第50話 standard
大会前に桃子とある約束をしたことをすっかり忘れていた。
それは『優勝できなかったらお祭りで焼きそばを奢る』という罰ゲームじみたものだ。字面からだけでは大したものではない。お祭りで売ってる焼きそばなんてたかだか500円程度、メンバー他諸々の分を奢ったとしても野口さん3枚あれば事足りると思っていた。
もちろんそう問屋が卸してくれるわけもなく、桃子は罰ゲームの実行にあたりとんでもない事を言い出したわけだ。そして、そのとんでもない発言に仕方なく従った僕は、桃子、美織、瑛神、そしてレイラまで連れて、新潟県の苗場スキー場に来てしまった。
「桃ちゃんが言ってた『お祭り』って、フジロックのことだったんすね!私初めてロックフェスに来たんでめっちゃテンション上がってるっす!」
そう、なんで夏場に苗場スキー場へ来たかというと、日本三大ロックフェスの一つである『FUJI ROCK FESTIVAL』が開催されるからである。確かにロックフェスもお祭りであるから間違いではないし、桃子もお祭りに関して何ら定義していないので反論はできない。――つまり僕は、まんまとフェスに行きたい桃子に言いくるめられたのだ。
「私、何回か来たことがあるので美織さんを案内しちゃいますよ!――ほら、瑛神くんも行くよ!」
「ちょ、ちょっと待ってレイラ、まだ日焼け止めが………」
「瑛神くんはもう少し日に焼けたほうが健康的になると思うよ?ただでさえ籠りっぱなしなんだから。 ………あっ、でも色白を保ったほうが女装したときに映えるかなぁ、この間の動画も反響大きいし」
「日焼け止め塗るのやめよう……」
瑛神は不本意ながらレイラの本意によってベタベタに日焼け止めを塗られ、美織と共に3人で会場へ繰り出して行った。おそらくは1番大きいステージでやっている外タレのバンドがお目当てだろう。
みんなそこそこ楽しんでいるようなので良かったと思う。しかも幸いなことに、柚香さんが友達を連れてフジロック行こうとしていたのがポシャったことにより、チケットが横流しされてきたので、僕のなけなしの口座残高を擦り減らさずに済んだ。お気の毒な柚香さんには、買ってきてくれと泣きながら頼まれたグッズを忘れずに買っていかなければ。
しかしながら高速道路を使っても愛知から6時間以上かかるのは本当に疲れる。東京まで4時間そこらなのだから、もう僕はバテバテである。
「あんたはステージ観に行かないの?」
フェス仕様ということでバンドTシャツにサファリハット、下はレギンスにハーフパンツという服装に着替えた桃子が、あつあつの焼きそばを啜りながら訊いてくる。ちなみにフェスの焼きそばもそこそこお値段が張る。新潟と群馬の県境なのに富士宮やきそばが大々的に売られているのはフジロックだからだろうか。それはまた後で考えよう。
「ちょっと疲れたから休ませてくれ。……夕方のハイスタまでには起きる」
「……じゃあ私もひと眠りするわ」
桃子はテントで横たわる僕の隣にもうひとつ寝袋を引いて寝転がった。
「なんだよ、寝不足か?」
「……違うわよ、ハイスタまで観たいのが無いだけよ」
「嘘つけ、目の下にくまが出来てる」
「うるさいわね、私だって多少前日に寝付きが悪いことぐらいあるわよ」
いわゆる『遠足の前日』現象だろうか、ワクワクして眠れない桃子を想像したら、それはそれで年相応に可愛らしいところがある。
しかしながら観たいライブが僕と被るあたり、本当にこの子はいくつなのかわからなくなることが多い。この間も見事に説教されてしまったし、なんだかんだ達観している桃子の物言いに助けられてばかりだ。この子はもしかして人生2周目かなにかなんだろうかと思ったりすることもたまにあるけれど、こんな感じで子供っぽいところもあるから、尚更よくわからない。
思えば、桃子のことなんて知らないことだらけな気がする。語弊はあるけれどもひとつ屋根の下で一緒に住んでいて、おまけにバンドだって組んでいるのに桃子の好きなものなんてあまり知らない。好きな音楽だってよくわからない。過去に何があったのか、これから先どうしていきたいのか、そんな話をしたこともない。僕は保護者代わりの寮の管理人でありながら、桃子の事は上辺しか知らないのだ。
そんなことを思っている間に桃子は寝息を立ててしまった。屈託のない天使のような寝顔だ。この子が卒業して寮を出ていくまでに、あと何回こんな顔を見られるだろうか。寮の管理人としてそんなことを考えるなんていけないことであるはずなのに、思えば思うほど切なくなる。この子と歳が離れていなかったならば、もっと仲良くできたりしたのだろうか。
再び目が覚める頃には、僕は桃子に手を引かれて2番目に大きなステージに連れられていた。
「ハイスタといえば『Standing still』から『Teenagers are all assholes』の流れが最高よね。生で観るのは初めてだから楽しみだわ」
「お前、本当にニッチなところ好きだよな。――そもそも普通の女子高生はハイスタなぞ聴かん」
僕がそう言うと、桃子はひと呼吸おいてから不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「でも、脩也はそんな普通じゃない女子高生のほうが好きなんでしょう?」
「は、はぁ!? そ、そんなわけ無いだろ!」
やられた、このタイミングでそんな不意打ちをされたらたじろいでしまうに決まっている。そして一旦僕がたじろいでしまえば、もう負け試合も同然だ。そんな僕の姿に笑いが止まらない桃子は、笑顔のギアをもう1段階上げてさらに追い打ちをかけてくる。
「ほら、早くしないと始まるわよ。管理人さん」
その時僕はやっとわかった。この悪戯っぽい女の子のことがどうしようもなく好きなんだということに。
――第2章 おわり




