第6話 senior
尾鷲桃子と二人でスタジオ練習に行くときには、僕の軽バンに乗って移動する。彼女が言うにはバスに乗るより断然早く着くので練習時間が多く取れるし、荷物がたくさん乗るから自前のスネアドラムとかペダルとかシンバルとかを持ち込めて便利らしい。ただし、居住空間としては酷評されている。軽バンの座席なんて、お世辞にも座り心地が良いとは言えないのが正直なところ。これに関しては僕も同意する。
「もう、なんでこの車は音楽のひとつも思い通りにかけられないのよ。欠陥品なんじゃない?」
「仕方がないだろ、カーオーディオどころかFMラジオすらついてないんだから」
そう、この車は姉夫婦のツテを使ってタダ同然の価格で手に入れたボロなので、車内で流せるものといえばAMラジオだけだ。せめてFMラジオに対応していればトランスミッターを使って好きな音楽を流すことができるのだけれども、それさえできないのでこの現代っ子さんは相当不満らしい。
仕方なく彼女はカバンからワイヤレスイヤホンを取り出して耳につけた。一体何を聴いているのか気になるところではあるけれども、そもそも音楽が聴きたいなら最初からそのワイヤレスイヤホンを使えばいいのではないかというツッコミのほうが、僕の頭の中ではプライオリティが高いみたいだ。
彼女がイヤホンをつけて黙ってしまったので、車内にはただ古めかしい660ccのエンジン音だけが響いていた。いつもあれほど僕を困らせることを言ってくるのに、ここまで静かになると逆に寂しさすら感じる。恥ずかしいから絶対こんなこと彼女には言わないけれど。
やがて楽器屋の駐車場に車を停めると、僕はトランクを開けて楽器やら機材やらを下ろす。その間に彼女は先にスタジオへ行ってしまう。いつもこんな感じ。機材は僕に運ばせておいて、自分はとにかくドラムを叩きたいのだ。そんな彼女の性格は簡単には直らないだろう。そして僕はこれまたいつもの通りため息をついて肩をすくめた。
店内に入るとあの声のバカでかい店長がいなかった。そのかわり、見覚えのあるボブカットで眼鏡の女の子がカウンターに立って店番をしていた。
あいつは確か……。
「えっ!?先輩じゃないっすか!お久しぶりです、なんでこんなところに?」
「それを聞きたいのはこっちの方だよ。なんで桑名が店番やってるんだ?バイト?」
店番の女の子の名は桑名美織、僕のことを『先輩』と呼ぶことからお察しの通り、大学時代の軽音楽部の後輩である。歳は1つ下で今年25歳になる。ベースを嗜んでいるのだけれども、あまりにも楽器ばかり弾いていたせいで、大学1年生を2回経験した猛者だ。当時と比べると髪の色こそ落ち着いた色になったけれども、それ以外はほとんど変わらない。
「バイトじゃないっすよ、新卒でこの春入社したピカピカの新入社員っす。やっと他店で研修終わってここに来たんですよ」
そうかそうかと僕は納得しかけたが、彼女の話にはひとつ引っかかるところがあった。僕が現在大卒社会人4年目で26歳なのは既に述べていると思う。一方で桑名美織は僕の1つ年下で更に大学を1回留年をしているから、大卒社会人2年目であるのが自然だ。彼女は新卒新入社員と言ったので、これでは計算が合わない。そうなると導き出されることはただひとつ。
「………桑名、もしかしなくともお前は更に1年留年したのか?」
「あら、バレちゃいました?さすが先輩、理系だから計算早いっすね。そういうとこ好きっす」
どうやら僕が卒業してから2回目の大学3年生を経験したらしい。1回目の留年のとき、なんとしても2年生に進級させてやろうとかなりこの子の面倒をみた記憶があるので、もう1回留年したというのは少しショックである。まあでも、卒業出来たのは良かった。
「いやー2回目の留年をした時は先輩もいなかったしどうなるかと思いましたよ。あの時は学業に集中するために、ベースのボディとネックをバラして封印してたぐらいですから」
「やり方がえげつないんだよお前は……」
「でもそのおかげでなんとか卒業して就職も出来ましたし、先輩には感謝してるっす。――そういえば先輩、拓先輩たちと組んでたバンドはどうなったんすか?」
僕は彼女のその悪気のない言葉に一瞬喉が詰まりそうになった。しかしながら、こんなところで彼女に変な嘘をついても仕方がない。声を絞り出しながらも正直にバンドをクビになってしまった旨を伝えた。
「……結構大変だったんすね。でも、先輩めっちゃ頑張っててすごいっす。こっちに帰ってきてもまたバンドやってるんすもんね」
「えっ……?なんで僕がバンドやっていることを……?」
「そりゃあ、先輩がスネアドラムとかシンバルとか持ち運んでるからっすよ。それ、メンバーさんのっすよね?」
僕は手元に置いたままの尾鷲桃子の機材に目をやると、こいつらを運び込みをすっかり忘れてしまっていたことに気が付いた。あの子のことだ、そろそろしびれを切らして苦情を言いに来るに違いない。
まさにそう思った瞬間、スタジオの方から当の本人がイライラした表情で出てきた。
「ちょっと早くしなさいよ、石油王でも無いくせにそんなところで油売ってるんじゃないわよ」
するとなぜか僕ではなく美織の方がびっくりした表情をして、カウンターに置いてあったスタジオの会員証らしきカードに目をやった。その会員証には尾鷲桃子の名前と生年月日が書いてあって、美織はその年月から桃子の年齢を暗算で求めていた。
「……もしかして先輩、女子高生とバンド組んでるんすか?」
「………やるじゃないか桑名、文系のくせに暗算が早いな」
僕は冗談を言って茶化してしまおうと、さっき美織が言った言葉をそのまま返してみた。しかし、あまり効果はなかったみたいだった。
「私、先輩の事を信じているので大丈夫だとは思ってるんすけど、一応言っときますね。――先輩、女子高生に手を出したら御法度っすよ?」
そんなことをたっぷり息を吸ってまじまじと話さないでくれ。僕だってそれくらいはわかっている。ただ、やはり世間体としては女子高生と成人男性の組み合わせというのは最悪に等しい。まだ話した相手が美織だから良かったものの、これがPTAの会長とかだったら僕のクビが飛びかねない。
「もしかしてこの店員さん、管理人さんの知り合い?」
「……大学の後輩だ」
「ふーん、じゃあうちでベース弾いてもらえる?」
相変わらず尾鷲桃子は突拍子もないことを言う。
確かに美織はベースの弾きすぎで留年したくらいだから、技術的にはそれなりに高いものを持っている。これに関しては彼女の面倒を見てきた僕が太鼓判を押そう。しかし、今日いきなり会ったばかりのやつにバンドに入れとか言う奴がまともに見えるかといえばそうではない。
というか、何故尾鷲桃子は美織がベーシストだと一発でわかったんだ?
「そんなの簡単よ、Red Hot Chili PeppersのTシャツ着ながら店内でマーカス・ミラーの曲ばかり流している人がベーシストじゃないわけないじゃない」
「おー、結構詳しいんすね。店長がいない時は私の選んだベースがかっこいい曲を勝手に流してるんすよねー。――あっ、バンドの加入ならOKっすよ。私、先輩のこと好きだし信頼してますけど、やっぱり女子高生とマンツーマンでバンドをやるのは世間体が悪そうっすもん」
美織はにっこりして僕の方を見る。大学時代から彼女はこんな感じに重要なことをサラッと言うので、険悪な雰囲気にならないのが救いかもしれない。流石に1回目の留年したときにサラッと言い放ったときは少し引いたけれど。
「じゃあ早速セッションしましょ、早くスタジオに来て」
「了解っす、じゃあロッカールームからベース持ってくるっすね」
「……ちょっと待て、店番はいいのか?」
「大丈夫っすよ、カウンターに呼び出しボタン置いとくっすから」
お節介かもしれないが、女子高生とバンドを組んでいる寮の管理人の僕よりも、店番を平気ですっぽかす美織の給与査定の方が心配になってきた。