最終話 caretaker
―――桃子がアメリカに旅立ってから6年が経った。
寮の管理人兼、新理事長松阪京介の心の友というなかなか面白い肩書きを得た僕は、この何年か馬車馬のように働いていたと思う。そのせいか不思議と寂しさは感じなかった。しかしながら働き詰めのせいで32歳のくせにやけに老け込んでしまったかもしれない。桃子に見られたら笑われそうだ。
たまに瑛神のお誘いでオフ会のセッションに行ったり、レイラへの楽曲提供をしたりと、音楽活動はぼちぼちつづけている。でも、あれからバンドはやっていない。川越弥生にバンドをやらないかと誘われたこともあったけれど、やっぱりバンドをやるなら桃子にドラムを叩いてほしいという思いがあったので断ってしまった。
そんなこんなで今日はとある結婚式場にいる。もちろん僕は新郎ではなく、ただの招待された客人である。
「「「瑛神くん、レイラさん、結婚おめでとー!!」」」
チャペルから出てきたのはタキシードを着込んだ瑛神と真っ白なウエディングドレスを身に纏ったレイラだった。僕ら招待された客人は、彼らにフラワーシャワーをひたすら浴びせる。
めでたいことに、2人は6年の月日を経て先日入籍した。レイラはバーチャル歌手活動を続けていて、その楽曲がヒットチャートに載るような人気歌手になった。瑛神はそのレイラを支えるプロデューサーとして活躍している。
瑛神がプロポーズする際にも僕がなんやかんや根回しをしたりして本当に大変だったわけなのだけれども、今日はそんなことも酒の肴にしてしまおうかと思う。
「はあ〜〜、瑛神くんもついに結婚すか……、私は取り残されてどんどん生き遅れていくっす………」
披露宴に会場を移すと、同じテーブルには美織がいた。彼女も三十路を過ぎていよいよ焦って来たらしく、婚活に力を入れているようだ。
「気長に探しなよ。そういうのって、案外近くにいたりするもんだ」
「先輩の毒にも薬にもならないアドバイスは聞き飽きたっす……。そもそも、先輩に振られたからこんなことになってるわけで――」
「その件は……、ごめん」
「別に怒ってないっすよ。先輩が律儀に桃ちゃんの帰りを待ってるのは分かってるっすから」
6年もあれば人間関係も色々ある。何年越しかわからない想いを美織に告白されたり、桃子の親友である伊織が高校の卒業式に告白してきたり、柚香さんやライカには本命じゃなくてもいいからと迫られたりと、他の男性陣から嫉妬の対象にされてしまうようなことが沢山あった。6年前にライカが占ってくれた『自覚せざるを得ないくらいモテモテになる』という結果は、あながち間違いじゃなかったのかもしれない。
それでも僕は馬鹿がつくほど律儀だったので、桃子が好きだと言って一蹴した。こんなこと、あいつが帰ってきたときにバレたら死ぬほど笑われるに違いない。
宴は進んで、瑛神とレイラがキャンドルサービスをしに僕らのテーブルへやってきた。
「おめでとう瑛神、レイラ。末永くお幸せに」
「師匠、ありがとうございます。何から何まで師匠のおかげです」
瑛神が笑顔で軽く頭を下げた。すると、隣にいたレイラはニヤニヤとした表情を浮かべる。
「本当にそうですよねー。伊勢さんがいなかったら瑛神くんは本当に引きこもりでしたもんねー」
「レ、レイラっ!」
相変わらず仲が良くて微笑ましい。あの引きこもりだった瑛神がこんなにも立派になったのだから、勝手に彼の師匠にされている身ながら鼻が高い。
ふと、瑛神は僕の隣の席に目をやった。美織が座っている方とは逆側の隣の席。そこには誰も座っておらず、テーブルの上には『尾鷲桃子 様』と書かれた名札が置いてあった。
「……一応、呼んではみたんですけどね。出席するって返事も頂きました」
「まあ、あいつも忙しいだろうからな。いつアメリカから帰って来られるかわからないって言っていたし」
桃子は無事にアメリカの音大をストレートで卒業した。ただ、卒業後は母親の小梅さん同様に各地で引っ張りだこのようで、結局日本には一度も帰ってきていない。瑛神とレイラはわざわざ気を使ってくれたみたいだけれども、桃子は披露宴に現れなかった。
僕は若干ホッとしていた。今桃子が目の前に現れたら、どんな顔をしていいかわからないのだ。
6年という月日は、お互いに想い合っていることすら忘れさせてしまうには十分過ぎる。
披露宴が終わって、二次会に行く人たちは颯爽と会場に向かっていったようだ。生憎、僕は明日も早くから仕事をしなければならないので一足先に帰ることにした。
僕の住まいは6年前と変わらず寮の一室だ。寮生も少し減ったおかげで、桃子の部屋とその隣のトレーニングルームも手つかずのまま。そこだけはまるで時が止まったかのようにそのままだ。
むやみに桃子のことを思い出さないよう、掃除をするとき以外は出来るだけ近寄らないようにしていた。でも今日は瑛神とレイラの結婚式で懐かしい気分になったのか、不思議と足が向いたのだった。
元桃子の部屋から怪しげな物音が聞こえた。空き部屋に空き巣が入るなんて聞いたこともないので、おそらくネズミか何かだろうと僕は思った。
ネズミなんて一度も出たことがないので、いよいよこの寮も古くなってしまったかと僕は肩をすくめる。念の為買っておいたネズミ捕りを仕掛けておこうと元桃子の部屋の扉を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「ちょっと、部屋の扉を開ける前にノックぐらいしなさいよ!何年経ってもデリカシーないわねえ」
ノックをせずに入った僕に嫌味たらしく抗議してきたのは、まさかの桃子だった。
僕は目を疑った。瑛神とレイラの結婚式にも出席しなかった桃子が、なぜかかつて住んでいた寮の部屋にいるのだ。
「桃子……?本当に桃子なのか?」
「当たり前じゃない。正真正銘の尾鷲桃子23歳よ」
お前は中尾憲太郎かとツッコミを入れる余裕は僕にはなかった。本物の桃子がそこにいるのだ、冷静でいられるわけがない。
6年分大人っぽくなったなという印象を受けたが、そのキツい性格とか小ぶりな胸とか、変わっていないところは変わっていない。
「――もうひどいったらありゃしないわ。せっかくあの陰キャラの結婚式に間に合うように旅程を整えたのに、ロスバケよロスバケ。意味わかんないわ」
どうやら桃子は結婚式には来るつもりだったらしいが、道中でトラブルがあって出席出来なかったようだ。
「……それで、なんで桃子はここに来たんだ?」
「あんまり慌てて来たものだから、ホテル取り忘れたのよ。――だから泊めてちょうだい」
僕は今世紀何百回目かわからないため息をついて肩をすくめた。それならそうと僕に連絡してくれたっていいじゃないか。
……まあ、今に始まったことではないからそれぐらいは目を瞑ろう。
「あー、そうそう、私実は来月からこの学園の客員講師をやることになったから、しばらくここに住まわせてもらえない?アパート借りるの面倒くさいのよね」
「……今お前、何て言った?」
「しばらくここに住まわせてって言ったわ」
開いた口が塞がらなかった。
桃子が来月からこの学園の客員講師になるからここに住まわせろだって?そんな寝耳に水どころか寝耳に液体窒素みたいなことがあってたまるか。
桃子との突然の再会を喜ぶ暇もなく、6年越しにまたひとつ屋根の下で暮らすことになってしまった。もはや嬉しいのか慌てているのかよくわからない感情が僕の中で渦巻いている。夢なら夢だと言ってくれ。
「そういうわけで、これからもよろしくね。管理人さん」
その悪戯な笑顔で僕はすっかり忘れていたことを思い出した。
やっぱりこの子には一生、敵う気がしない。




