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竜よ  作者: みやびつかさ
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07.ふたつの実、二輪の花


 ――花は種を残すか、実を結ぶもの。だけど、にがく酸っぱい実になるくらいなら、甘いまま散るほうがましだ。


 わたしとリリエはずっと昔からそうだったかのように、これが本来のわたしたちだと信じるように、長い時間をいっしょに過ごした。


 白ルセナの花園だけでなく、両村がともにお世話になっている川や秘密の泉、ときには木こりや狩人、森を借りる「精霊びと」がやってくる恐れのある場所にまで行動範囲を広げた。


 密会を知られれば竜の来る日まで監禁、なんてこともありうるかも知れない。

 けれど、これ以上あの花のにおいの充満する空間にいると、わたしたちは気が変になりそうだった。……もうなっていたのかもしれないけれど。

 それに、竜の贄となった者は村の一員としての仕事が免除されるから、お互いに暇を持て余していたし。


 リリエは森が好きなようだった。森も彼女を好いている。

 彼女を襲う虫や獣はおらず、かき分けられる枝葉までもがしなやかに努める。

 普通ならば人間は森を恐れる。だから斧を持ち、火を持ち、森を傷つけなければならない。


 わたしたち「精霊びと」はそうじゃない。だから、リリエとわたしは同じだ。


 苔むした大樹の根を手を繋いで乗り越え、膨らむつぼみや青き結実を見守り、小さな木の実を分けあい転がす。

 ひと房に必ずふたつの実をつけるその果実は、熟せばまっかになる。

 それはまだ、わたしたちのように酸っぱかった。


 わたしはその実の茎を使って、村に伝わる魔除けのおまじないを教えた。


「これ、私の村にもありますよ。魔除けじゃないですけど……」


 小指に茎を結んだ少女は少し上気しているようだった。

 彼女はわたしの手を取り、自分の食べたぶんの茎を結んでくれた。


「これでおんなじですね」


 リリエは「ルセナさんとおんなじ」が大好きだった。


 花の名前、小鳥の名前、獣たちの名前。

 これらはどれも「精霊びと」と「人間」で呼びかたが違ったけれど、彼女は二度目からはわたしの呼びかたで呼んだ。


 精霊が光の玉となって漂う泉のほとりに座り、お互いに「ものの名前」を挙げあう。


 お皿、ナイフ、フォーク。これは同じですね。

 マップルとモレンジは、なんだか分かりますか?

 ジャガイモとコブシイモは「イモ」の部分だけ同じですね。

 「ジャガ」って、どういう意味ですか? え、ルセナさんも知らない?

 マフィンはおいしいですよね? ええっ、そちらではそういう意味なんですか!?


 口元を隠してくすくす笑い。歯を見せてころころと肩を弾ませる。

 まっかになって、へへへと照れ笑い。

 同じ笑いでも色とりどり。いつの間にかわたしもつられて笑うようになる。


「私、ルセナさんの笑顔が大好きです」


 彼女がわたしに合わせてくれたはずなのに、どちらだったか分からなくなる。

 わたしの二百年慣れ親しんだ森までもが、その景色を変えるような気がした。


 春風のように包みこんでくれるリリエにも、意外とひょうきんな一面があった。


「見てください。耳長オサギのまね!」


 オサギは草むらの向こうを警戒するために高く飛び跳ねる。

 人間の少女は両手を頭の上で耳に見立て、腰を曲げた姿勢のまま、ぴょんと跳ねた。彼女は着地に失敗し、派手に尻もちをついて草の上へと転がってしまう。

 弾みで肺から飛び出た空気がリリエに変な声をあげさせ、わたしを笑わせた。


「そんなに笑わないでください! 笑うならルセナさんもやってみせて!」


 風に揺れる木の実のように頬染め、怒るリリエ。

 わたしも習ってオサギになる。

 上手にやってみせたら、なぜか追加の文句を投げつけられた。

 ちなみにこのとき、リリエは腰を下げて両手をつき出し、転げたわたしに向かって駆け寄る準備をしていたようだ。


 懐かしかった。

 小さなころ。ずーっとずっと昔。わたしは耳長オサギのまねをしてよく遊んだのだ。

 同年代に子どもはいなかったから、周りはみんなおとな。

 トマですら、わたしの身体がおとなになってから生まれている。

 おとなはいつもわたしを叱るか、掟について口うるさくするばかりだった。


 ひとりでいろいろな遊びをしたものだ。

 オサギのまねをしたのも、もこもこの体毛とつぶらな瞳が可愛くて、仲良くなりたかったからだった。


「私もひとりぼっちのことが多かったんです。だからよく森に出かけて。森って、静かなようでけっこう賑やかなんですよね。精霊も、生き物たちも」


 わたしはうなずき、同じように寂しかったんだと知る。

 子どものころはほんの一瞬だったけど、いつも何かに期待して、なんにでも興味を持っていたことも思い出した。


 あのころは一日一日が色濃くて、人間もまだ嫌いじゃなかった。


「私もです。初めて耳の長い人を見たときは、どきどきしました!」


 わたしが人間嫌いになったのはあれだ。ピオンがうるさすぎたからだ。


 少し前にリリエに問われたときには否定したけど、わたしの母は産後に死んでいたし、村長のピオンが親代わりをしていたんだ。

 危険な獣や毒のある植物、機嫌の悪い精霊を見分けられなかったわたしを助け、引っぱって村へと連れ帰り、えんえんとお説教を聞かせてくれていた。


 とりわけ、人間に会いたがったときには説教が長くて、百回は「人間には会いません」と誓わされて、飲まず食わずの説教だったからお腹と背中がくっついて、干からびそうになって、粗相までして、それもすっかり渇くほどだったのに解放してもらえなかったことがあった。


「そ、それは酷いですね……」


 リリエも苦笑いだ。

 わたしの人間嫌いはあれのせいだ。ピオンめ。屈辱を思い出したわたしは草食のオサギではなく、それを追いかけ食らうニャオーンが遠吠えるまねを披露した。


 リリエは目をまんまるにして、お腹をかかえて笑った。

 それだけに飽き足らず、草の上に膝をついて、こぶしで地面をばしばしと叩いた。

 もう、笑い過ぎ!


 わたしはおしおきに彼女へ飛び掛かり、ふたりして仔ニャオーンに成りすました。

 リリエの柔らかなお腹に顔を埋め、息をいっぱいに吸いこめば、思わず眠りに誘われた。陽が傾いてしまい、もったいないことをしてしまったと後悔したこともある。

 リリエも初回こそはベッド役を務めて、わたしの髪を撫でて暇を潰してくれたようだったけど、やはり時間は貴重なものだと意識しているらしく、次からわたしが寝入りそうになると、くすぐって起こすようになった。

 以来、わたしも眠いときは同じたわむれでも小鳥が餌を分けあうのをまねるほうを選ぶようにした。


 本当に幸せな日々が続いた。


 わたしは毎朝、花や食事を探すていで村を出るとき、東側に行かないふりをする。

 それでレモナの家のそばを通るのだけど、植えられた木から漂う香りを嗅ぐたびにお腹が鳴るようになって難儀をした。


 リリエがお弁当に持ってきてくれたパンに、その黄色い果実と樹液で作ったジャムが塗られていたからだ。


 あれは本当においしかった。今でも機会があれば好んで口にする。

 リリエもレモナの実のジャムが大好きらしく、彼女のお腹が少し柔らかいのと、くちびるからもたまにその甘酸っぱい味がするのはつまみ食いのせいらしかった。


 ちなみに、ルセナの球根も食べられる。

 香草といっしょに蒸したり、ヘマゴ油で揚げるとほくほくしておいしい。


 リリエにそれを教えると、翌日にはそれを作って持って来てくれた。



 ……本当に、本当に幸せだった。



 竜はまだ来ない。


 南の谷から竜が発った連絡は届いていたが、時期的にはこの森の精霊が最盛を迎えるのはもう少し先だろう。

 竜は季節を追いかけるように世界を飛び回り、その地がいちばん潤っているときに降り立つものらしいから。


 まだ来ない。そうでしょう? 竜よ。


 問うもわたしは疑いもしていない。

 わたしにとっての世界は、自分の村と森と、リリエだけだったから。

 わたしたちのあいだに溢れるのは生で、竜が忍びいる余地なんてないのだから。


 お互いに竜については口にしなかった。

 わたしはリリエの父のことも訊ねなかったし、リリエも母のことを聞かなかった。


 それから、あの日に花園でくちびるを重ねた真意も。


 口にすれば、ふたりで育てた花が散ってしまう。

 そんな気がしていたから。


 だけど、そもそものところ、これは実を結ぶことのない花だった。

 わたしは知りたい。そんな花は、いったいなんのために咲くのだろうか。


***

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