慰める様な夕焼けが心地良かった。何もしないのは、案外健康に良いのかもしれない。
「ありゃ、まだ居る」
そんな感傷に浸っていると、教室の扉から志賀が現れた。彼女は私を見つけるなり駆け寄ってきて「教室閉めるから出なよ」と催促した。
志賀要は私と同じクラスの女子だ。性格は生粋のスポーツマンといったところで、脚の速さと明るさが持ち味。
表立った人気がある訳では無いが、密かに男子の視線を集めてるという話を聞いた事がある。とどのつまり、ムードメーカーって奴なのだろう。
私は「うん、分かった」とだけ言って鞄に荷物を纏める作業に入った。
「天音ちゃんさぁ」
「何?」
志賀の声に応えながら、荷物を鞄に叩き込む。教科書が原因かは分からないが、肩が外れそうだった。
そんな私を見るなり、志賀は「大丈夫?」と笑った。私は少しムッとしながら「大丈夫」とオウム返しで答えた。
「で、私がなにか?」
私がさっきの話の続きを始めると、志賀は思い出した様に「ああ」と言ってから切り出す。
「天音ちゃんって羽鳥さんの知り合いだよね」
「そうだけど」
羽鳥……。もしかして、志賀は先生に言われて彼女にプリントでも届けに行くのだろうか。
確か、今日は文化祭の出し物についてのプリントが配られたから、それを届けなくちゃいけないのだろう。不登校に逆戻りしてしまった彼女の為に。
「それで今日貰ったプリント届けるんだけどさ。家近い?もし、近いんだったら、天音ちゃんが渡してきてよ。そっちの方が喜ぶんじゃない?」
志賀はそう言うと、ニッと八重歯を覗かせた。何も事情を知らないというのは楽な物だ……と思いながら、私は彼女から目を逸らす。
それから、少し考え込んだ。今日は予備校がある訳では無いし、暇な日だ。こういう機会を逃せば、次に彼女に会う口実を見つけるのは難しいだろう。
「分かった。行くわ。けど、志賀さんも絶対来るのよ」
そう言って私が席を立つと、志賀は「なんで!?」と呆けた顔を見せる。ちょっと驚き過ぎたのか、中々強張った身体を動かせていない様に見えた。
「なんでって、貴女。内申欲しいんでしょ。陸上の推薦で学校入ったらしいし、足りない勉強の足しにでも使うつもりでしょ。羽鳥を」
「バレてたか。……なんで分かったの?」
私もそうだったから。そんな言葉が喉まで出かかって、辞めた。言った所で意味も無いし、始まりがどうであれ、私は上手くやってったんだから。
***
初めて羽鳥の部屋を見た時の感想は、やたらモノトーンだな……というくらいだったのを覚えている。
カーテンは白くて真っ直ぐで清潔感があって、部屋には白を基調とした勉強机と椅子が1組あるだけで、無駄な物は一切置かれていなかった。
隅にあるベッドには可愛らしい天蓋こそ無いものの、安眠は保証できる様に見える。そして何より目を引くのが壁一面に並んだ本棚だ。
その数は三桁に達しているのではないかと思う程に多く、中には漫画やDVDにゲームのパッケージ等、様々な物が収まっていた。
──あの時の私はなんと彼女に話しかけたのだろう?
覚えているのは、オドオドとした羽鳥のにやけ顔と仕切りに勧めてきたお茶菓子の味だけ。
苦い様な甘いような、とても不思議な味だった。部屋とも彼女とも似ていない、よそ者の味。
彼女はよそ者が好きなのだろうか?思えば、彼女らしさが出る物を部屋でも、学校でも見た事が無い。
他人から与えられた物を、ただ何となく「コレ、良いらしいんですよ」と勧められる子なのだろう。私と違って。
彼女は知りたくても、知り得ない存在。……だからこそ、私はもう一度会おうと思えるのかもしれない。
「うい。ここで合ってる?」
気が付けば、私達は羽鳥の家の前まで来ていた。志賀の問いに私はコクリと頷いてから、インターホンを押した。
ピンポーンという音が家の中で響くのが聞こえる。それから暫くして「はぁ〜い……」と気の抜けた羽鳥の声が返ってきた。
(ほら。返事、返事!!)
志賀が肘で私を打ちながら、囁く。対して、私はだんまりだ。出てしまえば、羽鳥が引っ込むだろうから。
志賀は観念したのか、「プリント届けに来ました〜」とだけ言って返答を待った。
少しして、羽鳥が玄関を開けて出てくる。いかにもな寝間着だった。相変わらず、放っておくと自堕落な奴だ。
「えと……志賀さんと……あ、天音さん!?」
羽鳥は私と目が合うと、大いに驚いてたじろいだ。更に、逃げ出す為にか玄関を閉めようとしたので、私は咄嗟に足をねじ込む。
羽鳥はそんな私を見て、気まずそうに目を逸らした。眠れない日々が続いているのか、目尻には深い隈が刻まれていた。
志賀が沈黙に耐えかねてプリントを渡すと、羽鳥はおずおずとそれを受け取って礼を言った。
それから暫く沈黙が続いた後、羽鳥が口を開く。
「こ、コレで要件は終わりですよね?それじゃ、失礼します……」
「いや、まだよ」
「え?」
怯える羽鳥の手を掴んで、私は強引に家の中へと押し入った。羽鳥は抵抗しようとも、本気で逃げようともせず、為されるがままになっていた。
「ちょ、ちょっと天音ちゃん!何してんのさ!?」
志賀が羽鳥の腰辺りを抱きしめて、私を牽制する。
こういう事を自然に出来る所を見ると、彼女がクラスの中心で人気を集めているのも分かる気がした。しかし、私は怯まない。
それどころか、家主に向かって「部屋へ着いてきなさい!」なんて言ってしまった。
かくして私は、事態が把握出来ずに困惑してる羽鳥と、着いてきたことを後悔し始めている志賀を羽鳥の部屋へと押し込んだのだった。
***
部屋はあの時と同じで、白を基調とした勉強机と椅子が1つずつ置かれているだけだった。シンプル故に個性の無い部屋。
隅にあるベッドもこれまた、安眠だけは保証してくれる簡素な作りの物だった。全てが半年前と変わりない。
見渡していた私に志賀が口を挟む。
「天音ちゃん。どーして、立て籠り事件を起こしてるんですか!家主が可哀想です!」
羽鳥もうんうん、と首を縦に振っている。勿論、二人の意見など知った事では無いが。
「そうね。強引なやり方でないと、もう話す事も無いと思ったからかしらね……」
私はそう言って、羽鳥のベッドに腰掛けた。志賀は何か言いたそうにしていたが、諦めたのか、床に座り込む。
それから暫くして、羽鳥が口を開いた。彼女は以前よりもオドオドとした様子で言葉を紡ぐ。
その目は私を見ている様で見ていない。どこか虚空を彷徨う様な目だ。……まるで幽霊でも見ているかの様に。
「話さない方が良いって言ったのはそっちじゃないですか……!私がどれだけあの後……!」
羽鳥の声は震えてるのもあって、泣いている様だった。……私は無自覚に、酷な事を繰り返すしか能の無い奴なのだな。
「そうね、そうよね。所でさ、……今もあの時と同じ気持ちなの?」
「え……!?」
羽鳥は耳を真っ赤に染めて、目を丸くした。相変わらずの純情な反応に、私は思わず微笑んでしまう。
「驚き過ぎよ。私は質問しただけじゃない?……で、どうなの?」
指摘されて恥ずかしくなったのか、彼女は私が笑ったのを見て更に顔を赤くした。そして俯きながら弱々しい声で答えるのだった。
「天音さんは、どうあって欲しいんですか……?」
羽鳥を可愛い奴だなと思うと同時に、改めて綺麗な子だと思った。純情な所も含めて。
そんな羽鳥を見て、志賀は何かを感じ取ったのか「それじゃ、私はこの辺で」と言って逃げようとした。
しかし、私は志賀の手を掴んで逃げられない様にした。すると、志賀は怯えながらも少し怒った顔で私を見る。
「何すんのさ!気を利かそうとしてやったのに!」
「変な噂を広められない様、共犯にしてやろうってだけよ」
「えぇ!?ちょっと、そりゃ無いよ」
私が紐で志賀を縛り、逃げられない様にしている間も羽鳥は顔を赤くして俯いたままだった。
志賀がムキになって手足をバタバタさせているのを見て、少し可哀想に思えてきたのと、もう良いかな……という気待ちが同時に来た。
私は羽鳥の顎を掴んで上を向かせながら言うのだった。
「羽鳥、私と悪いことしない?」
羽鳥は黙って、頷いた。私はふふんと笑いながらそれを確認すると、ベッドを叩いて羽鳥を呼ぶ。
そうして二人並んで、縛られた志賀を見下ろす形で、私は口を開いた。
「私は今まで、沢山の嘘をついてきました。真面目な優等生の嘘。不登校児を救って見せる偽善者の嘘。未来ある受験生の嘘。……全部、大噓。本当の私は、不真面目なからすなの。社会に溶け込める訳でもなく、自分の物を誰かに譲れる器を持っている訳でも無い。そんな、弾かれ者。自分の悩みにすら、見放された馬鹿なからす……。努力する気なんて起きないし、夢を見る気にもなれない。でも、社会はそれを求めるのよ。だったら、不真面目なからすは生きていけないわ。ただ、恨み節を連ねて、死んでいくだけ。そんなの私、嫌だわ。だからね……社会にちっぽけな反抗をしてみることにしました。良いでしょ、別に。他のからすだって真面目な顔して好き勝手やってるんだし。私にだって……やりたい放題やる権利ぐらいあるわ」
私はそう言うと、羽鳥の前髪を上げる。その顔は真っ赤な点を除けば以前と変わらず、トロンとした眠そうな物だった。その目が私を見つめてる。
そして私の指は、彼女の頬をなぞる様に優しく触れるのだった。
『私は彼女を愛してはいない。ただ、承認欲求を満たしてくれる者に餌をやってるだけ。──全ては社会が嫌いな私の為。』
思い付いたので続き。次回はR18になるだろうから、投稿し直すかも。