第65話 mismatched
翌日、僕は魂の抜けたような表情で学園内のパトロールをしていた。実際に自分の顔を見たわけではない。偶然出くわした鈴鹿伊織にそんな表情をしていると心配されて気がついた。
伊織は一人、いつも作業している部屋にいた。相方の桃子は今ここにはいないようだ。
「ど、どうしたんですか……? 顔色、悪いですよ?」
「……そう?僕はそんなに悪い顔してる?」
「はい、ちょっと心配になるくらいには。――もしかして、桃子のことですか?」
流石に桃子の親友だけあって伊織は言わずとも何が起こったのか察しがついているようだった。
「確かにいきなりでびっくりしちゃいますよね。私はもっと前から桃子が留学に行くってことを知っていたので落ち着いていられましたけど、伊勢さんの立場だったら私もそうなると思います」
「やっぱり桃子のやつ、君にはちゃんと話していたんだね」
「私は早くバンドのみんなに伝えた方が良いって言ったんですけどね。桃子、どうしてもギリギリまで言いたくないって」
伊織は申し訳なさそうに僕から視線を離した。
それを見て僕は、伊織が自分のせいにしてしまうのではないかと少し焦った。
「あっ、いや……、別に君が黙ってたことが悪いわけじゃないからね。誤解しないでほしい」
「ううん、違うんです。ただ、日本を発つ前に桃子に何かしてあげたかったなあって思ったんです。……出発日、学園祭の次の日だから」
僕はそう言われてハッとした。ちょっと前に桃子が学園祭のロックフェスに出ようと話を持ちかけてきたことを思い出したのだ。
あの時はただ、美織が多忙だからと言う理由で断断念したけれども、それでも桃子は顔色一つ変えなかった。もしかしたら最後になってしまうライブかもしれないのに、あっさりと断られてしまったことに対しても文句一つ言わなかったのだ。あの桃子が。
そんな大人ぶった桃子の姿を思い出すだけで、悔しさや怒りに似た感情が湧き上がってくる。このまま終わるわけにはいかない。いかないのだけれども、打つ手はない。人事すら尽くしていないのに天命を待つのはあまりにも愚かだ。
「……なあ伊織ちゃん、まだロックフェスの出演枠はあるかい?」
「……ごめんなさい。もう全部埋まってしまっていて」
「だよな……。いや、仕方がないか」
それでも僕は諦めがつかなかった。せめて何か、桃子をわだかまり無く送り出せる方法がないか足りない頭を使ってフル回転で思考を巡らせた。
「あの……、私も何か手伝います!」
「ありがとう。まあ……、まだなんにも思い浮かばないんだけどさ、いざとなったら僕に力を貸してくれよ」
「もちろんです!絶対に桃子を笑顔で送り出しましょう」
その伊織の力強い眼差しに、少しだけ僕は救われた気分になった。
ただ問題は解決していない。ロックフェスの実行委員会が使っているこの部屋には既に完成した当日のタイムテーブルが貼ってあって、伊織の言うように僕らが飛び込める枠はもう見当たらなかった。
メインステージのトリは僕の古巣である『Andy And Anachronism』、サブステージのトリは2人組アイドルの『choker』で、どちらも相当な集客を見込めるだろう。そんな皆が一生懸命作り上げているビッグイベントの隙間になんとしても入り込もうなんて思う僕は、本当におこがましくて怖いもの知らずなのかもしれない。
タイムテーブルの前で少し立ち尽くした僕はパトロールに戻るため部屋を出ようとした。すると、不意に右腕を伊織に優しく握られた。
少し僕より体温が高くて、まるでライブの出番前みたいに緊張しているのかその手はしっとり湿っていた。
「あっ、あのっ……!」
「どうしたの?……顔、真っ赤だよ?もしかして熱でも?」
「……い、いや、やっぱりなんでもないですっ!」
僕は伊織のおでこに手を当てて熱があるかどうか確認しようと手を伸ばしたら、伊織は華麗にそれを避けて部屋の外へ逃げるように出ていってしまった。
もしかして僕はまずいことをしてしまったのかと、また別の自責の念にかられるのだった。
何もかも上手くいかない。ちぐはぐだ。




