14.さかずきを交わして
――わたしは罪深い。連中の妄言が本当なら、彼女と同じ時を生きることができたのにと、心疚しさを覆すほどに惜しんだのだから。
わたしたち「精霊びと」と「人間」を比べたとき、手放しで負けを認める点がひとつ。
「シチューを作りましょう。ルセナさんも手伝ってくださいね」
料理だ。精霊びとは森から借りるか生き物を狩るかの二択だ。
それらを焼くかナマか。煮て香草を掛ければ、もうごちそうだ。
ピオンがよその集落から帰ってくると、決まって「珍しいものを食べた」というくらいで、森や山ごとに口に入るものも限られるのだろう。
いっぽうで、人間は自分たちでなんでも交換し、なんでも育てる。野菜とか穀物とか、卵を産む鳥や、毛や乳の採れる獣とか。
調理に関しても、やたらと時間を掛けたり、細やかに分量に気を配ったりする。
「いつもはよそにおすそ分けをするんですけど、今日はふたりなので」
リリエはかまどに火を入れると水を焚き始め、台所の調理台につぎつぎと食材や器を並べていく。調理台は木製で、鍋は村の金物屋が作ったものらしい。
調味料も見たことがないものがたくさんだった。
訊ねると、それは村のだれだれが作ったもの、これは帝都から商人さんが売りに来てくれるもの、あっちは海の向こうの異国から……。
と、調理台の上に世界地図とやらが拡がるようだ。
あまりにも珍しいものばかりで、これらを口にするのだと思うと、ちょっと怖かったほどだった。
「白い水? お乳のことですか?」
リリエが首をかしげる。
わたしは液体の入ったカップを手に取り、リリエの胸と白い液体を見比べた。
「私のじゃありません!」
カップをひったくられた。リリエは顔をまっかにしている。冗談だったのに。
リリエは手際がよかった。皮剥きはイモがくるくると回るのを目で追っているうちに終わり、その皮は薄くひとつながりで、バンブの趣味の木工細工を思い出させた。
野菜や肉を切り分けるにしても、元の形がそれぞれ違うのに、気付けば川原の石のように綺麗にそろいになって、鍋の中で踊っている。
包丁とまな板の作る小気味のよい旋律までも耳においしいのはずるい。
材料や調味料を加えるのにも何か法則やコツがあるらしく、それは流れるようにおこなわれ、リュウラ自慢の獲物の解体作業を見ているかのようだ。
目が回りそうだ。
リリエの料理には、わたしの知らないものだけでなく、知っているものも何もかもが含まれている気がした。
わたしはイモの皮や野菜くずをまとめたり、調理用の器を空けたり洗ったりする係だ。こういったくずも肥料や飼料に流用するという。材料の種類の多さや、はるばる遠くからという話だけでは、単に奢侈を感じるだけだったけど、こうして見ると、遠くの世界もこの台所も、すべてがひとつながりで、それぞれ循環しているのだと知る。
それを当たり前のようにこなすリリエ。
ふたり分を作るのは久しぶりという言葉と、迷いのない手つき。
彼女はとても楽しそうに料理をしていたが、わたしはその太陽のような横顔を見て寂しく思った。
「今日は特別なので、これも開けちゃいましょう」
棚の奥からガラス製のボトルが取り出される。
わたしも何度か見たことがあるものだ。
リュウラが森でこっそり飲んでいたり、ロズナが「交換した」と言っていたり。
それはわたしたちの村には無い品で、仲間たちも意外と人間との交流をしていたのだと今更ながらに気づく。
「お父さんのとっておきなんですけどね」
ピオンは、人はときにこれを巡って殺しあい、ときにこれを飲むせいで正気を失い暴れると言っていた。
わたしが不安を口にすると、リリエは悪さをするように「いっしょに試しましょう」と言った。彼女がそういうふうに言うと、わたしもちょっとなら……となる。
「いろいろ野菜とチーズのシチュー、仔モコモコクモンモウのステーキ、パンは今日は硬い黒パンですけど、シチューにふやかしたらおいしいですよ……って、よだれ!」
笑われてしまった。
食事はとても美味しかった。頬の内側が、ぎゅっとして痛くなるくらいに。
これまでお弁当を持ってきてくれたことは何度もあって、それも美味しかったものの、やはり作り立ての温かさと風味には及ばない。
わたしはひと口ごとにいちいち感想を述べ、リリエはそのすべてに喜んでくれた。
そして食べながらも、たびたび匙を止め、わたしのことを見つめてほほえんだ。
食事が片付くと、リリエは果実酒の入ったボトルを手にし、それを封切らずテーブルに置き直し、こちらへ視線を向けた。
わたしもそれに応え、ことばを待つ。
「私のお母さんのこと、訊いてもいいですか?」
わたしはうなずいたが、謝罪を前置きとしなければいけなかった。
リリエの母とは竜の贄のつがいとなったけど、彼女とはほとんど口を利くことはなかったから。
会ったのも顔合わせの新月の夜と、竜に捧げられる前夜に箱詰めされるときだけだし、公式に交流ができる前者でも、ほとんど何も……。
いや、そのときになって思い出したけど、あのひとは「あなたに恋人や子どもはいますか?」とだけ質問をしていた。
最初はわたしも、いけにえにしては落ち着いてるな、くらいの印象だったから興味も薄く、返事はしたもののその質問を返すこともしなかったし、意味も問わなかった。
「お母さんは、わたしを遺して死んでも平気だったのかな……」
目の前の少女は揺らいでいた。
たびたび口にした「選ばれるのは私ですから」は虚勢だったのだろうか。
あるいは、ふたりで重ねた時間が意志を砕いたのだろうか。
「お母さんのことは尊敬してるんです。……といっても、産んですぐに死んじゃったから、お父さんや村の人たちが褒めていたのが理由、なんですけど。でも、そんなにすごい人だったのなら、どうして私を置いていってしまったんだろうって」
わたしはリリエのために答えを探した。あのひとの名誉を傷つけず、リリエがないがしろにされたわけではないといえる答えを。
このときのわたしは、上手だったと思う。
二百年以上村に引きこもって、人間を避け続けて、子どもも持たない余り者にしては、出来過ぎた回答をしたと思う。
「私を産んだから、竜と向きあうことができた……?」
でも、それは「リリエのせい」という意味じゃない。
わたしたちの種族では出産は命懸けの一大事で、種を繋ぐ使命としてもっとも大切なこと、それは人間たちでもおんなじでしょ、って。
大切なリリエが育つこの村を守るためだったからだよって。
深く青い瞳孔が縮み、ほのかにゆらめく。
でも、涙はこぼれなかった。
「ありがとうございます」
ふかぶかと頭を下げるリリエ。
それから、ふーっと長く息を吐き、「よしっ!」と景気づけてボトルを手に取った。
栓が抜かれ、傾けられたボトルから赤い液体がわたしのさかずきへ注がれる。
ふたりのあいだにボトルが置かれると、わたしはそれを取り、リリエのさかずきを満たしてやる。
「えーっと、乾杯は知っていますか?」
わたしは首を振り、またひとつ人間の文化を学ぶ。
あらたまった場でお酒を飲むときにさかずきをあわせて何かを讃えるものらしい。
「私たちふたりに」
乾杯。にっこりと同じ笑顔。
だけどわたしは、密かにリリエを産んでくれたふたりにもさかずきを掲げていた。
それから、彼女と悠久の時を過ごせることも願う。
わたしたちは血色の水に口をつけ、そろってしわだらけの表情を作った。
バカみたいに渋い。香りはすごくよかったのに……。
リリエはまたも「よしっ!」とやると、一気に酒を呷った。
わたしも頑張ったけれど、ひと息とはいかず、余分に渋い顔をして笑われた。
リリエは果敢にも、もう一杯注いだ。
そのうえ、わたしが残りを見つめるだけで消してしまえないかと葛藤していたのを見かねて、代わりに飲み干してくれた。
「……やめとけばよかった」
リリエは自分の二杯目の半分に差し掛かったところでさかずきから手を離した。
けれども飲み切りたいらしく、ときどきしゃっくりをしては赤い液体と睨めっこをした。
彼女が「ひっく!」とやるたびに、なんだか愛おしい気がしてきて、今度はわたしが相手のさかずきに手を伸ばした。
「だめです。ルセナさんは半分だけで限界だったでしょう?」
さかずきが遠ざけられる。
リリエはけっこう強情だ。人間の性分ということではなく、彼女自身の性格として、ちょくちょく競い合おうとする。
何かしてやると必ず何かお返しをくれるし、いじわるをすると仕返しをしてくる。
与えた量がわたしよりも多くないと納得してくれないのだ。
わたしは「必勝法」を引っ提げて席を立ち、リリエのさかずきに手を伸ばした。
「だから、だめで……」
わたしを見上げる顔へとくちびるを寄せる。
彼女が目を閉じた隙に、さかずきを奪い、一気に飲み干す。
「あーっ!? ずるいですよ!」
と言い終わる前に今度はちゃんとくちづけてやり……。
ふたりそろって、押しのけるようにして身を離し、渋い顔になった。
食卓にふたつの笑い声がこだまする。
ボトルはふたたび封をされ、おとなの味のそれは棚の中へと返された。
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