表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

令嬢たちの婚約破棄集

婚約破棄された令嬢は雪だるまを作る

作者: ミント

「……もう一度、おっしゃっていただけますか?」

「ああ、何度でも言ってやろう! エカテリーナ・ミチエーリ! 俺は今日、この場を以て君との婚約破棄を宣言する!」


 理不尽かつ一方的な要求を衆目——王立学園の卒業パーティーの場で行ったのは、この国の第一王子ミハイル・グラート。切れ長の青い目に新雪のような白い肌を持った彼は、氷の妖精とも称される美しい姿をしている。「王子」という立場が相まってか性格は傲慢だが、他国の王子のように権力にかまけて学業をおろそかにしたり威張り散らして周囲の反感を買ったりするような真似はしない。今回の婚約破棄だって彼なりに計算した上で、行ったことだった。


 エカテリーナが自分の言葉を素直に受け入れることはないだろう。そもそも貴族の結婚は何かしらの思惑が含まれるもの。恋に恋をしているミハイル——学園でアンナ・スニェークという男爵令嬢と出会った彼は貴族令嬢にない初々しさに夢中になり、「これこそが真実の愛なのだ」と舞い上がっていた——もそれぐらいは理解していた。


 なので、エカテリーナがしおらしく泣いて縋ってくるのなら側妃ぐらいにはしてやってもいい……そう、思っていたのだが。


「っよっしゃあああイエエエイッ!!!」

「!?」


 天に向かって真っ直ぐに突き上げられた拳。世界中の全てに勝利したような力強い雄叫び。普段の良くも悪くも貴族令嬢らしいエカテリーナからは考えられないようなその姿に、ミハイルは唖然とする。そんな彼を置き去りにしてエカテリーナはこほん、と咳払いするとドレスの裾をつまみ楚々とした礼を披露してみせた。


「失礼いたしました、殿下。婚約破棄、謹んでお受けいたします」

「あ、ああ……」


 戸惑いながらもミハイルが頷くと、エカテリーナはこちらに背を向け会場を走り去っていく。


 ……ドレス越しにでもわかるほどのウキウキのスキップ。その背中を見つめながら、ミハイルは婚約破棄の理由すら聞かれなかったことを思い出し暫く呆然とするしかできなかった。


 ◇


「なんだ、これは……」

 卒業パーティーの翌日。

 婚約破棄に必要な書類一式を持参したミハイルは、再び驚愕に目を見開いた。


 この国は一年の大半が雪に覆われているので、ミチエーリ家の庭も当然真っ白に染まっている。だが、異様なのは——その中でエカテリーナが必死に、雪玉が転がしていることだった。


「あ、殿下! いらしたんですね! この度の婚約破棄、誠にありがとうございます! 今日は婚約破棄書類の整備でいらっしゃったのですか?」


 吐く息を白く、頬を薔薇色に染めながら美しい笑みを浮かべるエカテリーナ。その愛くるしい笑顔に、ミハイルはここに来た目的も忘れほうっ……と見惚れてしまう。


 エカテリーナはもともと美しい少女だ。燃えるような赤色の髪に、夜空のように輝く麗しい目元。降り積もる雪より一層白いその肌は今、凍てついた空気の中で火照り柔らかさを増している。


 婚約者として最低限の礼儀は尽くしてきたつもりだが、エカテリーナがこのような表情を自分に見せたことが今まであっただろうか……そんな戸惑いを抱えながらミハイルは、「君は何をしているんだ?」と尋ねてみせる。


「はい! 私は次の雪だるまコンテストに向けて特訓しているのです! 早く、美しく、計算された雪だるまを作るには日頃の鍛錬が必要不可欠! なので私は昨晩からずっと、練習を続けているのです!」


 婚約破棄直後からか。そう言いたくなったミハイルの横から、すっと一人の中年男性が姿を現す。


 現れたのはエカテリーナの父、ミチエーリ公爵だ。威厳を感じさせる出で立ちの中に、娘を慮る父親の色を滲ませた彼はミハイルを労るように声をかける。


「娘は小さい頃から雪だるまコンテストで優勝するのが夢でした。毎日毎日、それはもう楽しそうに雪だるまを作って……ですが、王子との婚約が決まってからそれができなくなりました。王家の圧力による不正を防ぐため王族、並びに王族と婚姻を結んだ一族の者は雪だるまコンテストに出場できなくなるからです」


 無念そうに語るエカテリーナの父に、ミハイルは「はあ……」と間の抜けた言葉を返すしかできない。


 雪の多いこの国では雪を利用した伝統行事が数多く存在する。雪だるまコンテストもそのうちの一つだ。降り続ける雪を少しでも減らすため、また荒天を思い切って楽しむために行われるそれは貴賤を問わず、国民に広く慕われている。大きさや表面の艶、色合いや造形美などあらゆる方向にこだわった雪だるまが並ぶその光景は、圧巻の一言である。


 だがエカテリーナの父が言う通り、王族は雪だるまコンテストに参加することはおろか個人でそれを作ることさえ禁じられている。だからミハイルはエカテリーナがこんなにもいきいきと、目を輝かせるほど雪だるま作りが好きであるということを知らなかった。まさか自分と婚約する前から雪だるま大好きで、雪だるまコンテストに参加するのを夢見ていたなんて知らなかったのだ。


 困惑したまま立ち尽くすミハイルの前で、エカテリーナの父は歯がゆそうに目を瞑る。


「公爵である私と陛下のために結ばれた婚約を、娘は大いに嘆きました。エカテリーナにとって雪だるまづくりは人生そのもの……それができなくなったとなって娘は世を儚み、自害すら試みようとしたのです。家の存続と娘の幸せに挟まれた私は、どれほど悩んだことか……ですが、殿下が婚約破棄をしてくださったおかげで娘は幸せになれます」


 おかげ、という言葉に怪訝な目を向けるミハイル。エカテリーナの父は、なおも続ける。


「昨日、娘は嬉々として『ミハイル様に婚約破棄を告げられました!』と私に報告した後、プロの雪だるま職人を目指すことを宣言いたしました。あの娘にとって雪だるま職人は憧れの存在であり、叶わぬと知りつつ捨てきれなかった望みです。一度、王家の婚約者となってしまえば終生その役目からは逃れられない……ですが殿下はそんなエカテリーナを解放するために、自分から婚約破棄を提案してくださいました。自由になれたエカテリーナは本腰を入れて、雪だるま職人を目指すことができるようになったのです」


 そこにゴロゴロと雪玉を転がしていたエカテリーナが「ええ、その通りですわ!」とご機嫌に口を挟む。


「大勢の前で婚約破棄していただけたことで私は正真正銘、『王家とは無縁の、実力で勝負する雪だるま職人』としてスタートすることができます。より白く美しい雪を見極める瞬発力と、それをできる限り真球に近づける精密な技術。それを支える体力もまだ、私は不十分です。でも、せっかく王子があのようにたくさんの人々の前で私に雪だるま職人になるチャンスを与えてくださったのです。私は誠心誠意、雪だるま作りに向き合いこの国の歴史に名を残す雪だるま職人になろうと思います!」


 これ以上ないほど堂々と宣言され、ミハイルは「そうか……」と力なく頷くしかできない。


 貴族の結婚は何かしらの思惑が含まれるもの。ミハイルにとってエカテリーナは自らが望んだ婚約者ではないが、同時にエカテリーナにとっても王族との結婚は望むものではなかったのだろう。経緯はどうであれミハイルは自由に愛の告白ができるようになり、エカテリーナは自由に雪だるまを作れるようになった。それは本来、喜ぶべき事実だ。だがミハイルは。


(エカテリーナにとって俺は、雪だるま以下なのか……)


 婚約破棄を告げた側なのになぜかそうがっくり肩を落とし、乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。


 ◇


 その後、ミハイルは当初の予定通りアンナ・スニェークに交際を申し込み、二人はやがて結婚した。

 アンナ・スニェークは男爵令嬢ながらそれなりに要領が良かったらしく、王妃としては特に可もなく不可もない女性だったとして後の歴史書に記載されている。


 一方、エカテリーナ・ミチエーリは宣言通りプロの雪だるま職人になり、女性では初となる雪だるまコンテスト殿堂入りを果たした。従兄弟との結婚により現役を退いた後も後進の育成に務め、この国の雪だるま史を語るには欠かせない人物になったという。


 最後にミハイル・グラートは——「婚約者の夢を叶えるためにあえて身を引いた、人徳のある王」として夢を追う若者たちに支持されたが、それを第三者に指摘されても決して認めようとしなかった謙虚で誠実な王として名を残したそうである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 雪だるま職人というワードで笑いました(笑) しかし、本格的に作られた雪だるまは本当に美しいですよね。 ミハイルも王として成功してくれてよかったです。
[良い点] これはいい雄たけび。きっと、ちびっ子憧れの職業なんだろうなぁ、雪だるま職人。かまくら職人もいそうだし、雪合戦も公式スポーツだと思う。おそらく石入れたら失格で。 この手の小説でありがちだけど…
[一言] エカテリーナ良かったね。 雪だるま職人を目指す娘を応援する父も素敵。 面白かったです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ