01.選ばれる
――耳の先が燃えるように熱い。でもこれは、あの子の痛みなんだ。
あれは何度目の夏だったろうか。
緑に宿る精霊のささやきが賑やかになってきたころだった。
わたしは自分の名の由来である「ルセナの花」を探して、村の西側の森をうろついていた。赤や黄色のルセナは見かけたけれど、白は珍しくなかなか見つからない。
村には自分の花を髪に飾る慣習があって、そのために探していたのだけど、目立つのは好きじゃない。だから、髪色と同じ白のルセナを探していた。
ここ数年は自分で白いルセナを育てればいいんだと思いつき、苦心していたのだけど、花を育てるのが下手だということが分かっただけだった。
ロズナの話では森の東側には群生地があるらしい。
けど、わたしはそこまで足を延ばすのはごめんだと考えた。
森を出て東に行ってすぐに人間の村があるし、連中は嫌いだ。
その日はロズナも西のはずれの川へ行くと言っていたから、会ったらほかに白いルセナを見なかったか訊ねようかと考えていた。
だけど、あの日ばかりは西側を選んだのは失敗だった。
「くそっ! 抵抗するからこういうことになるんだ!」
木の根十六個分の向こうから聞こえた声は、わたしたちの村の人のものじゃない。
風向きが悪くてにおいは分からないけど、恐らくは人間の男。
百年くらい前にも一度、こういうことがあったから。
わたしは恐怖と期待をないまぜにした空気を胸から吐き出すと、村の掟を脇へ押しやり、声のほうへと駆けた。
むせかえりそうな生と死の芳香。予感は的中した。
薄汚れたローブに身を包んだ人物が六人。
地面に倒れ伏した人間たちはいばらで縛られ、血の花を咲かせていた。
その中に立つのがひとり。
フードを外した生存者は、夜のような色をした髪と炎を宿す瞳を持っていた。
その手がつかんでいるのは、黄金の長髪に棘のあるつるを絡ませた女性だ。
種族を見分ける長く尖った耳は色を失っており、髪に飾られた彼女と名を同じくするロズナの花びらも散って、同じ色の赤い水たまりに浮かんでいる。
ロズナは死んでいた。彼女の身体からは精霊が感じられなくなっていた。
……あのときのわたしは、笑っていたに違いない。
二件隣りの家に住むロズナとは、それなりに仲のいい付き合いをしていた。
彼女がつがっている相手のトマは、わたしにとって弟のようなものだったし、さいわいふたりのあいだに子どももまだだったから。
「もうひとり!? おまえだけでも生きて捕らえて……!」
男が何か言っている。彼が手を放すとロズナは、ばたりと地面に倒れた。
彼はロズナを殺しただろう手のひらをわたしに向けて、何か「術」をやろうとしたようだった。
無駄だ。精霊は人間なんかの命令で「わたしたち」を殺めない。
掟で人間殺しは戒められているのだけれど、村の長に赦しを得るだけの理由は並んでいる。
わたしは花探しのついでに獣を狩るつもりで持ち出していた弓を構えた。
彼はとっさに術を停止して木の陰に飛びこんだ。
弓を構えなかったらやられていたかもしれない。
あの男は人間の割には精霊を従える力に長けていた。
彼の心臓はなみなみと精霊を蓄えている。
だから、わたしの矢は、正確にそこへ突き立てられた。
深く、深く。
「なんで当たるんだ……」
木の陰からうめき声。
わたしのほうがなんでって聞きたかった。なんでそんなことも知らないの?
人間は風と弦の力で矢を飛ばすようだけれど、そんな複雑ことをしなくても精霊が届けてくれるのに。
矢だって細かい工作は不要で、拾った木の枝の先を削るだけでいい。
念を押して彼の色に染まった精霊が去るまで、何度か矢を射ることにした。
彼はこと切れる前に誰かに謝っていたようだった。
繰り返し、繰り返し……。
わたしは謝罪にあわせて矢を撃ちこむ。
だけど、悪いとは思わない。
わたしだって死にたくはないし、大切な友人を殺した仇でもあるのだから。
正当な仕返し。
でも、このときのわたしの心情が知られれば、ロズナにはもちろん、森の精霊にだって軽蔑されただろうけど。
……とにかく、ロズナは死んだのだ。
だからきっと、次はわたしが選ばれる!
巣立ちを目前とした小鳥になった気分だった。
わたしは飛ぶように村へと帰還し、村長のピオンに人間の襲撃を伝えた。
仕返しをしたことは叱られたけど、恐らくほかの五人はロズナが殺したのだし、彼女が死んでしまって忙しくなるから、お説教も短くて済んだ。
ロズナの葬儀があったその日は、一睡もできなかった。
きっと、今にでもトマが訪ねてくるはずだ。
ちょうど今夜は星がたくさん降っている。
けれども、いくら待ってもトマは現れなかった。
わたしは星がまたたくたびにじわりじわりと焦れ、いらついていった。
弟のように思っていたトマだったけれど、彼へといだいていた気持ちが少しづつ違うものに昇華していくような気もした。
トマが自分から来るような性格ではないことに思い至ったのは日が昇ってからだ。
わたしは思った。次の星降りの夜にはわたしから訪ねようか。
この村では男から訪ねるのが習わしだけど、トマならそれでもいいかもしれない。
決定的なことがなくとも、ロズナを失ったばかりの彼には慰めが必要なのだし、わたしもいい加減、ひとりでないベッドを知りたい。
だけど、やはり選ばれたいと思い直し、翌日はあえて彼の顔を見ないで過ごした。
それが失敗だった。
花探しから帰ってくると、夕方だというのに仲間たちは屋外で慌ただしくしていた。広場には古ぼけた木編みのアーチに花を飾る男たちの姿があり、母親を済ませた女たちが鍋を火にかけていた。
せっかく見つけた白いルセナは、このときにどこかへやってしまったんだと思う。
花のことは忘れてしまったのに、狩り好きのリュウラが「トマの姉役だけあって気が利くんだな」と、わたしが自分の食事用に獲ってきた耳長オサギをかっさらっていったことだけははっきりと覚えている。
とにかく、そのときのわたしはトマの隣で幸せそうにしている娘を見て額に手を当てていた。
あの子に月が下りていたなんて聞いてない!
今この村で「余り者」なのは、わたしだけだと思っていたのに!
わたしはショックを隠しもしていなかっただろう。
十数年前にヒガンがお産に失敗して死んだときも、わたしは選ばれなかった。
四十年前にバンブがおとなになったときにも、わたしは選ばれなかった。
まただ。また、選ばれなかった!
立ち尽くすわたしのそばに、鋭いのか眠いのか分からない目をした女がやってきた。森色の髪を地面に擦りながらやってきたお説教好きが、わたしの肩を叩く。
「昨日の今日だが、ふたりのことを祝福してやってくれ。それと、南方の谷より竜が発ったという便りを受け取った」
まただ。
また、選ばれるんだ。
「今回も余り者はきみだけになりそうだから、“竜の贄”は任せたぞ」
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