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第41話 salt

 瑛神がバンドに加わってからはとにかく猛練習だった。ここまであまり練習出来なかったツケを完済すべく空いている時間はとにかく練習漬けで、僕は怪我でギターを弾いていないのにギターを担いでいるとき以上にハードな日々を過ごしている。今日もスタジオの夜間6時間パックという料金が格安になるプランを利用してみっちり練習だ。

 肝心のニューカマーである瑛神は、まるで結成当初からギター担当だったのではないかというぐらいうちのバンドの曲をあっさり手懐けた上に、自分なりのアレンジを加えてさらにギターパートを改良してきた。これは最早嬉しい誤算と言ってもいいかと思う。しかもよく曲を聴き込んでくれているのか、瑛神のアレンジには無駄がなくてスマートだった。うちのバンドで使うために用意してきたという黒地に赤べっ甲のピックガードがついたテレキャスターカスタムがよく似合っている。

 僕の古巣のバンドでリードギターを弾いていた田原裕太というギタリストと比較すると、彼が歌メロそっちのけで俺が俺がとどんどん前に出てくるタイプであるのに対し、瑛神はその逆を行く『歌を活かす』プレイスタイルであったので新鮮な印象を受けた。彼くらいの実力があるギタリストならドヤ顔でテクニックを披露しても恥ずかしくないレベルなのだけれども、それを良しとしない彼の性格がまたうちのバンドにピッタリ合っていると思う。

 ふと僕は気になって何故そんな地味なギターアレンジをするのかと訊いてみたら、


「歌がいいから余計な味付けはいらないと思ったんですよ。……ほら、いいお肉は塩で食べるのが一番おいしいじゃないですか」


 と、わかりやすい喩えなのだがほんのりと金持ちの匂いを漂わせるなんとも瑛神らしい返答が来て思わず吹き出してしまった。瑛神のギターアレンジは塩というわけらしい。


 もう一つ、美織が思った以上に気に病んでいなさそうで安心した。普段はめちゃくちゃ明るく振る舞うけれども、いざ大きな失敗をしてしまうと極端に縮こまってしまいなかなか立ち直れない美織の性格を知っていたので、瑛神の加入によって大会を棄権せずに済んで本当に良かった。なんなら、なにか吹っ切れたかのように以前にもましてアグレッシブな気がする。元気がいいベーシストは嫌いじゃない。


 桃子はこの2人とは対照的だった。別にドラムの腕前が落ちたとか、美織や瑛神と演奏が合わないとかそういうことはなかったのだけれども、どうもおかしい気がする。こっそり美織や瑛神に桃子が変ではないかと訊いてみたりしたのだけれども、どうやら2人は全くそんなことを感じていないらしい。この違和感に気づいているのは僕だけなのかもしれない。

 どこがおかしいのかと言われると少し抽象的になってしまうのだけれども、天才ドラマー尾鷲桃子特有の『表情のあるドラミング』が見えないのである。なにかこう、いつもならもっと挑発的に攻めてくる叩き方をするはずなのに、どうも置きにいっている気がするのだ。人の表情で言うなら、喜怒哀楽の激しい人がいきなり常にニコニコしている状態になる感じ。上っ面だけ整えて無難なプレイをするというのは、桃子らしくなさすぎてちょっと不気味である。


「うへー、疲れたっす……。流石に休憩とらないと死んじゃうっす」


「そうですね……、ちょっと根を詰めすぎな気もしますから休みましょう」


「じゃあ飲み物を買ってくるよ。みんな何がいい?」


 各々飲みたいものを言ってくるので僕はスマホでメモをとった。夜も深くなってきたので皆カフェインを欲しているみたいだ。


「美織がカフェオレで瑛神がエナドリだな。――桃子はなにがいい?」


「……なんでもいい」


 いつもなら激しいドラムを叩いたあとでも平気でミルクティーを飲む桃子であり、スキあらば僕の飲み物も勝手に決めてしまうのが尾鷲桃子という女の子なので、選択権を僕に委ねるというのがちょっと意外だった。試しに以前不味いと言っていたブラックコーヒーでも買ってきて、『こんなもの私が飲むわけないでしょ!』とちょっと怒らせてみようか。そしたらいつも通りの桃子が戻ってくるかもしれない。

 コンビニで飲み物を買ってきた僕は、悪戯心で桃子にブラックコーヒーを渡した。その瞬間、ブラックコーヒーの缶を顔面に投げ返されると思っていたのでガードする体勢を取りかけた僕だったけれども、桃子は素直に受け取ってそれを飲んだのだ。


 ……やっぱりおかしい、こんなの桃子じゃない。僕は人生で初めて、コーヒー缶を顔面に投げ返されるほうがよっぽどマシだと思ってしまった。

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