第45話 sauna
明日の本番を控えた僕ら4人はリハーサルを終えて宿舎へ辿り着いた。予算の関係上なのかよくわからないが、宿舎はシングルルームではなくツインルーム2部屋で男女2対2に分かれている。僕は独りが好きそうな瑛神に気を使って、『サウナにでも行ってくる』と適当な理由をつけて部屋の外に出た。男2人でツインルームというのはなかなか距離の取り方が難しい。
夜でもバカに明るい東京の街はどうも苦手で、僕は宿舎から出るなり近くの小さな公園のベンチに腰掛けてボーッとしていた。
ふと僕はリハーサル中の事を思い出した。美織と瑛神は調子が良さそうだったので心配はしていない。それゆえ様子がおかしかった桃子の事をずっと気にしていた。でも、リハーサル中のドラムを叩いている感じは練習のときより良くなっていたし、もしかしたら単に僕の杞憂だったかもしれない。
お節介かもしれないけれども一体何があったのか桃子に聞いておくべきだと思った。それが寮の管理人としての仕事でもあるし、このバンドのフロントマンとしての役割であるだろう。
桃子を呼び出そうとスマホをポケットから出すと、急に僕の頬に冷たい感触が走った。
「やっぱりこんなところにいるんじゃないかと思ったわ。――はい、差し入れ」
頬に当てられたのは炭酸飲料の入ったペットボトルで、それを持っていたのは他の誰でもなく桃子だった。
「……サンキュ。それにしても僕がここにいるってよく分かったな」
「たまたま見かけただけよ。ホテルにずっといるのも勿体ないから外に出てみたらそこにいただけ」
僕は軽く返事をして桃子の顔を見た。今朝までの桃子とはやっぱり違って、もとに戻ったような感じがする。もしかしたらさっきのリハーサルで何か掴んだおかげで悩みが吹っ飛んだのかもしれない。
「なんか私に聞きたいことがありそうな顔してるわね」
「……よくわかってるじゃないか。全くもってその通りだよ」
「あんたの顔はわかりやすいのよ。インジケーターとして世界中の車に採用されたらもっと交通事故が減るんじゃない?」
キレキレの桃子節が炸裂すると、僕はなぜか少し嬉しくなった。やっぱり尾鷲桃子はこうでなくては張り合いが無い。
「んで?一体何が聞きたいわけ?」
「いや、なんでもない。――お前のそのいつも通りの言葉が聞きたかっただけだよ」
「……なにそれ、カッコつけてるつもり?」
苦笑いしながら僕は炭酸飲料のキャップを開けると、勢いよく溢れてきた泡に驚いて咄嗟に口をつけた。――最近は省エネ型の自動販売機が多くて飲み物が冷え切っていないせいか、炭酸飲料はこういう風になる事が多い気がする。
「……まあ確かに、ちょっと調子狂ってたところはあるわ。でももう解決。――こういう大会に出てみることも案外悪くないなって思ったわ」
「へえ、桃子でもそんな殊勝なこと言うもんなんだな」
「馬鹿にしてるでしょ」
「してないしてない、ちょっと意外だったんだよ。お前が調子悪そうだったことも、他のバンドとかから刺激を受けていることも」
桃子はムスッとした表情をこちらに向けて自分の分の炭酸飲料の封を切った。そしてこれまた僕のと同じように炭酸飲料が吹きこぼれてしまい、存外に慌てた。桃子のこんな姿はちょっと新鮮だ。泡が落ち着いてようやく一口飲んだ桃子は、僕の隣に腰掛けた。
「――脩也はこのバンド、好き?」
「なんだよいきなり。――そりゃ、好きに決まってる」
「そう、それならいいわ。それが確認したかった。――明日はその『好き』を全力で表現しましょ」
桃子らしくないセリフだなとぼんやり思っていたら、さらに桃子らしくない今までで一番柔らかい表情を僕に見せてきた。なんだろうか、今日の桃子は僕の知らない桃子ばかりでドギマギさせられる。
いつもとパターンが違うけれど、なんだかんだ桃子のペースに上手いこと乗せられているのかもしれない。でも、それでこそ僕と桃子の間の絶妙なバランス感が保たれている感じがして不思議と心地良かった。
炭酸飲料を飲み終える頃には、いつの間にか僕らは自室に帰って来ていた。長い1日だったから早めに休息をとるのがいいだろう。
ルームキーを開けたら瑛神がレイラとビデオ通話でいちゃいちゃしているのを目撃してしまった。せっかく部屋に戻ってきたわけだけれども、お節介な僕は瑛神に余計な気を使ってしまい、今度こそサウナに行くのだった。




