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2話 十六夜の島 2/10

 「ネーネー、着替え終わった?」

 部屋を区切っている粗末な木製の衝立ついたてから男の子がヒョイと顔をのぞかせた。


 「森榮しんえい、お行儀が悪いさぁ!……まぁ、今終わったから、こっちに来ていいよ。」


 それを聞くと待ってましたと言わんばかりに、森榮と呼ばれた男の子が頭の上に腕を組みながらメイシアの傍までやって来て、もの珍しそうにメイシアを観察する。


 「ネーネー、こいつニーヒラー(どんくさい)だねぇ」

 「失礼なこと言わないの!」


 「えー、でも船から降りるのに海に落ちるなんて、聞いたことないさぁ。本当に、こんなニーヒラーがオバアが言っていたむぬなのかなぁ。信じられんさぁ。」


 さっきからこの森榮という男の子に浴びせられる「ニーヒラー」が何かよくわからないが、それが悪口だという事はさすがのメイシアにもわかった。が、海に落ちたメイシアを躊躇無く飛び込んで助けてくれたのはこの子だから何も言えない。



 びしょ濡れになったメイシアが連れて来られたのは、緑濃い垣根に囲われた赤瓦が特徴的な平屋だった。

 この姉弟らしい二人の自宅のようで、姉がテキパキと濡れたディアンドルの代わりに着るものや、体を拭く布などを用意してくれた。


 「うん。ワーが小さいころに着ていたかすりちょうどいいね。」

 メイシアに用意されたのは、紺地に若葉色の絣の入った着物だった。


 姉がディアンドルの代わりにと着物を手渡してくれたのだが、メイシアにとってそれは「見たこともないダボダボのガウンのような形の服」だったので着方が分からず困っていると、これまた手際よく着つけてくれた。


 巻きスカートのようなものを腰に巻き、上半身は短いガウンを着た上から丈の長いガウンのようなそれを羽織り、前合わせにして巻きスカートの腰の部分にググっと差し込んで完成。

 全体的にゆったりしているので見た目よりも涼しい着心地だった。


 「ありがとうございます……。なんてお礼を言っていいのか……、」

 「いいのいいの。イチャリバチョーデー。気にしないでいいさぁ。さ、こっち来て。お茶でもいれるわ。」

 「は、はい。」



 何を言われたのかよく聞き取れなかったが、とりあえず、この人はいい人だという事は心底伝わっているので、言われるまま後をついて家の中を移動した。


 「ここで座ってて。あ、お腹すいてない?」

 「……いえ、お腹は別に……」

 といったところで、メイシアの思いをよそに、お約束のお腹が鳴った。


 姉は、フフッとほほ笑むと、土間を降りて行った。


 通された場所は畳敷きの何もない部屋だった。

 この建物を家と認識するのだから、屋根や柱はあるのだが、壁らしいものが極端に少なく、部屋の外壁側はほとんと外と間仕切りがない不思議な構造だった。


 メイシアは座ってと言われたものだから、キョロキョロと椅子を探しながら突っ立っていると、森榮が縁側近くにズドッと座り胡坐あぐらをかいた。


 「座らんの?」

 「え?あぁ……うん。座る。」


 メイシアは畳に腰を下ろし、見よう見まねで胡坐をかこうとしたが、何せ巻きスカートのようなものを履いているので、うまく胡坐をかけず三角座りをした。


 初めて触れる畳に戸惑いながら、じっと見つめて手で撫でてみる。


 「ウンジュ、畳みも知らないの?」

 「う、うんじゅ?たたみ?」


 「フラー。」



 「こら、森榮。またそんな失礼な事ばっかり言って!本当にごめんなさいね。」

 そういいながら、姉がお膳を持ってやって来た。


 そのままお膳をメイシアの前に置いて姉もその場に座ったが、胡坐ではなく、横座りというのか、膝をそろえて脚を折り横に崩した座り方だったので、瞬時に女性はこういう座り方なのかもしれないと思ったメイシアが、その座り方をする。


 「いいのよ、好きにしてね。大したものがなくて……ヒラヤーチーしか無くて……。ワー達の残り物で悪いんだけど、良かったら食べて。」


 お膳の上には陶器の湯呑とお皿が一枚。あと細い棒が二本。

 お皿の上には、厚みのあるクレープのようなものが盛り付けてあった。


 「ありがとうございます……、初めてお会いする方にこんなに良くしていただいて……」

 「さっきも言ったでしょ。イチャリバチョーデー。当たり前の事さー。」


 「はぁ……、いちゃりば……」

 「あ、異国の人にはわかんないか…【会えば皆兄弟】って感じかな。自己紹介がまだだったわね。ワーは凪衣なぎい。みんなナギィって呼ぶけど。好きなように呼んで。それで、このクソ坊主がワーのウットゥで森榮。あなたは?」


 「あがーっ!」

 いきなり、森榮が声を上げた。

 メイシアの前に置かれた皿から森榮がヒラヤーチーをつまみ食いしようとして、ナギィにゲンコツを落とされたのだ。


 「……あの……、」

 森榮が無言で頭をさすっている。

 「気にしなくていいさぁ、」


 「はぁ……」

 「ちぇっ」

 口を曲げる森榮に少しだけ、メイシアの心がほぐれる。


 「……私は、メイシアといいます。」

 「さすが異国のお嬢さん。名前も珍しいのね。どこからやって来たの?……ってごめんごめん。そーゆーことは、おいおいゆっくり聞くとして、とりあえず、お腹減っているんでしょ。食べて。」


 「はい……」

 メイシアは、出されたお膳の上をじっと見つめた。

 食べて、といわれても、フォークもナイフもなくてどうやって食べたらいいのかわからずに、動きが止まってしまう。


 「ネーネー。メイシアはフラーだから畳も知らないし、箸も知らな……」

 森榮が言い終わるまでに、またナギィのゲンコツが森榮の頭に落ちた。


 「そっか。異国ではお箸は使わないのね。これでこうやって食べるさぁ。」

 とナギィがお膳の上の二本の棒を右手で持ち、箸と呼ばれたその棒を使ってヒラヤーチーをつまみ上げた。


 「お箸っていうの。知らない?」

 「ごめんなさい。」


 「謝ることは無いさぁ。とりあえず突き刺したりしながら食べたらいいさぁ。」

 そういってナギィがメイシアにお箸を差し出した。


 見よう見まねでお箸の一本を右手の中指でペンを持つように持ち、もう一本も薬指で支えてみた。

 これが正しいかわからないが、何とか今はこれで突き刺したりしながら食べられそうだった。


 ヒラヤーチーと呼ばれたクレープのようなものは、冷めてはいたが小麦粉を水で溶いて野菜を混ぜて焼いたもので、しょっぱい様な、ちょっと甘い味もして初めて食べるエキゾチックな香りもしておいしかった。


 「お口に合うかしら?」

 「はい。おいしいです!……ナギィさんは……、」

 「ナギィでいいわよ。」


 「じゃぁ……ナギィに聞きたいのだけど、私のほかに誰か海にいなかった?一緒に旅をしている仲間なの……」

 そこまで言うと、なんだかとてつもなく孤独に思えてきた。


 村が無くなったあの日、今と同じような気持ちを一度味わったのだから免疫が出来ていてもおかしくないと思っていたのに、急に視界が不鮮明になりやがて重力に耐え切れなくなった大粒の涙がヒラヤーチーの上に落ちた。


 それを見るや否や大慌てになったのは森榮だった。


 涙を見たとたん、メイシアに駆け寄って、自分の着物の袖で瞳にたまった涙をぬぐった。

 それにびっくりしたメイシアが、小さい悲鳴を上げた。


 「こら、森榮。そんな汚い袖で!」

 「き、汚くなんてないばぁよ!今さっき着替えたばっかりやっさぁ!」

 メイシアが海に落ちた時、助けるために森榮が海に飛び込んだので、森榮もメイシア同様にびしょ濡れになり、着替えたのだった。


 「……あ、そうだった。ワッサイビーン(ごめんなさい)、」

 「森榮、ありがとう。もう大丈夫……ちょっと、今の状況が良く分からなくなってしまって……。」

 メイシアが赤い目でにっこりと森榮に微笑んだ。同時にメイシアの森のような深い緑色の瞳に、自分の姿が映り込んでいるのを森榮は見た。


 「フラー……」

 そういうと森榮は赤い顔をして、ずかずかと縁側にまで行くと腰を降ろし、外を向いてしまった。


 「あらあら……。さぁさ、メイシアとりあえず食べて。命薬ぬちぐすいよぉ。食べないと元気になれない。とにかく、食べて力をつけてから行動するさぁ!」

 ナギィがメイシアの肩を優しくなでた。

 「……はい。」

 メイシアは、今まで訪れたどこの国の味とも違うその料理を一人で噛みしめた。




 「ごちそうさまでした。」

 「ワッサイビーン、少ししか無くて。本当にお客(ウチャク)様がいらっしゃるとわかっていたら、それなりに何か用意していたのだけど……」


 「いえいえ、助けていただいただけじゃなくて、ご馳走までしていただいて感謝しています。ありがとう、ナギィ、森榮。」

 縁側で、森榮が外を向いたまま「ふんっ」と鼻を鳴らした。


 「ところでナギィ。ナギィはどうして夜の海にいたの?」

 「ワーもよくわからないさぁ。……ワーにはユタのオバアがいるさぁ。オバアが十三夜じゅうさんやの今晩、海に行ってお迎えをしなさいっていうから……」


 「ユタ?」


 「あぁ。ユタっていうのは、この世に成らざるものの声を聴く人の事で……オバアはこの島で一番のユタなの。」


 「オバアは……お婆さんって事……?」

 「そうさぁ。そのオバアが精霊の声を聴いたって。今晩、海にとても大切な客人が現れるって。半信半疑だったんだけどね。でもオバアのいう事も無下にできないし、ワーと森榮で海まで散歩しようって。それで海で三線サンシンを弾いていたら本当に見慣れないミヤラビが寝ていたものだからびっくりしたさぁ!」


 「あはは……。どうしてあそこで寝てしまっていたんだろうね、私もわかんないの。……そう言えば、あの時、何か音楽が聞こえていたのは、その三線とかいうやつ?」


 「そうだよ。ちょっと待ってて。」

 そういうとナギィは立ち上がり姿を消したが、すぐに手に楽器を持って戻って来た。


 「これさぁ。三線。ほら三本弦が張ってあるでしょ。三本の線で三線。蛇の皮が張っているからジャミセンと言う人もいるさぁ。」

 「へぇ。初めて見た。ちょっとナギィ、ちょっと弾いてみて!」


 メイシアが、キラキラとした視線をナギィに向けた。

 メイシアの視線を受けて、ナギィが三線に構え、バチで弦を弾いた。


 三線から発せられた音で、一瞬にしてその場の空気が浄化されたように、ピンと整う。


 粒だった音は、とてもシンプルな旋律で、音数も少ない。

 なのに音と音の間の空白に、波の音や風の音が聞こえてくる。


  月ぬカイしゃ 十日三日ツカミィカ

  女童ミヤラビ美しゃ 十七つ(とぅーななち)

  ホーイ チョーガ


  アルからありおーる ウフ月ぬ夜

  沖縄ウキナ八重山ヤエマん ティらしょうり

  ホーイ チョーガ


  あんだぎなーぬ 月いぬ夜

  ばがーけら アサびょうら

  ホーイ チョーガ


  ホーイ チョーガ…

  ホーイ チョーガ……



 メイシアはなんて綺麗なんだろうと思った。

 メロディーも、歌詞が持っている響きや抑揚も、三線の音もナギィの歌声も、そしてこの夜が。


 蒸し暑かったこの場所に、そよそよと心地のいい風が吹いてくるのを感じた。

 縁側近くのその場所から、空を見上げた。


 アマはじに大きな月がぶら下がっていた。

 そして、見慣れた青い虹。


 ──── この世界は虹がかかっているんだ……

 

 オズでは見えなかった虹を見て、メイシアは、いっそうどこかにプカプカと流されてきた難破船のような自分を感じていた。

 しかし、それは同時に玉座の君が言っていた「夜の国」へやって来たという事何のかもしれない。


 ただ、もしここが目的地であったとしても、今のメイシアはひとり。

 この旅を始めてから、ずっと一緒だった仲間がいない。


 心細さはあの夜以上だった。


 「ごめんなさい……、悲しい気持ちにさせてしまった?」

 月を見上げるメイシアの横顔に、ナギィが話しかけた。


 「……うん。ちょっとね。でも、それはナギィのせいじゃないの。心配させてごめんなさい。」

 「心配事があったら言ったらいいさぁ。ゆいまーるさぁ。あ、そうだ!明日、オバアのところに一緒に行こう!オバアなら、ワーよりもっと、力になれるかも!」



  *** *** ***



歌:月ぬかいしゃ ──── 八重山民謡

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