第54話 neutral
平日の放課後、僕は高等部の職員室に呼び出された。学生の時ですら呼び出しを食らったことなどない僕だったので最初は背筋が凍った。夏休み中もバンドばっかりやって結果的に桃子を連れ回したりしたので、今度こそ学校側から何かしら文句をつけられるのではないかとヒヤヒヤしていた。しかし、蓋を開けてみたら生徒指導の先生からとある仕事を頼まれるというなんら普通のことであった。
「いやー、どうしても人手が足りなくてですね、伊勢さんにも悪いんですけど臨時で生徒指導部の手伝いをして欲しいんですよ」
「それは構いませんけど、具体的に何の仕事をするんですか?」
「約1か月後に学園祭があるんですけど、その準備期間中とか本番中の安全パトロールをやって欲しいんです。毎年生徒指導部と大学のほうの有志でやっているんですが、ちょっと今年は人が足りなくてですね」
松栄学園は1か月後に学園祭を控えている。この学園祭は高等部と大学の同時開催で、毎年結構な盛り上がりを見せている一大イベントだ。それだけに準備も大掛かりで、早いところは前年の文化祭が終わってからすぐ翌年の準備をするなんてところもある。準備が本格化するのは大体1週間ほど前になるわけだけれども、どうやら生徒指導部は別件に人を取られてしまって生徒や学生たちの安全パトロールまで手が回らないらしい。それで僕に白羽の矢が立ったというわけだ。
断る理由もないので僕は快諾した。生徒指導部に恩を売っておくのも悪い選択ではないと思う。悪いことをする気はさらさら無いけど。
生徒指導の先生からパトロールの腕章を受け取ると、早速今日から見回りを始めることにした。まだ準備こそそんなに始まってはいないが、普段は寮にばかりいるので学園全体を知っておくためにも歩き回る必要があると思ったからだ。
大学のキャンパス内は結構広いので後回しにして、とりあえず高等部のほうから回ることにした。放課後で人もまばらな校舎は、なんとなく懐かしさを感じさせる。高校を卒業してからもう8年も経過しているのだからそう思うのも無理はない。それだけの期間があれば生まれたての子供は小学2年生くらいになってしまうし、オリンピックやワールドカップは2回も開催されてしまう。時の流れというのは自分の立っている場所によって早さが変わるものだ。
自分の高校時代の思い出と重ねながら、あくまでも巡視という名目で校舎を散歩した。すると、作業部屋のように使われている空き教室の前を通りかかると、どこかで見たことのある姿の女子生徒が中で何かをやっているではないか。その女子生徒は端正な顔立ちに長い髪というザ・美少女で、その長い髪を後ろでポニーテールのように縛り、学校指定の2年生カラーの青いジャージを着ている。松栄学園は女子の制服が可愛いことで有名であるが、逆にジャージのダサさももっと知られていいと思う。せっかくの美少女にこのダサいジャージでは逆『馬子にも衣装』になってしまい非常に勿体ない。学園と癒着しているジャージの業者もこれを改善しようとは思わないのか甚だ疑問だ。
長々と語った割に中身が無いが、要は空き教室にジャージを着た桃子がいたわけだ。部活も生徒会もやっていない桃子が放課後の空き教室で一体何をやっているのだろうか。ジャージに着替えているあたり、成績が悪くて罰掃除でもさせられているのか。今どきそんなことをしたらPTA等が黙っていない気もするけれども。
僕は桃子に気づかれないように身を隠し、家政婦は見たの要領でそっと空き教室の中を覗き込んだ。すると、部屋の中には桃子の他にもう一人生徒がいることに気がついた。その生徒は桃子と同じ色のジャージを着こなしていて、凛々しくて中性的な顔立ちをしていた。髪型は女子で言うショートカットなのだけれども、ぱっと見男なのか女なのかよくわからない不思議な雰囲気を纏っている。
2人は部屋の床に学園内地図のようなレイアウト図と色々書き込まれた模造紙を広げて、何やら作戦会議のように話をしていた。
「メインステージとサブステージはそれほど離れていないから、演者のタイムテーブルはこんな感じでいいかな?」
「ちょっとこれだと詰め過ぎな気もするわね……。セッティングとか音出しとか、案外時間がかかるのよ」
「そういうもんなのか。――やっぱり桃子が居てくれて助かるよ、ボクじゃあそんなこと気づきもしなかっただろうし」
会話を聴くに2人はおそらく学園祭で行うイベントの打ち合わせをしているようだ。仲睦まじい感じで、普段からよく会話を交わしていてお互いをよく知っている関係に見える。ただ、僕が気になったのは桃子の話し相手のあの生徒の正体だ。見た目が中性的故に、話し声で男か女かある程度推測できるかなと思ったのだけれども、これがまた絶妙に中性的な声で判別がつかない。しかも一人称が『ボク』というのもまた首を傾げたくなる判断材料だ。絶滅危惧種ではあるかもしれないけれども、いわゆる『ボクっ娘』も存在しないわけではない。顔と声で判別がつかないなら胸を見ればわかるかとも思ったけれども、これまた極小バストの桃子に引けを取らないサイズなおかげで、また僕は頭を抱える羽目になった。
なんでこんなにも僕はあの生徒の性別を気にしてしまっているのだろうかとふと我に帰った。別にどちらでもいいではないか。少なくとも桃子に友達と呼べる人がいた訳だし、親代わりの寮の管理人としては喜ぶべきだろう。相手がもし男で桃子の恋人だったとしても僕にどうこう言う権利はないし、そもそもこんなことを気にして身を潜めて盗み聞きをしているのがおかしいのだ。
これ以上はここにいても意味が無いと感じた僕は、まるで逃げるように音を立てずその場から立ち去った。




