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第71話 daughter

「あら、ちょっと面白そうなことをしているじゃない」


 そんなセリフが聞こえてきたのは3人で『Get back』を演奏しだしてから三回り目のことだった。

 僕にはその声の主が誰だか分かった。そしてそれと同時に一筋の光が見えたようにも思えた。


 ステージ袖には桃子の母親で、世界的なドラマーである朝日小梅さんがいたのだ。


「あれってまさか……、朝日小梅じゃないっすか?」


「本当だ……!ホンモノの朝日小梅ですよ!」


 美織と瑛神もその存在に気がついたようだ。驚くのも無理はない、世界的ドラマーがこんな地方の学園祭にひょっこり現れるのがもはや馬鹿げているのだ。

 しかも驚くことに小梅さんはただステージ袖から眺めるだけでなく、スティックを持ってこっちにやってくるではないか。

 観客の中にもその存在に気づく者がいたようで、場内は少しざわめき始めた。


「お、おい!朝日小梅がステージにいるぞ!?」

「まじかよ!?学園祭に来るとか聞いてないぞ!?」

「こりゃchokerを待っている場合じゃないな!」


 大御所の力というのはやはりすごい。まだ音符一つも奏でていないのにオーディエンスが沸き立ち上がってきた。一度は立ち去ったものの噂を聞きつけて戻ってきたお客さんもいる。


「ふふふ……、面白そうだからちょっとお邪魔させてもらうわね」


 そして小梅さんはそのままドラムスローンに腰掛けると、軽快なフィルインで『Get back』セッションに加わってきた。当たり前だが小梅さんのスティック捌きは桃子より数段上で、表現力というキャンバスの大きさから既に違う。格上とはこういうことかと思い知らされる。


 これでやっとバンドになった。確実に場内は盛り上がりを見せ始めている。こうなってくると演奏する側もハイになる。

 一人でステージに立って大恥かいてでも場を繋ごうと覚悟していただけに、僕は嬉しさで少し涙が出そうになった。


 それでもまだセッションは終わっていない。桃子より格上とはいえ、このバンドのドラマーは小梅さんでは駄目なのだ。だから桃子がやってくるまで僕らは演奏を続ける。

 黙々と同じ曲を何度も繰り返す。少し場を繋ぐはずが、もう20分くらい演奏を続けている。まだ桃子は来ないのか、果たして桃子はやってくるのだろうか、そんな考えと次の歌詞だけをずっと考えながら、セッションは続いていく。



 尾鷲桃子という女の子はとても可愛い。正直なところ、過ちを犯してしまいそうになったことが何度もある。

 尾鷲桃子という女の子はとても賢い。17歳とは思えない聡明さで、その言葉と行動には何度も助けられた。

 尾鷲桃子という女の子はとても自分勝手だ。何故かと言うと、僕がもういい加減セッションをやめてしまおうかと思ったその瞬間にステージの下、僕の真ん前に現れるのだから。そして、いきなり現れたくせに明日には僕の目の前からいなくなろうとするのだから。


「全く、いつまで『Get back』を演り続ける気かしら?うちのママまで引っ張り出しておいて、まさかこの曲だけ延々とやろうってわけじゃないわよね!?」


 僕は桃子の姿を見て何を言ったら良いのか分からなくなって、思わず本音が出た。


「バーカ!お前が早く来ないからこんなことになっているんだろうが!――いいから早く準備しろ」


 すると、桃子は何も言わず不敵な笑みを浮かべた。古巣のバンドと対バンしたときにも同じような表情を見た気がする。

 そして僕らはセッションを一旦終えた。思いも寄らないスペシャルゲスト朝日小梅のおかげで場内のお客さんをなんとか繋ぎ止めることができたので、それを称えるかのような拍手が鳴っている。

 桃子がドラムセットの前に向かうと、お役御免という感じで小梅さんは腰を上げた。


「それじゃあ、私はそろそろお暇するわね」


「待って、私はママを探してたおかげで遅くなったの。――このバンドでの私のラストライブ、絶対目に焼き付けておいて」


「ふふふ……、そんなに言われちゃったらしょうがないわね」


 娘にドラムセットを奪われた割に、小梅さんは楽しそうな顔をしていた。離れ離れに暮らしているだけに、娘の成長を見られるのがなんだかんだ嬉しいのかもしれない。



 セッティングを済ませた桃子の周りにバンドメンバー皆で集まった。こんな風に円陣を組むのももう最後なのかと思うと少し寂しい気持ちもあったが、今はそれどころではない。せっかく貰った出演枠なのだ、見ている方も演奏する方も思い出に残るようなアクトをしてやろう。4人ともそんな気持ちだった。


「セットリストはこれでいくわよ。――準備、出来てる?」


「当たり前だ」「もちろんっす」「OKです」


 そして、僕らの最後のライブが始まった。

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