第44話 like
◆
決勝ライブの会場となる日比谷野外音楽堂に到着した4人は、自分たちのリハーサルの時刻までひたすらに待って暇を持て余していた。瑛神と美織は自分の楽器を取り出してアンプラグドで鳴らしていて、脩也は運転の疲れもあって一眠りという状態だ。桃子は最初のうちはスティックを取り出して準備運動をしていたが、しばらくするとそれに飽きて会場内を散策しに出ていった。
ステージの上ではリハーサルの終わったバンドとこれからリハーサルを行うバンドとの転換作業が行われていた。桃子は客席で何気なくその様子を眺めていると、先程サービスエリアで見かけた姉妹がステージに上がって準備をし始めた。彼女たちのバンドは女子4人組のバンドで姉の弥生がドラム、妹の皐月がギター、あとはボーカルとベースという構成。特に川越姉妹の存在感は大きく、何やらモニタースピーカーから返す音のことでまた漫才のような掛け合いが行われているようだ。
「PAさーん!ドラムにドラム3点とベースをもっとください。あと、皐月のギターうるさいから返さんくていいですわ」
「ちょっとお姉ちゃん酷ない?少しくらいうちの素敵なギターを聴いてくれてもええやんな」
「そんなリズム感クチャクチャのギターなんて聴きたないねん。もっと私みたいなリズム感身につけてーや」
「よく言うわほんま、うっかりテンション上がったらテンポ走りまくって2億倍速になるくせに」
埒が明かないので他のメンバーが仲裁に入ってやっとリハーサルがスタートする。まるで往年のリアクション芸人のようにこのやり取りがお決まりになっているらしく、仲裁する側の2人も最早慣れた感じだったのがこのバンドの仲の良さを物語っていた。
桃子はただの仲良し関西人バンドかとたかをくくりながら眺めていたわけなのだが、そのバンドサウンドが一度鳴り出すとその認識はあっさりとひっくり返された。
メサブギーのアンプから漏れ出す皐月の深く歪んだギターの音とタイトでパワフルな弥生のドラム、重いベースとハスキーなボーカルが合わさった瞬間、まるで80年代を彷彿とさせるようなハードロックが会場を包み込んだ。
桃子は珍しくそのサウンドに気圧された。ライブハウスで色々なバンドの音を聴いてきたわけだけれども、これ程までにファーストインプレッションが強いのは久しぶりだった。それこそ、初めて脩也がステージに立っているのを観たとき以来かもしれない。
ド直球なハードロックというのは正直なところ流行りの音楽からは遠くかけ離れていると言ってもいい。しかしながら、彼女たちの奏でる音にはそんな時代の流れに逆らえるような確固たる力があった。ハードロックというものを教養程度にしか聴いてこなかった桃子だが、そんな彼女でもわずかワンフレーズでハートをきれいに掴まれてしまった。『光るものを持っている』と言うのは、まさにこういうことなのだろう。
リハーサルはあっという間に終わり、音響スタッフの「明日の本番もよろしくお願いします」という挨拶が入るとステージ上の彼女たちはすぐさま片付けて退散していった。
桃子は客席から皆のいる控室に戻ろうとすると、川越姉妹の姉、弥生と目があった。
「おっ、尾鷲桃子やん、さっきぶりやね」
「桃子でいいわ」
「そんじゃあ桃子、ウチのドラムどうやった? 我ながら会心の仕上がりなんやけど、メンバーのみんなはなんも言ってくれへんからちょっと教えてほしいんよ」
弥生は屈託のない笑顔で桃子に訊いた。突然感想を求められた桃子は少し困惑したが、すぐにいつもの調子で言葉を紡ぎ出した。
「……正直に言うと、死ぬほど悔しいくらい上手かったと思うわ」
桃子は言葉こそ辛辣だが、良いものに対して嘘はつけない性分だ。お世辞抜きで川越弥生のドラミングは文字通り群を抜くレベルの高さで、桃子は同世代のドラマーで初めて自分を上回るかもしれない存在を目の当たりにして悔しさを滲ませた。
「でも不思議なのよ。それくらいの腕前がありながら、どうしてそんな古臭いハードロックなんてやっているの? もっとこう、取っつきやすいジャンルの音楽をやってもいいんじゃないかって正直に思ったわ」
「そんなん説明するまでもないわ。ウチはハードロックとかヘビーメタルが好き、ただそれだけのことや。――確かに流行りの音楽とはちゃうけど、それでもうちらのこと聴いてくれる人達がおるんやから、その人達のために頑張れるって感じなんよ」
「………自分たちの音楽がみんなに好かれなくてもいいってこと?」
「せやな。……と言うかそんな器用な事なんてできへんのよ、うちのバンドは」
リスナー求める音楽を奏でることも大事ではあるが、弥生のように『好き』をゴリ押すということも表現としては有りなのだ。桃子はこのとき初めて音楽の表現に対する別の価値観に触れ、脳天を突き刺すような衝撃を受けた。今まで桃子は脩也の作品をいかにしてリスナーへ広めて行くかということを考えていたが、それだけではなく自分の『好き』を押し殺すことなく表現することがいちプレイヤーとして必要なのだと弥生を見て痛感した。
脩也は脩也、桃子は桃子なのだ。脩也が皆に好かれていくのは最早彼の才能たるものであって、桃子自身がどうこうできるものではない。だから、脩也の中で自分の存在が小さくなるのが怖いのならば、自分自身が変わればいいことなのだ。川越弥生の受け売りとなってしまうけれども、もっと自分の『好き』を全面に押し出して悪いことなんて全くない。
「――へぇ、なかなか面白いこと言ってくれるじゃない」
「ほんまか? 一応この大会の他にR-1とかM-1も狙っとるんやけど、もしかしてワンチャンありそうやな!」
桃子はそれが弥生なりのジョークなのか本気話なのかわからず苦笑いを浮かべる。ただ、自分自身では気づかないことを教えてくれる人の存在というのは大切にしておきたいと桃子は思った。
控室に戻ってきた桃子は、来たるリハーサルに備えて長い髪を後ろで縛った。心なしかいつもより縛る位置が高くなっていたことに気づいたのは、運転疲れからの仮眠から目覚めたばかりの脩也だけだったようだ。




