13.星降りの夜
――爪の先ほどの棘でも、放っておくと身体を腐らせることがある。それはやがてこころをも蝕み、周囲にも伝播していくだろう。
突きつけられた罪。
あれは紛れもなく、わたしの矢だ。
でも、どうして、と頭の中であの日のことがつむじ風となって枯葉を舞わせる。
「ああいった事故」が起こったときは、死体はしかるべき処置がされるはずだ。
東の村だとか、普段から森に出入りをしている狩人だとか、出自の知れている人間だった場合は、わたしたちの引く境界よりも向こう側にそっと遺体を返す。
あのときのように出身の分からない場合は、遺体はこちら側で処分をする。
……長であるピオンの責任のもとで。
「森の西側だったそうです。村長さんが会わせてくれたお父さんに、この矢が刺さっていました」
リリエのことばが頭上を通過する。
ひとことひとことが矢となり、何本も、何本も……。
いつの間にかわたしは両膝をついていた。
彼女の声を掻き消さんばかりに胸の鼓動がうるさく騒ぎ立てる。
いまさら隠すことなんて、できるわけがない。
不可能ということではなく、わたしはこの懺悔のときを待ち望んでいたのだから。
嘘は言わない。
殺めたのがリリエの父かもしれない可能性は感じていたことと、彼が先にわたしと懇意にしていたロズナを殺していたこと、ほかの五人は現場に行き当たったときにはすでにこと切れていたことを洗いざらい話した。
夕陽が沈み切ったんだと思う。
没する寸前に放った最後の光が、何かを煌めかせた。
見上げれば三日月。
高く振り上げた手に握られたそれは、わたしの鼓膜を割らんばかりに凍っていた。
「どうして……」
零れる星の泉。
彼女が投げかけたことばは、あまたの流星となって虚空へと消える。
それから、「ごめんなさい」。
薄明りの中で反り返る少女の喉はあでやかで、官能的にさえ見えた。
その胸は涙を受け、切っ先を受け入れられるほどに濡れていた。
わたしは罪を重ねたかったのか、赦しを乞いたかったのか……。
かぶりつくように彼女の身体をかき抱き、断罪のやいばを背中に受け入れた。
「刺さって……! いやあ!」
悲鳴をあげるリリエ。彼女の手からナイフが離れても、わたしの背中はしっかりとそれを咥えこんでいた。
わたしは大丈夫だからと繰り返し、ただ強く強く彼女を抱きしめた。
絞め殺しの木のように、毒牙を食いこませるヘビのように。
リリエは叫び続けた。いつものやりかたで口を塞いだけど、噛み切られ、燃えるような痛みとともに濃い血の味を感じる。
それでも分からせるほかなかった。
確かにわたしは、リリエに謝らなければと思っていた。
だけどそれ以上に、わたしの知るリリエが、父親がわたしたちを襲撃して、わたしの友人を殺した事実に苦しむことは、分かり切っていた。
お父さん、お母さん、ルセナさん。
リリエはわたしたちを責め、わたしたちに謝った。
この子が謝るべきことなんて、どこにも見当たらないのに。
わたしの背に宿る炎の痛みは、世界に対する怒りが成り代わったものだ。
ふたりの怒りに感化された精霊を奪い傷へ、悲しみに染められた精霊は胸へ。
泣きじゃくりしゃくりあげるリリエの息は、うろで抱きあい満たされかけたときと同じように熱い。
こんなときだというのに、わたしの耳や鼻は彼女を知りたがり続ける。
とばりが降り、空で星たちが騒ぎ始めた。
闇に狭まった部屋の中で、虫の音のように響くすすり泣き。
そこから先は、どうしてやったらいいか分からなかった。
ただ、やいばがわたしの中に居座るのがつらかったことと、リリエを失いたくないことを伝えた。
彼女は慌ててわたしから離れ、ランプの燈を灯した。
頬は涙の筋を光に映していたが、リリエは気丈にもわたしに横になるように指示をし、戸棚を漁り始めた。
治療の道具を探していたのだろうけど、彼女の棚を探る手がどんどんと荒っぽくなるのが音で分かった。わたしは落ちつくように諭す。
「だって、このままじゃルセナさんが死んじゃう……!」
わたしはため息まじりに笑った。死なないよ。
床を見るように促す。大した出血じゃない。わたしは人間とは違う。身体も頑丈だし、初めから刺されるつもりで精霊を集めておいたから、なおさら。
「抜いても、いいんですか?」
というか、さっさと抜いて欲しかった。過剰な精霊の力で身体を活性化すれば、傷は早くに塞がる。内臓に届いているから気が抜けなくて、簡潔な説明ができなかったし、ナイフを手にするとリリエがまた自殺を図るんじゃないかと不安なのもあった。
彼女が抜いてくれると、傷はあっという間に塞がった。
わたしはそれを証明するために、服を脱ぎ背を見せた。
「すごい術……。お父さんが言ってた帝国軍の衛生術師みたい」
いつか精霊学の話をしたときのような真剣なまなざしがあった。
性分なんだろう。わたしがこんなことになった今でも、リリエの反応を逐一逃さないようにしているのと同じだ。
少し気が抜けた。
わたしは改めて謝罪をする。
リリエは首を振り、「本当なら私が謝って、お礼も言うべきところです」と、同じ目をしたまま言った。
彼女は知っていたのだ。「精霊狩り」が生け捕りにしたあとにその力をものにするために、おこなう所業を。
「お父さんにそんなふうになられるくらいなら、殺してもらってよかったです。ルセナさんやそのお友達相手だったら、なおさら」
それでも、わたしは謝りたかった。
しつこいようだが謝罪を重ねる。
リリエは少し笑うと「赦しません」と言い、わたしを引き寄せた。
「でも、大好きです。かばってくれて、ありがとう」
わたしも同じことを仕返す。リリエの顔をじかに素肌へとうずめると、ぐうぜん彼女のくちびるがわたしの尖端に当たった。
わたしはそのままリリエの頭を乳房へと強く押しつける。
彼女は為されるがままだったが、わたしの望むような行為はしなかった。
そして途中で暴れて逃げてしまい、「窒息するところでした!」と抗議をした。
手が頬に当たると、ぬるりとした。まだ温かい。彼女も手を切っていたらしい。
わたしのものと彼女のものが合わさった血は、言い知れない罪の味がした。
リリエは驚き手を引こうとしたが、彼女が笑いだすまで舌先でくすぐる。
「もうっ……! あの、でも、何か償いがしたいです。なんでも言ってくれませんか?」
揺れる灯りがいっそうリリエの陰影を濃くし、少女というよりは子を産み疲れた母のような印象を受けた。
今なら、言葉通りになんでも受け入れてもらえるだろう。
彼女の父がわたしたちにしたであろう仕打ちと同じ行為でも、ふたつの村の命運をわたしの個人的な望みと天秤に掛けさせることでも。
だけど、それはずるいことだ。
必ず後悔する。対等に話し、お互いが納得した上でなければならない。
先走って提案しなくてよかったと思った。
でも、わたしが逃げているだけかもしれない。リリエはきっと、返事を決めている。
とりあえずわたしは、あなたのことをもっと知りたい。とだけ言った。
彼女はどう受け取ったのか赤面し、わたしの乳房へ目をやり、つぶらな瞳をまたたいたあと、無音でぱくぱくと喘ぎ、自身の服のベルトに手を掛けた。
ああもう。わたしは微妙にかみ合わない歯痒さにため息をついた。
それから、死樹のうろでは試しきれなかったことを思い浮かべながら、リリエを手伝おうと手を伸ばした。
わたしたちは深入りし過ぎたらしい。
生まれたままの姿で見つめ合うふたり。
両方の精霊がこれからのおこないに対して、夏が満ちるように喜んでいた。
外もまた、真夏の夜の夢のようだ。
……ところで、精霊に傷を塞がせても、血肉そのものは食べ物で補う必要がある。
ぐう~っ。
お腹からだ。リリエは吹き出し、ちょっと残念そうに「お食事にしましょう」と服を着なおし、ベッドを離れた。
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