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竜よ  作者: みやびつかさ
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05.小さな秘密


 ――掟は何かを守るためにあるもの。だったら、死にゆく者もそれを気にするのはなぜなのだろうか。


 このころからわたしは重ねて掟を破り、ピオンやほかの仲間に対して秘密を持つようになった。

 破ったどれもが人間にまつわる掟だったけれど、今となってはそれまでのわたしが掟に従順だったのか、単に人間嫌いの性格が掟に沿っていただけに過ぎなかったのかは分からない。


 前者だろうか? ロズナは人間が好きだったけど、そもそも規律に甘いところがあった。例えば、トマが村にいるときにほかの男と話したり、夜の営みの成就を助ける薬をこっそり捨てたり。それだけでは掟破りとは言えないけど、わたしはそれをうるさく叱っていたのを思い出す。


 でも、今となっては彼女の気持ちが分かる。破戒の境界に触れたり、それが見えるところに立つのが面白かったのだろう。


 花探しという口実を設け、わたしとリリエはお互いに境界を越えあった。

 森の東側については、わたしたちの村と人間の村との中間地点よりも向こう側に行くことを禁じられている。その禁じられた領域に少し入ったところに、白いルセナの群生地があった。


 小屋がニ、三件建てられるかという程度の広場で、そのあたりだけ木が無かった。

 木が無いといっても伐採された痕跡もなく、なんとなく精霊も居心地を悪そうにしている窪地だ。日当たりはいい。


 わたしは例年よりもひとつ多めに白い花を髪に飾った。ひとつめはリリエが挿してくれ、ふたつめはみずからの手で。小さな罪を犯したことを、村の風習で帳消しにできる気がしたから。


 白い花の中から青いものを探す。見れば無いということは、ひと目で分かる。

 それでも、わたしたちは毎日その花園に座っていた。


 リリエはわたしや精霊びとのことについて聞きたがった。わたしはそれほど訊ねなかったけど、彼女は自分のことや人間のことを話した。


「えっ、二百年!? 私と同じくらいに見えるのに……」


 人間の少女は目をまんまるにしていた。

 わたしたちは老いない。

 肉体的に成熟すれば、あとはずっと同じ見た目を保ち続ける。


 暮らしぶりもゆっくりとしており、時の中をたゆたうように生きる。

 森から借りて、森に抱かれたまま、森を見つめる。


 太陽が空へ昇って、木々の中へと沈み闇が訪れ、月の満ち欠けを数える。

 根雪を分けた芽吹きに背伸びをし、朝露が溜まり零れるのを眺め、精霊盛る夏を歓迎し、実が落ち腐り、再び眠りの深雪(みゆき)へ。


 寒い冬なんてほとんど寝て過ごす。冬眠というわけじゃないけど。


 とざされた世界。静かで平穏な。


 ピオンのような代表者は、近隣の人間やよその同族の集落まで足を延ばすこともあるけど、わたしなんかは森から出たことすらなかった。


 ぐるぐると繰り返すばかりだ。


「精霊学では精霊の流れは繰り返しの円環ではなくて、うずまきと考えるそうです」


 少女が指をくるると回して語る。

 リリエは博識だった。人間お得意の「学問」で精霊への理解も高かった。


 精霊もこの大地も、いつも同じように見えて、繰り返すたびに少しづつ変わっていく。単なる周回ではなく、いずれ何かに収束し帰結する。

 変化が小さすぎて、大抵の生き物の寿命では感じられないから、ただの輪だと勘違いしてしまうだけ。


 惜しいけど、それは少し違う。世界の循環をたとえるなら、輪を描き、次第に線が薄まり、起点に戻ると同時に消失してまた始まるという理解が正しい。


 けれど、わたしは訂正しなかった。

 リリエが「帝都にある精霊研究所に務めるのが目標だったんです」と言ったから。


 沈む夕陽を眺める横顔。遥か西に帝都を見ているのだろうか。

 夜に近くて遠い黄昏の中で、彼女の夜色の髪と瞳が輝く波を浮かべていた。


 そして、声の裏側に悲しいにおいを知る。

 またこの香り。わたしは胸を鷲づかみにされる。

 だけど彼女が「そこに行けないこと」にほっとしてる自分もいた。


 死んだロズナの腕をつかんでいたローブの男を思い出す。

 人間は精霊を識り、竜よりも上に立とうと考えている。


「竜は精霊の行きつく先のひとつで、竜の心臓へと引き寄せられます」


 だから竜は強い。暴れて無闇に何かを壊さないように、規則正しく回ってもらう。

 そのための竜の贄だ。


「けれど……」


 リリエは言う。精霊を従え集め続ける竜はどんどんと強くなり、贄を差し出す悲しい輪から抜け出すことがどんどんと難しくなっていく。円環。

 私たちと竜は分かりあえないんです。きっと、いつか滅ぼされてしまう。うずまき。


「でも、竜を殺そうとは思えないんです」


 わたしは訊ねる。

 人間の悲願のひとつは竜殺しだとピオンが言っていた。


「輪から外れる方法はほかにもあるから。だけど、きっと誰かが竜を殺してしまう気がする。そのとき、行きつく場所を失った精霊たちがどうなるのかが気になって」


 変な子だ。すべての生き物に傍若無人に振る舞う竜のいのちの心配をして、精霊の行き場までも気にするなんて。

 精霊は水と同じだ。大地から湧き、空に還り、雨となって地に降り注ぐ。

 誰かにすり寄り、宿主が食われるか死んで朽ちるかすれば、またよそへ。

 竜だっていつかは死ぬ。寿命の無いわたしたちにすら、永遠なんてない。


「竜に惹かれる精霊は怒りに染まってしまいます。水だって汚れたら困るでしょう?」


 やっぱり、リリエは不思議な子だ。

 初めての気色。蒼い瞳の奥の炎と、新しく嗅ぐにおい。


 反論されたというのに、わたしは少し嬉しかった。


「竜から解放された精霊は、いつか穏やかに戻れるのでしょうか」


 怒れる精霊に呑まれた生き物は「魔物」と呼ばれるようになる。

 魔物は死んでも、精霊は怒りを蓄えたまま世界へと散るのだ。


 ほかの存在を害する者への心配までするなんて。

 リリエには思うところがあるようだった。


 けれど、わたしは彼女の話を聞いているようで聞いていなかった。


 目と耳、それから鼻も使って彼女を探ることに意識を傾けていたから。

 どんな些細なことでも、新しい側面を見つけるたびに、もっと深く知りたくなる。


 リリエは黙りこくり、見つめている。その先には精霊溜まりがあり、か細くも確かな光の玉がちらついていた。


 わたしはその横顔を盗み見る。


 前髪と長い髪の端は綺麗に切りそろえられ、右のもみあげのあたりには編みこんだ髪が垂れていて、人間のまるっこくて可愛い耳が露出している。

 瞳はわたしが話すときは必ずこちらの視線と繋がろうとし、自分が話すときは白いルセナがそよ風に揺れるのを眺めた。

 知的で理屈張りながらも、どこか矛盾を孕んだ言葉をつむぐくちびるは、淡く色づき、動くたびになんとなく触れてみたい衝動を誘う。

 吐息が漏れ出るたびに、あたりに充満した香りとまじりあい、わたしはそれをこっそりと肺の中に溜めこみ、もてあそんだ。


 時を重ねるたび、わたしの名を持つ花の香りがリリエと重なっていく。


「あの……ルセナさん? さっきから何を嗅いでらっしゃるんですか?」


 わたしは眼前に広がる花たちを嗅いでいると答えた。

 嘘が下手だ。わたしたちが鼻もいいことは彼女も知っているし、ルセナの花の香りは嗅ぐまでもなく充満していて、むせかえりそうなほど甘ったるい。


 リリエはそこで精霊学の話をやめてしまい、わたしの髪へと話題を移した。


 ……このときの彼女はとてもいじわるだった。


「思ったのですが、目立ちたくないなら、いっそ花を飾らないほうがいいんじゃ? 見られれば精霊びとだってばれますし、髪もいじって耳を隠すようにしたほうが……」


 密会のための提案としては悪くなかった。でも、このときのわたしはまだそうする気にはなれなかった。「精霊びと」と「人間」は別の生き物だという、「ルセナ」と「リリエ」はべつべつだという、はっきりとした境界線を引いておきたかった。


 だけど……。


「ルセナさん! 髪に何か潜りこみましたよ!」


 リリエが慌てて言う。わたしたちは「髪で育てる」ほどに草花を飾ることもある。そうなると虫が寄ってきて入りこんでしまうのも珍しくない。


 どこぞの無精者は「飼っている」とうそぶくくらいだけど、わたしは虫につかれるのがとても嫌いだった。ここはルセナの群生地ということもあり、蜜を集めてぶんぶんと毒針で威嚇する種類のものもいて気にはなっていた。


 リリエが取ってくれるというから、わたしは本当に哀れっぽい声でお願いした。

 彼女がわたしの背後に回りこみ、指が髪をかき分け、地肌に触れる。


 そんなに深くに入りこんだの? もしかして羽虫とかじゃなくて、足がやたらと多い種類が絡みついているのかもしれない!


 リリエは両手を使ってわたしの頭を確かめる。


 ……それから、くっと頭に何かが押しつけられ、露骨に息を吸う音が続いた。


「こうすると、ちゃんとあなたのにおいもあるんだなって、分かりますね」


 わたしは騙されたことと、何年振りか分からない他者との密着に、耳の先まで熱くした。


「あっ、赤くなってる!」


 彼女の指先がわたしの耳先をなぞった。

 先端に届いたときに思わず首を縮めてしまい、笑われる。


 嗅ぎまわったことへの仕返しだったらしい。

 今思い出しても頬の熱くなる思い出だ。けれど、耳の先が熱くなることはもう無い。


 リリエは乱してしまったわたしの髪を手櫛で整え、梳くたびに「ルセナの甘い香りがしますねー」と言った。

 それは花のことなのか、わたしのことなのか、あえて曖昧に言っているようだった。


 わたしは自分のにおいを知らない。

 ピオンが草葉の中に居座りすぎて森と同じにおいと気配になったように、わたしはわたしを区別できない。

 だけど、リリエがわたしに触れるたびに彼女の香りと混ざりあえば、おぼつかないなりに、わたしにも自分のにおいがあるのだと認識できた。


「仕返し」


 リリエが唐突につぶやいた。心地のよい手の動きも止まる。


「もし私が帝都に行っていたら、あなたたちの仲間に仕返しをされていたかもしれません」


 ……リリエはちゃんと分かっていた。

 帝都で精霊を研究している人間には「精霊狩り」をしている連中もいる。



「ごめんなさい」



 謝るべきはあなたじゃない。わたしは体温が離れたのを感じて恐怖し、すぐに彼女をつかまえた。


 また新しい表情。だけど、見つけても嬉しくない。

 互いの息が掛かる距離。わたしの中にリリエが充満する。


 彼女はもう一度謝る。


 それから、


「隠してました。私のお父さんも帝都で……」


 わたしは彼女をルセナたちの中へと押し倒した。

 言えないよう、無関係な罪を吐きだせないように、その口を手のひらでそっと塞いでやった。

 手とくちびるのあいだに、大きな花びらがひとひら挟まった。


 わたしは訊ねる。だから、竜に選ばれようとしているのかと。


 リリエは首を振りもうなずきもしなかった。ただ、髪と瞳が夜を作り続けるばかりだった。


 そのままずっと見つめ合った。

 陽が沈み夜が訪れても、彼女は悲しく香り、鼓動は乱れ続けていた。

 わたしはそっと彼女の口から手をどけて、手に繋ぎなおす。


 彼女の指のあいだにわたしの指を忍びこませ、固く結んだ。


 これは「仕返し」じゃなくて、「お返し」。

 わたしとリリエのあいだに挟まったのは庭の小石じゃなくて、濡れてくっついた花びらだったけれど、いつか彼女がやってくれたように、わたしは大丈夫だよと返す。


 でも彼女は、わたしの手をきつく握り返すと、泣きだしてしまった。


 たっぷり泣いたあと彼女は起き上がり、精霊の光で照らして「手紙」を見せた。


 ……あいにくわたしは文字が読めない。

 わたしたちの種族にも大昔は独自の文字があったが、誰もが無精で伝えなかったため、どこの集落でも読めない本だけが長の家に転がっているのが大抵らしい。


 だからそれは、リリエがみずから読み上げなければならなかった。



 村の近くで仕事があるんだ。ついでに一度帰るよ。

 きみに聞かせたい話がある。都であった面白い話や、魔物退治の伝説だ。

 もちろん、おみやげも持って帰るよ。


 愛する我が娘へ。



 ……約束の日は過ぎていた。

 リリエは父からの贈り物をもらうはずだったその日に、贄の役目を受け取った。

 彼女の村の長はいっぺんにふたつの死を届けたのだ。


 少女はもう一度泣く。わたしに触れて欲しいようだった。


 できなかった。精霊が照らす彼女の髪色、どこかで……。


 わたしは「仕返し」という名の罪の矢じりが胸へ刺さったのを感じた。


***

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