第58話 menu
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脩也が伊織と出会った次の日の放課後、桃子はまたあの空き教室にいた。伊織や他の運営委員も集まっての全体ミーティングだ。出演者やタイムテーブルも大体固まってきたので、当日の役割分担だったり流れを決めている。
桃子の役割はタイムキーパー、一方で伊織は催しを円滑に進めるための進行係となった。音響やステージの設置に関しては専門の業者がいるので、学生たちは裏方中の裏方といった仕事をこなすことになる。普段は演者であることが多い桃子ではあるが、いざライブイベントを作る側に回ってみるとこれほどまでに人の手がかかっているものなのかと少々驚いた。学園祭レベルでこんなにも大変なのだから、先日の高校生バンド選手権の決勝大会はさぞかし戦争のような忙しさだったに違いない。だけれども、そういう苦労が演者の良いアクトに繋がるのであればやり甲斐があるというものだ。
全体ミーティングが終わる頃にはもう日が落ちていた。本来なら桃子はこのまま寮へ帰って夕食をとったり日課のトレーニングをしたりするわけだが、今日ばかりはちょっと違う。何故か理由はわからないが突然、伊織から晩ごはんを食べに行こうと誘われたのだ。最近バタバタしていてファミレスで伊織と駄弁ることが恋しくなっていた桃子は、誘われるなり二つ返事でOKを出した。
「やっぱり定番のチーズインハンバーグかなぁ……、でもミックスフライも捨てがたいなぁ……」
「伊織ってば結構ハイカロリーな物を好んで食べるわね」
「そうかなあ?美味しそうな物を選んでるだけなんだけど、それがたまたまカロリーが高いだけじゃない?」
美味しいものはカロリーが高いということは最早わかりきっている事であるので、桃子は伊織には全くツッコミを入れずにメニューに目を通した。さすが大手のファミレスチェーンだけあって、メニューのバリエーションが尋常ではない。その気になればサーロインステーキとマグロ丼を同じテーブルにのせる事だってできるのだ。日本という国の豊かさに改めて感じざるを得ない。
「このファミレスのメニューもなかなかのバリエーションだけどさ、今回のロックフェスもなかなかの面子だと思わない?」
「……まあ、そのへんの有象無象なバンドだけじゃなくて有名どころをいくつか呼べているから、私から見てもそんなに悪いとは思わないわね」
「でしょ?特にサブステージのトリに『choker』を呼べたのはすごいと思うんだ」
『choker』はこのところのアイドル界隈に殴り込みをかけるように現れたロシアと日本のハーフ姉妹2人組だ。邦人離れした美貌と歯に衣着せぬ物言いがアイドルファンを中心にウケている。
「呼べたのはいいけど、あの二人って結構な問題児って言うじゃない。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、噂では副理事長の弟さんがコネで連れてきてくれたらしいからそんなに心配いらないよ」
「……伊織がそう言うなら心配しないでおくわ」
伊織は運ばれてきたチーズインハンバーグにナイフを入れると、それを美味しそうに口の中へ放り込んだ。ロックフェスの準備が始まってからというもの、いつもより伊織の笑顔を見る機会が増えたなと桃子は感じていた。おそらく、こんなにワクワクするようなイベントを創り上げていくことにハマってしまったのかもしれない。親友が心底楽しそうにしているのだから、これ以上桃子にとって嬉しいこともない。
「――そういえば桃子、つかぬ事を訊くんだけどさ、桃子って寮住まいだよね?」
「そうよ。………それがどうかしたの?」
「その……、管理人さんってどんな人なのかなーって」
「どうって、普通のアラサー男よ。私のバンドのメンバーなのは知ってるでしょ?」
桃子はなんで伊織がそんな事を訊いてきたのか理解ができなかった。脩也や美織、瑛神とバンドを組んでいる事は伊織も既に知っているはずなので、今更訊いてくるとは何事なのだろうと思った。
「そ、そうじゃなくて、もっとこう、人柄とか、性格とか……、そういうところ」
「お人好しでヘタレよ。――どうしてそんな事を訊くわけ?」
「ベ、別になんでもないよっ!ちょっと気になっただけだからっ!」
すると伊織の顔が少し紅くなって、急に何かを隠すようにはわわわとテンパり始めた。桃子はそれで粗方察しがついた。伊織はおそらく、脩也に好意を抱いている。
どこで2人が出会ったのかどういうきっかけなのかは全く桃子にはわからないが、伊織が脩也に惚れ込んでしまう何かしらのイベントがあったに違いないのだ。普段は色恋沙汰に物凄く疎い伊織がコロッと脩也になびいてしまうあたり、伊織のツボに脩也の人となりがハマってしまったのかもしれない。
普段の桃子ならば伊織を茶化しながらも恋路を応援しようとするところだが、今回ばかりはそうでもない。その相手というのが他でもない伊勢脩也なのだ。伊織と脩也が仲睦まじく過ごしている姿を想像すると、何故か桃子の中にはイライラに似た感情が渦巻く。この感情を表に出すべきかしまい込むべきか、桃子は葛藤に襲われた。
「――そんなに気になるなら、今度寮に遊びに来ればいいじゃない」
悩んだ挙げ句にそんな不本意な言葉が出た。本当は2人が仲良くしているところなど全く見たくもないのだけれども、自分に残された時間を考えたらそのほうがいいのかもしれないと桃子は思ったのだ。
「ホントっ!?じゃあ来週遊びに行ってもいい?」
伊織はご褒美を前にして尻尾を振る犬のように嬉しそうだった。親友が喜んでいるならばそれでいい、そんな刹那的な自己犠牲の思考が桃子の心をチクチクと弱く何度も刺していた。
――まだ桃子は自分のタイムリミットの事を誰にも打ち明けられずにいた。




