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第62話 undercover

 ◆


 桃子は先の連休を利用して東京にいる母親に会いに行った。ただ、その目的というのは単純に親子の時間を過ごそうとか、東京観光をしてやろうとかそういった類の目的ではない。一人の未来ある高校生として、将来自分がどうしたいか母親と語り合ってきたのだ。そして『ある決断』を心に決めて学園へと戻ってきた。


 連休明けの日、東京から戻って来たばかりの桃子を待っていたのは元気のない伊織だった。学園祭を目前に控える中、準備はどんどん忙しくなってくるのにも関わらず、伊織はどこか心ここにあらずという感じで作業が手についていない。

 いつも快活な伊織がこんなにも落ち込んでいるのは、桃子にとってしてみたら珍しいこと極まりなかった。大概の場合何か嫌なことがあったとしても鈴鹿伊織という生き物は一晩寝ると忘れてしまうはずなので、余程のことがあったに違いないと桃子はすぐに察知した。

 しかしながら、何があったのかを伊織に訊く勇気は桃子には無かった。どうせ脩也に関連した話であって、桃子にとってあまり耳に入れたい話ではないのは間違いない。ましてや伊織の悲しむ顔など見たくもなかったからなおさらだ。それゆえ、本来仲良しである2人の間にはずっと沈黙が流れている。


「……桃子?もしかして、何か怒っていたりしてるの?」


 我慢できずにその沈黙を先に破ったのは伊織だった。普段からツンツンしている桃子なので、こういう静かな時はより一層怒っているように見えるのだろう。


「そんなわけないでしょ、私はいつも通りよ。――むしろ、伊織の方がおかしいわよ」


「そ、そうかなあ……、いつも通りのつもりなんだけど……」


 桃子は呆れたと言わんばかりに大きなため息をついた。親友の調子がおかしくなると自分まで調子が狂ってしまうので、桃子は別に聞きたくもないのだけれども伊織へその訳を訊いてみることにした。


「……あのね、私好きな人がいるんだ」


「寮の管理人でしょ。伊勢脩也」


「なっ、なんで知ってるの!?」


 顔を真っ赤にする伊織をよそに、桃子はもう一度大きなため息をついた。ここまで顔にも態度にもあからさまに出てしまう人間は伊織くらいのものだ。そしてその自覚が本人に全く無いというのもまた伊織らしい。


「それでね、昨日バイトしてるときに会ったんだ」


「脩也に?」


「うん。そしたら美人な女の人も一緒でね、なんか楽しそうだった」


 桃子は伊織が脩也へ告白してフラれたのだろうと高をくくっていたので、自分が予想していた展開と少し違っていることに少し驚いた。それに、伊織の言う美人の女性というのも引っかかる。桃子は最初、自分の姉の柚香だろうと思っていたが、特徴を聞いていくうちにその線はないことが証明されていく。それどころか全く心当たりのない女性像が浮かび上がってくるのだった。

 内心桃子は焦っていた。焦る必要なんて全くないはずだし、脩也に恋人が出来ようが出来まいがどうでもいいとまで思っていた。そのはずなのだけれども、何か胸には得も言われぬ焦燥感があって、喉の下のあたりが鈍くズンと痛む。それでも桃子は伊織と違って動揺が顔に出ないように平静を装っていた。


「……ふうん、私も知らない人ね。多分、大学の同級生かなんかじゃないの?」


「そうなのかも。……まあでも、仕方がないよね。向こうからしてみたら私みたいなまともに会話なんてしたことなくて、しかも10歳くらい年下の女の子なんて、困っちゃうよね」


 桃子はその言葉に何も返せずに、伊織から目線を逸らした。向き合いたくない事実がそこにあったから。そしてそれをきっかけに桃子は、ずっと気が付きたくなくて放っておいた自分の気持ちについに気が付いてしまった。


「……伊織、もうこの話はやめにしましょ」


 とにかくこの話題から距離を置きたかった桃子は、そう言うのが精いっぱいだった。幸い、伊織は気持ちの切り替えが上手なこともあって、一旦この話を忘れようとするのは容易だった。


 またしばらく2人の間には沈黙が流れたのだが、今度はすぐに伊織の方から沈黙を破った。


「そういえば、桃子は東京でお母さんに会ってたんだっけ。元気にしてた?」


「元気も何もあの母親ひとが元気じゃないわけないじゃない。マグロと同じで止まったら死ぬタイプの人よ」


「ふふっ、自分の親にそんなこと言えるの、やっぱり桃子は面白いね」


 今日初めての笑顔を伊織が見せつけると、桃子も自然と頬が緩んだ。桃子としてはできれば親友とずっとこんな笑顔があふれ出るような会話をしていたいのだけれども、そうは問屋が卸さない事情がある。


「――それで、どうなったの?留学の話」


「……出発の時期、ちょっと早まりそう」


 桃子が母親と決めたという『ある決断』とは海外留学の話。そして、そのタイムリミットは着実に近づいていた。

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