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第74話 traffic

 桃子がアメリカへ旅立つ日になった。

 寮の玄関先には、彼女を見送ろうとみんな集まっていた。


「うぅ……、桃ちゃんついに行っちゃうんすね……」


「……ごめんなさいね、もう少し日程に余裕があれば色々みんなと話すことも出来たと思うんだけど、こればかりはね」


 突然の別れということもあって、まだ心の準備ができていない人がほとんどであろう。かく言う僕だって、まだ完全に飲み込めてはいない。


「ほら、そんな暗い顔しないで。別に永遠の別れってわけじゃないんだから。――いつかちゃんと戻ってくるから」


「桃ちゃん……」


 出発の時刻がせまってきた。空港までの道のりは僕が車で送ることになっているので、桃子の手荷物はトランクルームに積んである。

 桃子は最後の忘れ物チェックをすると、もう一度みんなの方を向いた。


「……それじゃあまたねみんな。留学から帰ってきたときにはお酒でも飲みましょ」


 見送りに来てくれた美織や伊織は涙を浮かべている。僕もなんだかセンチメンタルな気持ちだ。

 本当ならば桃子だって泣きたいのかもしれない。けれども、決してこれは悲しい別れではないと言い切りたいのか、桃子は最後まで涙を浮かべることはなかった。


 空港までの道中、車内は沈黙していた。

 僕と桃子しかいないので、お互いがお互いに気を使って何も言葉を発することが出来なかった。

 前にもこんなことがあった気がする。あの時は、僕が自分自身に自信を持つことが出来なくて桃子に独り言銘打たれて間接的に説教をされた。

 今思うとなんとも情けない話ではあるけれども、僕のターニングポイントになっているのは確かだ。本当はあの説教も昨日のことだったんじゃないかと思ってしまうくらい鮮明だ。


「あのね、脩也」「あのさ、桃子」


 勇気を出して言葉を発しようとしたら、まさかのタイミング被り。ベタ過ぎて今どきドラマの脚本でもそんなこと描写しないだろう。


「お先、どうぞ。……レディファーストだ」


「随分投げやりなレディファーストもあったものね」


「ファーストするだけマシだと思ってもらえないかね」


 膠着状態だった二人の間に、淀みのない風が吹いたような気がした。運転しているので隣を見ることはできないが、心なしか桃子も少し笑ったような気がする。


「それで?言いたいことがあるんだろう?」


「……その、アレよアレ、……要するに『ありがとう』ってことよ」


「何が『要するに』だよ。要約元の文章が無いじゃないか」


「うるさいわねえ、素直にあんたに感謝してあげているんだからもうちょっと喜びなさいよ」


「なんだよそれ。全然素直じゃないじゃないか」


 言い訳になっていない桃子の言い訳に僕は笑ってしまった。おそらく、面と向かってこんなことを言うのが本当に恥ずかしいのだと思う。


「私ね、あんたに会うまでドラム叩いてても全然楽しくなかった。親があんなんだし、カエルの子はカエルってことで成り行きでドラムを叩いてた」


「成り行きで叩いていたくせに随分とハイレベルだったけどな」


「それは私が天才だから仕方ないわ」


 もはや聞き飽きたようなやり取りだ。自分で自分のことを天才だという傲慢さも、それはそれで桃子らしくて良い。


「周りの人間とバンドを組む気なんて無かったし、海外の音大を狙うために留学なんてする気も毛頭無かったわ。……でも、それはあんたに出会って変わった。あんたに会って、ドラムが楽しくなって、バンド活動も楽しくなって……、もっと上手くなりたいって心の底から思えるようになったの」


 僕が思うにそれは少しだけ違う。おそらく桃子は最初からドラムを叩くことが好きなのだ。ただ、周りが周りなだけに、それを認めたくない思春期ゆえの迷いみたいなものがあったのだと思う。

 ……どちらにせよ、僕が彼女を変えるきっかけになったことには変わりないのだけれども。


「だからあんたに感謝しなきゃいけない。そう思ったの。………若干不本意なところもあるけど」


「そりゃどうも」


 僕はクシャッとした笑顔を浮かべた。桃子が感謝の言葉を述べるのが苦手なように、僕もそれを真正面から受け取るのがどうも苦手みたいだ。


 空港近くの交差点までやってきた。もう少しだけ車を走らせれば、桃子とはサヨナラだ。

 赤信号で車は止まった。ここの赤信号はなかなか青に変わらなくて長々と待たされることで有名だ。


「脩也、こっち向きなさいよ」


 ずっと前を向きっぱなしの僕に、こっちを向けと桃子が言う。僕は気が抜けていたのか、全くの無警戒だった。


「なんだよ、まだ何か言いたいことがあるの……」


 不意に桃子に顔を引き寄せられて視界が狭まった。そして、唇は温かくて柔らかい感触に支配される。

 ほんの5秒もかからないような短い時間だったけれども、死ぬ間際なのではないかというくらい僕にとっては長い時間だった。


「……も、桃子?」


「好き。脩也が好き。―――ほら、信号青に変わったわよ、さっさと行きなさいよ」


 またこの小娘にまんまとしてやられた。何事もなかったかのようにサラッと告白を済ませるとは本当にこの子はずるい。不意打ちされた僕はしばらく頭が働かなかった。


 このままやられたままアメリカに逃げられるのはちょっと癪だ。お返ししてやろう。


「僕も桃子が好きだよ」


「……そんなの当たり前でしょ。私はとても魅力的なんだから」


「そりゃ間違いない」


 僕のカウンター攻撃も虚しく、桃子に一蹴されてしまった。流石は桃子、自分自身の評価がとても高い。そんな女の子に惚れてしまった僕は最初から負け戦だったのだろう。


 ただ、その時のちょっと嬉しそうな桃子の顔は、一生忘れることなど無いなと思った。これだけは間違いない。

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