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17. 兄姉たち

―出てきなさい。


 シャチの王子の声が、深海の姫を呼んだ。


 隘路(あいろ)を抜けて洞窟から出ると、外の水が清々しく感じられた。


―夏が終わった。宮廷は北の海へ移動する。父たちは先に行った。俺はお前の護送を仰せつかったんだ。行きなさい。


 逃げ出すつもりのなかった深海の姫は耳を疑い、シャチの王子を見つめた。兄は眉を思いきり(しか)めて、妹を見ている。


―海では誰もが自由であるべきで、何人(なんぴと)たりとも閉ざされ囚われているべきでない。大体、お前の咎が何であったか、俺は知らん。


―王宮へ、人間の魂を連れてきたからだと思っていたわ。


―あれが海にいるのも必然だ。海に間違いはない。だから、王宮に来たことも咎めるべきではない。


 シャチの王子は続けた。


―あれを消し去ることは王にも出来ん。だから海より深い場所へ追放された。あすこなら、お前の方が俺より詳しいだろう。


―彼はまだ、どこかにいるのね。


 深海の姫は自分に言い聞かせるように、呟いた。


―来い、群れの若いのに海溝まで送らせよう。


―その前に、行きたい場所があるんです。お兄様も来て下さったら、心強い。


 シャチの王子は首を傾げた。


―危ない場所にでも行くつもりか。


―いいえ。でも、二人の方が良いと思う。




 深海の姫が兄と向かったのは、蛸の姫の住処だった。金色の海藻の森を抜けると、小さな海老たちが急いで、奥へ逃げるように泳いでいった。


―俺たちが来たのを知らせに行ったな。


 あいつが逃げないといいが、とシャチの王子は呟いた。


―不仲なの。


―いいや。


 あいつは誰が来ても逃げるんだ、とシャチの王子は眉をきゅっと(しか)めた。




 金色の海藻の森をそろそろ抜けようかという頃、行く手から、言い争うような声が聞こえた。


―先客がいるようだ。


 深海の姫を振り返ったシャチの王子は呆れていたが、ほっとしているようにも見えた。


 蛸の姫の住処へ向かう亀裂の前にいたのは、海月の姫、鰯の王子とイルカの姫、それから勿論、蛸の姫だった。蛸の姫は威嚇するように八本の脚を大きく広げ、腕を組んで、きょうだいたちを睨んでいた。


―勢揃いだな。


 全員揃うのは初めてではないか、と付け足したシャチの王子はなぜか、愉快そうですらあった。


 シャチの王子の声に振り返ったイルカの姫が、深海の姫を見つけるや、勢いよく飛び出して彼女に抱きついた。


―ああ、お兄様が連れ出して下さったのね!


―お前たち、妹を助けるのに、こいつが当てになると思ったのか。


 シャチの王子はため息をついた。


―最後の切り札だと思ったのよ。この子が出てきたら、お父様も耳を貸すんじゃないかと思って。お兄様に説得ができるとは思わなかったわ。


 海月の姫は肩をすくめた。


―父は俺に、妹の護送を任せたんだ。説得はしていないが、俺が妹を逃すのはわかっているだろう。父とて海には逆らえん。


―じゃあ、用は済んだだろ。


 解散解散、と蛸の姫は、しっしっと片手で追い払う仕草をしながら、住処の方へと後退しようとした。


―お姉様、待って。


 追い(すが)ったのは、深海の姫だった。蛸の姫は片眉を上げた。


―宮廷での話はさっき、こいつらから聞いたよ。なんだい、何か魔法でも入り用かい。


 蛸の姫が聞くと、深海の姫は首を横に振った。


―海の底へ行く前に、話を聞いて欲しいの。蛸のお姉様だけではなくて、みんなに。


 兄姉たちは顔を見合わせた。蛸の姫だけは、その金の眼で深海の姫をじっと見つめて、逸らさなかった。


―私の話ではなくて、……美しい人間に恋をして、海の泡になってしまった姉様の。


 兄姉たちの表情にはそれぞれ、違った影が差した。深海の姫は、ぎゅっと握っていた左の手のひらを開いた。白い手のひらの真ん中には、淡い七色に光る、丸い宝玉があった。


―海に間違いはない、って兄様は言った。私もそう思う。玉座の下に囚われなければ、これは見つけられなかった。


 深海の姫は落としてしまわぬよう、宝玉を手のひらに握り、順に兄姉の顔を見た。


―私が海から貰った使命は、死んだ人間の魂たちの声を聞くこと。それからたぶん、彼らが無に還れるように手助けをすること。時には、誰も知らない彼らの物語を、誰かに伝えること。だから、私に託された物語を、聞いて欲しい。


 シャチの王子は蛸の姫が逃げ出すのではないかと、彼女の方を伺ったが、蛸の姫は静かに、深海の姫を見つめていた。


―死んだ妹の話を聞いて、何になるんだい。


 蛸の姫は、冷たく言い放った。


―何になるか、ならないかはどうでもいいの。私は死んでしまった姉様を、送ってあげたいだけ。死んでしまったお姉様は、ほんのしばらくだけ人間として生きたから、人間の魂をほんの少しだけ持っていたの。海の命は失われるだけだけれど、紛い物の人間としてしか生きられなかったお姉様の魂は、無に還れなかった。深い後悔と思い残したこと、それから海の命の永遠が、お姉様の魂を結晶にしたから。泡の中から拾い上げて、夏の宮廷の玉座の下に隠したのは、


―私よ。私が、あの子の最期を、見届けた。


 海月の姫が、呟くように言った。


―この話が本当かどうか、私は知りようがない。だから、みんなに聞いて欲しい。


 シャチの王子は頷き、蛸の姫を横目で見た。逃げないよ、と蛸の姫は苦笑いした。


―いいよ。聞いてやる。


 ありがとう、と深海の姫は頷いた。そして目を閉じ、手のひらに握った宝玉を耳元にかざして、その声に耳を傾けた。

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