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竜よ  作者: みやびつかさ
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04.花をあなたと


 ――わたしたちは隣り合って暮らしてはいたが、呼び名すらも共有しなかった。


 リリエにはわたしたちの村には来ないように念押しをしておいた。


 いい返事だった。絶対に近付かないと約束してくれた。

 彼女は「ルセナさんにご迷惑はお掛けしません!」とまで言ってのけた。


 ……うそつき。

 あのときの彼女の顔は、今思い出しても口元が緩んでしまう。


 次の日の朝。朝陽を浴びて背を伸ばしていると、説教女が現れた。


「ずっとうろついているぞ」


 こいつは村の東のほうを顎でしゃくって済ませた。

 雑だ。ピオンはそれだけ言うとあくびをして自分の家へと引っこんでいった。

 腹が立ったので行きがけに彼女の家の周りに、「しつこい雑草の根」を捨てておいた。わたしが特段意地が悪いわけじゃない。みんなやっている。

 彼女が無駄な説教をするたびに無精者の家は森と同化していく。


 わたしたちは森の空白に家を建てて暮らしている。

 何万年も昔から植物や精霊とともにあるのがわたしたちだ。

 それでも、自分たちの領域は守りたいもので、自宅の周りに好みでない草花や主張の強い根っこがあることを許さない。

 「精霊びとの趣味は昼寝と草むしり」と人間は揶揄するらしいが、当たらずとも遠からずだ。


 それぞれの家は個性に溢れている。

 ピオンが雑草屋敷なら、リュウラの庭にはいつも獣の革が干してあるし、レモナの家の周りには彼女と同じ名の黄色い実をつける木が酸っぱい香りを漂わせている。


 ……わたしの家には花の死体。


 断言しておくけれど、わたしが特別へたくそなわけじゃない。

 わたしたちは森から借りたり分けてもらったりしてやっていっているので、何かを育てる習慣がないのだ。

 人間のようにクワを振るって、雨や日照りに一喜一憂したりはしない。


「早く行ってくれ。贄のつがいの役目だろう」

 雑草屋敷が何か言った。


 わたしは長に向かって舌を出し、トマの家の前では耳を塞いで村を出た。


 森に入ってから意識的に耳や鼻を使ったものの、リリエの気配を感じない。

 ピオンの聴覚がわたしよりも鋭いせいだろうか。


 木の根間隔でニ十本ほど進んだのちに、ようやく人間の音を感じた。

 枝折って茂みを移動したり、木に斧を叩きつけたりするような音じゃない。

 リリエはそんなことをしないだろう。

 だが、彼女の作る気配は誰よりもうかつで、森では推奨されないものだった。


「……セーナさーーん」


 少女の声。

 遠くに聞こえるそれは、ほとんど土と草葉に吸いとられてしまっている。


「ルーセーナさーーん」


 わたしを呼んでいる。その声音はとても親しげだ。

 ルセナさん、ルセナさん。繰り返し、繰り返し……。


 わたしが誰かに会うために走るなんて滅多にないことだった。


 ……ううん、この少し前にもあったっけ。


 わたしは赤い花の友人を胸中に見る。

 ああ、ロズナ。あなたはなぜ、人間に近付いたの。

 思い起こせば、彼女は無断で人間と話したことをわたしによく自慢していた。

 わたしがもっと口酸っぱく言っていれば、死なないで済んだのだろうか。


 繰り返しの悔恨。

 友を殺した人間が憎い。永遠のときを塗りつぶす死が恐ろしい。


 ……けれど、わたしは薄情だった。罪深くすらもある。やはり魔物だ。


 友人の死を悼みながらも、また笑っていたのだ。

 言い訳をさせてもらえば、それは単につられただけだったのだけど。


「あっ、来てくれた!」


 リリエはわたしを見つけるなり、ほろろとだらしなくほどけた。

 本当に嬉しそうな顔だった。

 わたしは努めて表情を引き締め、説教女のお得意を借りなければならなかった。


 森の深いところには危険な獣がいる。精霊をたくわえて育てば、通常よりも大きな個体になりやすい。

 その場合は精霊たちの気分次第で小さなハツカヒズミですら猛獣と化す。

 それが腹をすかせたニャオーンだったりしたら、またたく間に食い殺されてしまう。


「大丈夫ですよ。動物たちとは仲良しですから」


 リリエは「ウニャーン(・・・・・・)の背中に乗せてもらったことがあります」と言った。

 人間のあいだではニャオーンはそう呼ばれているらしい。

 ニャオーンは気難しい獣だけど、より多くの精霊を従えているのを見せれば懐くのもありえなくはない。ニャオーン好きのヒガンが生きていたころには、村に出入りしていた個体もいた。だけど、人間の精霊の扱い程度では難しいはずだ。


 リリエは訊ねずともその疑問に答えた。


 彼女はずっと両腕を身体のうしろに回していた。

 その片方をわたしの前に差し出し、手のひらの上に「強い光」を宿してみせた。

 その光にはいくつかの淡い玉まで混じっている。個を形成するほどの大量の精霊。


「ね、大丈夫です」


 わたしだって今日は少し精霊を寄せておいたが、彼女のほうがよほどだった。


 まるで「竜に選ばれるのは私です」と、念押しをしているような……。


 これはのちに勘違いだったと分かるのだが、このときのわたしは、リリエが取った行動のせいで、彼女への興味を一気に失いかけていた。

 思ったよりも俗っぽいな。人間がおのれの力を誇示するのはありがち、リリエもその同類だったんだなって……。


 ところが、品位に欠けていたのはわたしのほうだった。


 リリエがもういっぽうの腕もわたしに差し出した。

 その手には小さな植木鉢。彼女は精霊を散らすと、両手でしっかりと鉢を支える。


 わたしはそれに植えられた花の名前を思わず口にしてしまった。


「ルセナ? あなたの名前?」


 リリエが首をかしげると鉢の中の白い花も同じ姿勢を取った。


「そっか。わたしたちとは呼びかたが違うんですね」


 彼女はそう言うと、口の中で何度もわたしの名前を転がした。


「ルセナさんの髪と同じ色のルセナです。これ、差し上げます」


 にっこり笑顔。


 受け取っていいものか迷う。でも、喉から手が出るほど欲しい。

 人間の物をもらうのは掟で禁止されているのだ。


 わたしは言い訳を探していた。


 竜が恒例通りの行動をしているのなら、リリエとの関係も月の満ち欠け一、二回程度で終わるだろう。

 そもそも、ルセナの花はこの森に生えていたものだろうし、人間の物といえるのは植木鉢くらいだろう。焼いた土だって、もとはその辺のものかもしれない。


 わたしが礼とともに禁を破ると、リリエは「精霊びとに品物をあげるのは禁止されてるんですけどね」と言って笑った。


 それから、「大事にしてくださいね」と付け加えた。


 枯らしてしまわないだろうかという不安が顔に出てしまったのだろう。


 彼女は言った。ふんわりと。「大丈夫ですよ」って。


「花の種も、きっと取れますから」


 同じことを考えていたらしい。

 ふたつの意味。ひとつは言葉通り、枯らさず育てられるということ。

 もうひとつはやっぱり、「竜に選ばれるのは私です」。


 わたしは謝りたい気持ちになった。

 彼女がどういう意図で言っているにしろ、死を認識させてしまっているのだから。

 それでも、同じいけにえのわたしを励まそうとしていくれている。


 わたしはどうせ、選ばれないのに。


 話を逸らしたかったんだと思う。あるいは、死のにおいのする話題からリリエを遠ざけたかったのかなと思う。


 リリエに、どうしてこの花をくれたのかと訊ねた。


「昨日、あなたのお庭で枯れたルセナ(・・・)を見たからですよ。それに、私を森のはずれまで送ってくれるときも、ルセナの花ばかり目で追ってましたから」


 よく見ている。


「精霊びとさんは、髪にお花や葉っぱを飾る風習があるのでしょう? ルセナさんの白い髪に挿してあるそれ、花は落ちちゃってますけど、ルセナの花のものですよね」


 本当によく見ている。


「でも、髪に飾るために探してたのなら、折っちゃうか……」


 失敗しちゃった、とリリエの頬に紅が差していく。

 わたしは、手折っても精霊を寄せて水気も与えてやれば長持ちすることを伝え、彼女の恥を払ってやった。


 それから、わたし自身もつくろうために、どうして白色にしたのかと訊ねた。


「私の好きな色だからです。……あっ」


 何かに気付いたらしく、彼女の香りに悲しいものが混じった。


「白い髪に白い花じゃ、おしゃれじゃないですよね」


 翻弄されっぱなしだ。わたしはこのルセナも白だったと即答した。

 それから、言い訳をするように、目立ちたくないから同じ色にしていると急いで白状した。


 だけど、悲しいにおいと表情は深くなってしまった。


「白が好きだからつけてるんじゃないんですね。“いっしょ”かと思いました……」


 わたしは植木鉢を強く抱いていた。

 返してくれと言われるのが怖くて。花が惜しいんじゃなくって、彼女の口からその言葉を聞きたくないと確かに感じていた。


「じゃあ、何色が好きですか?」


 答えないわけにはいかなかった。

 でも、これ以上彼女に深入りするのもいけないと、精霊びと(・・・・)のわたしが言っていた。

 あまりしつこいとピオンは「強い手段」を使うかもしれない。


 ピオンの説教が頭の中で響く。

 われわれと人間との関係は上手く均衡させておかなければ。

 間違いが重なり戦争にでも発展したら、われわれは滅んでしまうだろう。

 個で勝っていても、数では圧倒的に不利だからな。


 ……わたしがリリエに返した答えは「青色」だった。


 それは嘘じゃない。でも、リリエは花の色を訊ねたつもりだったはずだ。

 きっと、「明日、その色のルセナを持って行きますね」と言いたかったはず。


 青色のルセナ。


 それを持って来ることは、できない。


 ルセナはふつう、その色の花をつけないから。



 ……リリエは口にする。



「精霊のいたずら」


 わたしたちのあいだにもある、同じ伝承。

 宿った精霊の影響で、本来ならありえない色の花や実ができることがある。


「探すなら、たくさん生えているところがいいですね」


 そして、かたくなに植木鉢を抱くわたしの腕にそっと触れ、


「青いルセナをいっしょに」


 わたしの目の前で花が揺れていた。

 深く蒼く。強く、強く甘く、香る。


 心の中でロズナにもう一度謝り、それから「死そのもの」にも語りかけた。



 竜よ。もう少しだけ待って。



***

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