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第49話 princess

 猛暑日を記録した昼間の熱気がまだ肌に残ったまま、東名高速下りの足柄サービスエリアで僕はひと息ついていた。メンバーは皆併設の温泉に浸かっていて、かたや僕は車でひとり機材番である。またいつもの置いてけぼりのようではあるが、今回ばかりはむしろ僕の方からひとりにして欲しい気分であると言い出した。


 先程まで日比谷野外音楽堂で行われていた高校生バンド選手権の決勝大会は、『Metallic woman』の優勝で幕を閉じた。その結果に不満があるわけではない。彼女たちのライブは圧倒的だったのだから、優勝と言われても疑うことはない。でも、僕は未だに腑に落ちていない。自分自身で最高とも思えるあれだけのアクトをやっておいて、10組中7位という結果に終わってしまった事実をまだ消化できていないのだ。

 バンドをやってきてこんなに悔しいと思ったのはこれが初めてかもしれない。自分が中心にいるバンドをやることなんてまず無かった僕にとって、バンドをやっていく上で『悔しい』と思える瞬間が来るなんて思っていなかったのだ。だから今の僕は、悔しいと嬉しいの混ざったよくわからない感情に心を支配されている。

 せめて僕が左手を怪我していなければ、出番が優勝バンドの直後でなければ、曲順をもう少し考慮できていたならば、そんな感じでどうしようもできないタラレバ話が頭の中を駆け巡った。ただ地球何周分駆け巡ったところでこの結果は変わらないし、余計に自分の実力不足を思い知らされるだけで惨めになるだけだ。そこに気がついてしまった瞬間、僕は燃え尽きたかのように全てに対する意欲というものが吹き飛んだ。


「……僕は、ここまでの人間なのかもな」


 独り言が溢れた。世の中で伸びていく人間には計り知れない強さの向上心がある。だがしかし、今の僕はその先の壁の存在に気付いてしまい、向上心は風前の灯火である。むしろ、よくここまで頑張ったなという、まるで引退していく選手に向けられる労いのようなものを自分自身に向けようともしていた。


 うつむいていると、なんだか車の外からやかましい会話が聞こえてきた。先に風呂に行った3人が戻ってきたみたいだ。


「いやー、さっぱりしたっす。サービスエリアにこんなに良い温泉があるなら私も車が欲しくなっちゃうっすね」


「それは同感ね。でも、まずは先に免許を取らないといけないわ。――まあ、しばらくは脩也タクシーで我慢しましょ」


「(……師匠、大変そうだなぁ)」


 3人は既に負けたことは仕方がないと受け入れてしまっているようで、僕のように全く悔しく思っていなさそうなのが少しムッとする。ただ僕と違ってみんなまだ限界なんて見えていないのか、早く帰ってまた楽器を鳴らしたいという気持ちが言葉を交わさなくても伝わってくる。それがただただ羨ましかった。


 3人と機材番を交代して今度は僕一人が風呂を浴び、昼間の汗とか色々なものを洗い流した。身体の汚れみたいにこんな気持ちも洗い落としてしまえればどれほど良いかなとマイナスな気持ちを抱えたまま、つい長風呂をしてしまった。

 外へ出るとまるで待ち構えていたかのように瓶牛乳を飲んでいる桃子がそこにいた。僕はまさか桃子がいるとは思いもしなかったので、桃子に声をかけられるまでその存在に気づかなかった。


「……全く、みんなを待たせておいて長風呂なんて良いご身分ね」


「それ、お前が言うのかよ……」


「女子はどうしても長風呂になるのよ。――どうせあんたのことだから、大会に負けて実力不足だなあなんて考えてたんでしょう?」


 いつものことながら桃子の思考を読む能力の高さは一体何なのだろうと思う。スーパーハッカーか何かかお前は。


「……まあ、そのくらいは誰でも思うだろうよ。負けたらそれなりに悔しく思うだろう」


「あんたの場合は悔しいだけじゃなくて無駄に深刻に考えてたり責任感じてたりするから面倒なのよ。――いい? 私達にそんなこと考えている時間なんてないの。シンプルにただ愚直に最高の音を出すことを考えれば良いの」


 まるでどっちが歳上だかわからない。ただ、桃子の言っていることは概ね間違っていないように思う。趣味だろうが本気だろうがどんなスタンスでバンドに取り組もうとも、時間は平等に与えられている。そうなると、くよくよとしている時間というのは勿体ない。


「自分で自分の物語にオチをつけるなんて100年早いわ。限界なんて後で気付くくらいで丁度いいのよ」


 あまりに達観した桃子の言い方に思わず僕は吹き出すように笑ってしまった。確かに桃子の言う通りだ。今自分でここが限界だと決めつけることに意味はないし、それはとっても勿体ない。


「……なによ、私そんなに面白いこと言った?」


「いや……、そうじゃない。――桃子とバンドを組めて良かったなと思っただけだよ」


 そんなこと言われるとは思っていなかったのか、少しバツが悪そうに「なによそれ」と言って桃子は僕から視線を逸らした。そして思い出したかのように左手に持っていた未開封の瓶牛乳を僕に渡してきた。僕に説教をするために瓶牛乳を買って待っていたのか思うと、いつも辛辣なくせに可愛気があるじゃないかと微笑ましくなった。


「はい、労いの1本よ。ありがたく飲みなさい」


 僕は乾いた喉に少しぬるくなった瓶牛乳を流し込んだ。風呂のあとに牛乳を飲むなんて久しぶりではあるが、やはり定番の組み合わせというのはそれなりに素晴らしいものだということを思い知らせてくれる。そしてその1本の牛乳のおかげで僕は大分気持ちが楽になった。まだこのバンドは終わりじゃないし、もちろん僕自身だってまだ先がある。桃子の言う通り、こんなところで腐ってては勿体ない。まだやりたいことだってある。


「ありがとう。桃子」


 その言葉は嘘偽りなく本心から出た。そして、その言葉を受け取った桃子は何故か自信に満ち溢れた顔をしている。この顔を見ると僕は落ち着きとか安らぎに似た何かを感じてしまうあたり、もしかしたら桃子のこの表情が好きなのかもしれない。


「どういたしまして」


 そう言うと桃子は洗いたての長い髪を翻して一足先に車に戻っていった。


 左手に夜の海が見える東名高速をひた走るバンドワゴンの中には、おそらく桃子が選曲したであろう『世界でいちばん熱い夏』が流れていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 限界なんて後で気づくって突然少年ですか? なんかところどころ音楽ネタばら撒いてて探しちゃいます
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