113話 エトランゼ 13/16
「あたしは多分、パパとママとこの島で暮らしていたと思うんだ。」
「?」
「意味わからないよね。ある日気が付いたら、あたしはこの島でひとりぼっちになってて。」
その言葉を聞いた刹那、メイシアに電撃が走った。
カップ村でのあの出来事が蘇り、胸が締め付けられる。
「ぜんぜん覚えていないんだけど……忘れたのに残ってるんだ。ここに。パパとママのこと。」
サブリナが胸に手を当てた。
メイシアも痛い胸をギュッと抑えた。指先の冷たい手から熱が伝わって痛みがほんわりと和らいでいく。
『私も……ちゃんと、ここにある……』
「……、」
「んふー、ちゃんと話すとね、」
サブリナはこの島で自分に起こったことを順を追って話し始めた。
「あたしはもともと、さっきの教会の近くに家があったの。
ある朝起きたら、誰もいない。一人暮らしだった。
あれ?毎日こんな感じだったかな?って違和感があったけど……あたしはそれを受け入れた。それが一番自然だったから。
その朝、キッチンに残っていたパンを食卓に運んで食べた。でも心のどこかから声がするの。たまごが焼けたわよーって。
そうしたら無意識で座っていたテーブルの配置が、不思議だなって思って。
だって、あたしの横と前にも椅子があるの。自分の席もここだって分かってる。
どうしてだか分からないけど、急にすごく悲しくなって泣いた。
玄関に行ってもベッドに行っても、家じゅう何処にいても、心の声が話しかけて来て、私は一人になってしまったんだって伝えてくるの。
でもね、その声を捕まえられなくて、思い出せなくて、どうにかして思い出そうとしても、自分の家族の事だけが抜け落ちたように白い。」
「……家族の事だけ?」
「うん。だって家の事は覚えてる。トイレの紙がストックされている場所とか、どこに洋服を入れてるとか、」
「洋服の場所が分かるんだったら、家族の分もそこにあるんじゃないの?」
「……うん、空っぽだった、」
シュテフィの言葉を待たず、サブリナは続ける。
「あたし、その日は何処にも出かけられなくて、ベッドに潜り込んで泣いたんだ、」
言葉の無いシュテフィを気遣ってサブリナがにっこりとした。
────その時、水が押し寄せてきた。
『な、何これ……何なの?』
メイシアは立ち上がり慌てたのだが、二人は何事も無く座ったままだ。
水が押し寄せてきたという表現は適切ではないかもしれない。
いつの間にか窓やドアの隙間、キッチン横の階段で繋がった下階から水がすごいスピードで流れ込み、あっという間にメイシア達を水没させた。
(息が……出来ない……、苦しい……)
しかしメイシアはすぐに気が付いた。
この息が出来ない苦しさは、呼吸ができないからではないと。サブリナの悲しみのせいなんだと。
まるでこの部屋は水槽だった。メイシアは立ち尽くしかなった。
悲しみの水槽の中で涙を流す。
サブリナの感情が流れ込んでくる水槽の中、メイシアに流れ込んでくるのは、在りし日の彼女。
広い家にひとり残されたサブリナは、そこかしこに残る両親の面影を求めて、家中を泣きながら徘徊していた。
玄関にいると聞こえてくる声が心を振るわせる。
誰かに「行ってきます」「ただいま」を言い、「いってらっしゃい」「お帰り」が聞こえてくる……確かな面影。
その声はキラキラ光った置物の様で、手を伸ばせば掴めそうだが触れた瞬間、儚く掻き消える。まるで実体のない泡だったかの様に。
言い知れない孤独と恐怖。
メイシアも経験した「ひとりぼっちになる」という失望。痛いほど知っている。
これまでの事、これからの事。どこを探しても欲しいものは手に入らない喪失感。
世界でただ一人、全てに見放された実感。
苦しみも悲しみも、言葉で表現する事は無理だ。
無力感だけが、メイシアを支配していた。
水槽の中、シュテフィは続ける。
「あたしは頭がおかしくなったのかな?って思って誰かに聞きたかったけど、家から出たら全てが無くなりそうで怖くて家から出られなかった。」
「……どれくらいそうしていたの?」
「すぐだったよ。次の朝。
朝起きたらたらベッドでブランケットに包まっていたはずなのに、ベッドもブランケットも無くなってたの。その代わり大きな本棚と机があった。
あたしのしらない部屋だった。
嫌な予感がして家中見て回ったけど、どこもあたしの知っている家じゃなくなってた。」
「……、」
「そうだよね、想像しにくいよね。ありえないもん。」
シュテフィが申し訳なさそうにうつむいた。
『ユイ加那志、あの不思議な経験をしてきたあなたなら、それが本当だって分かるでしょ?』
息苦しさに耐えながら、メイシアはシュテフィを覗き込んだ。
シュテフィはただ、青い顔をしているだけだった。
「そして、誰かが入って来たんだ、家に。玄関が開く音がして、気が付いたの。
あたしは一瞬、パパとママが帰って来たのかな?って思ったけど、魔法みたいに一晩で全てが変わってしまっていたから、怖くなって隠れて見ることにした。
……やっぱり、知らない人だった。」
「でも、両親の顔は覚えていないんでしょ?」
「そうなんだけど、不思議だよね。どうしてだか、絶対に違うって心が言ってた。それにね、あたし、パパとママのこと以外は覚えてるんだよ。入って来た人は今まで見たことのない人だった。」
『新しい島民……、』
メイシアは島の事務所へ行った時の事を思い出していた。
きっとその人たちは、どこからか移住してきて、名前を教えてもらい住む場所も与えてもらった新しい住人なのだ。
「他の事を覚えてるんだったら、外に出て知り合いに聞けば……」
「確かに初めの日に混乱していなかったら、そうしていたと思うんだけど、どうしても家から離れたくなかったんだ……。」
メイシアもそうだった。
現実から逃避できる「日常」が残っている場所は書庫しかなかった。
だから、書庫にとどまって泣いていたのだ。
そこから居なくなれば、自分さえ存在しないものになりそうな気がしていた。
メイシアはサブリナに近づくと、触れることが出来ないのを忘れて、そっと抱きしめた。
『泣くしか出来なくて、ごめんね……』




