105話 エトランゼ 5/16
部屋を出ると、長い廊下だった。
廊下と言っても、設えがいちいち豪華で、床に敷き詰められている絨毯も毛足が長くコシがあってフカフカ。
シュテフィはそこを、度胸というのか、無謀というのか。当てもなく走り続ける。
(ユイ加那志って、考えるよりも行動する人というか……)
メイシアがそう思うのも仕方がない。
屋敷は不思議な造りだった。
ぐるぐると何処をどう走っているのかも検討が付かない。
屋敷の中のはずなのに、曲がり角や別れ道がある不気味な造り。
まるで迷路の様だ。
(このまま闇雲に走って外に出られるのかなぁ?その前に捕まるんじゃ……、)
メイシアは心配はもっともなのだが、不思議なことに今まで誰とも出くわしていない。
これだけの豪邸なのだから、使用人が何人もいてもおかしくないはずなのに、人の気配さえ全く感じないのだ。
そうしているうちに、廊下の突き当りに来てしまった。
突き当りには両開きのドアが付いていた。
シュテフィが足を止める。
じっと扉を見つめるシュテフィ。
『えーー!開けるの?開けちゃうの?危なくない?誰かいたらどうするの?やめた方が良くない?』
もちろんメイシアの言葉はシュテフィには聞えていない。
シュテフィは、一呼吸息を整えるとドアを開けた。
メイシアも横でゴクリと息をのむ。
────!
『え?!何で?』
扉を開けたその場所は、元いた天蓋ベッドの部屋だった。
しかも、さっきは無かった猫足の華奢なテーブルとイスが置いてあり、ティーセットが用意されてあった。
ドアを開けたとたんに、バラと温かな紅茶の混ざったいい香りが漂ってくる。
シュテフィはそれを見るなり、へなへなとその場に座り込んでしまった。
『……私たちが戻って来るって分かっていたって事?というか、もしかして全部見られているの?』
この屋敷の主には、全てが予定されていた事だと言うのだろうか。
この状態をどう受け取ればいいのか、メイシアは混乱した。
そして、へたり込んでしまったシュテフィが、どのように感じているのかとジッと見つめる。
シュテフィは、無言のまま力なく立ち上がると、扉を閉めベッドに体を投げた。
用意された紅茶とお菓子には目もくれない。
テーブルの上には、普段のメイシアだったら絶対心がときめくような、かわいいケーキやクッキー。それにティーポットもカップも全てが可愛らしい。
テーブルもとても趣味が良く、曲線が美しい木製の猫足。丸い天板が大理石。それを熟練の技で、木の枠に嵌められてある。
その上にキルトを敷いて、紅茶が冷めないように準備されているという、細やかな心遣い。
それを「歓迎」と取るのか、「余裕」と取るのか。
『……怖い、』
メイシアが、腕を抱きかかえた。何をしても無駄だと警告されているように感じてしまう。
証拠に、シュテフィは知る由もないが、役目を終え、消えてもいいはずの扉がそのまま壁に残されている。
何度出て行ったとしても、問題が無いという事なのだろう。
極め付きが、この部屋にいない間に用意されていた、女の子がときめきそうなお茶のおもてなし。
ここにシュテフィを閉じ込めた何者かの、余裕を感じてしまって余計に恐怖が募る。
部屋の場所もそうだ。
どうなっているのか、この部屋を出て行った時、この部屋は突き当りの部屋では無かった。
なのに帰ってきた時は突き当りの部屋になっていた。
『ここは一体なんなの……』
シュテフィは今何を考えているんだろうと、メイシアが様子をうかがう。
シュテフィはただ、仰向けに寝転がったまま天蓋を見つめていた。
走って疲れたというよりも、精神的にダメージが大きかったのだろう。ボー然とベッドに体を委ねている。
「……ダメ。ここで諦めちゃダメ、逃げないと。……何か、何か方法があるはず、」
シュテフィは誰かに聞かせるわけでもなく、自分に言い聞かす様につぶやいた。
──── ボーン……ボーン……
その時、遠くで何かの音がした。
どこから聞こえるのか方向が定まらない不思議な音。
鐘のような、無機質な音だった。
『この音……どこかで聞いた事があるような……?』
メイシアはこの音に聞き覚えがある気がしたが、思い出せない。
『いつだろう?どこか遠くで……?違うな、すごく昔に……?違う。とっても深い場所……?深い場所って何言ってんだろう?』
考えるけれど、いくら考えても身近にはこんな音のするものは思い当たらない。
メイシアが悩んでいると、急にシュテフィが起き上がった。
「そうだ!」
そういうと急にテーブルに駆け寄り、天板の裏を覗き込んだ。そしてテーブルとセットされている椅子を部屋の隅へと運ぶ。
次に、テーブルの上に乗っているものを全て椅子の上に乗せ換えた。
『ユイ加那志、何をするの?』
もちろん問いかけたところでシュテフィに聞こえるはずもない。
シュテフィは無言で重たい大理石の天板のテーブルをひっくり返した。
『ちょっと、ユイ加那志?』
「うん。大丈夫そう。」
ひっくり返したテーブルの裏が大理石である事を再確認すると、次は部屋中のバラを生けている花瓶や花器を集めてきた。
おもむろにバラを花瓶から抜くと、ぽーいと、無造作に絨毯の上に投げる。
そして、花瓶の中の水を一つの花瓶に集めた。
作業を終えると、花瓶を見つめ、決意のような息を一つ。
『え?何?何をするの?ちょっとくらいしゃべってよ、ユイ加那志!』
そこからのシュテフィは早かった。
息つく間もなく、大理石の上にさっき花瓶に集めた水を流した。
もちろん深い皿のようになってはいないので、カーペットの上に流れてしまう。が、テーブルの枠になっている木の部分が若干盛り上がっているので、ほんの少しだけ水が溜まるのだ。
しかし、それも大理石と木が密着している訳ではないので、時間が経つと漏れてしまうだろう。
一気に水を流し込んだシュテフィは、そのまま花瓶を放り投げ鼻をつまむと、水を貯めた大理石にダイブした。
『ん……?えっ?!…………えーーーーーーっ!』
あっけにとられ、見ている事しかできなかったメイシア。
驚きで固まってしまう。
シュテフィが大理石に飛び込むと、まるで深い水たまりにでも飛び込んだように、水深数センチの水たまりに潜ってしまったのだ。
今、目の前で起こったことの理解が追いつかない。
だが、すぐに我に返った。こうしては居られないのだ。
──── 追いかけないと!
(そうだ、これは夢。夢だからなんでもありなんだ!)
そう自分に言い聞かすと、少々の躊躇いもあったが、思い切って大理石の水たまりへジャンプした。




