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第4話 genius

 スタジオの中に入ると、尾鷲桃子は即座にドラムスローンに座ってスネアドラムを設置したり、シンバルの高さを調整したりと、なれた手付きでドラムセットをセッティングし始めた。

 一方、まんまと彼女のペースに乗せられてしまった僕は、これも彼女の事情を知るためだと思ってレンタルしたギターをJCM900のヘッドアンプに繋いだ。すべてのツマミが0になっているのを確認してパワースイッチを入れ、それから1分ほど待ってからスタンバイスイッチを入れる。ボリュームやゲインを適当に調整すると、キャビネットからはいかにもエレキギターらしい歪んだ音が出始めた。


 久しぶりに鳴らすエレキギターの音はとても気持ちが良かった。コードをいくつか鳴らしたり、手グセのフレーズを弾いたりして感触を確かめているうちに、いつの間にか僕はここに来た目的を忘れてギターに熱中していた。


「やっぱりあなたのギターを弾くフォーム、ちょっと硬いのよね」


 突然の彼女の一言で僕はギターを鳴らすことをやめ、ふと我に返った。彼女は上着を脱いで今にもドラムを叩きますよと言わんばかりの態勢をとっている。そういえば前から思っていたけれど、何故この子は僕の事を知っているかのように話すのだろう。どこかで会ったことがあるのだろうか。少なくとも、僕にはそんな記憶はない。


「肘から指先まで全部硬い。そんなんだからサイドギタリスト止まりなのよ」


「ちょっと待ったちょっと待った、君は何故そんなに僕のことを知っているんだ?どこかで会ったことあったっけ?」


「無いわよ。ただ、『Andy And Anachronism』というバンドを何度か観たことがあるだけ」


 僕は驚いた。古巣のバンドは今でこそメジャーデビューしてそこそこの知名度があるけれど、僕がクビになる前はそんなに有名ではなかった。しかも東京でしかライブをしていなかったから、まさか地元でライブを観たことがある人、それも女子高生に出くわすなんて思いもしなかった。


「もうちょっと右手に柔軟性があればかなり良いギタリストになれると思うのよね。――D'zの松元さんみたいなギタリストに」


「いやいや、それは言い過ぎだよ。僕がそんな世界レベルのギタリストになれるわけないでしょう」


「それもそうね、なれなかったからクビになったわけだもんね」


 一体どこまで知っているんだこの子は。あまりに直球過ぎる言葉に僕は心のダメージを隠せずいると、彼女はいきなりドラムセットを叩き始めた。

 どこかで聴いたことがあるフレーズだった。間違いない、古巣のバンドの曲『Genius』のイントロだ。しかも、この曲は……。


「ほら!早くギター弾いて歌いなさいよ!私とセッションしてくれるんでしょ?」


 彼女にはやし立てられると、慌てて僕はギターを持ち直し、記憶の中からコード進行を呼び起こしてそれをそのまま鳴らした。そして僕の目の前にセッティングしたマイクに人中を当てて声を出した。


 彼女のドラム捌きは高校生とは思えない見事なものだった。些かパワーは足らないかもしれないけれど、タイム感と抑揚のつけ方に関しては神がかり的だ。いろいろなドラマーを見てきた自負はあるけれども、これほどドラミングに気持ちが乗った『表情』のあるドラマーは初めてかもしれない。これで高校2年生なのだ。さらに細かな技術を身につけたとき、おそらくは日本を代表するレベルのドラマーになり得る。


 間違いなく彼女は天才だ。


 僕はその天才的な演奏についていくのが精いっぱいで、あっという間に曲は終わってしまった。演奏時にその長い髪が邪魔になって仕方がないのか、彼女は曲が終わるとすぐさま髪を頭の後ろで縛った。


「私、この曲好きなのよね。シンプルなのに曲構成もメロディもしっかりしてて、このバンドの中でずば抜けて完成度が高いと思うの。でもなぜかライブではほとんど演奏されないし、CDにも収録されないのよね」


 僕はその問いに対して、少し喉の奥に苦いものを感じながら答えた。


「それは……、僕が書いた曲だからだよ」


 彼女は一瞬目を丸くしたけれど、すぐに何かを納得したような表情に変わった。


「バンドをやっていた頃、何曲か書いたことがあるんだ。……まあ、お察しの通りその曲以外は拓の反対でボツになったわけで。その曲も、結局拓の意向で演奏しなくなった」


 昔の嫌な思い出を自分自身で掘り返してしまい、情けないことに僕は落ち込んでしまった。思えば、僕が曲を書いてきた時に拓に良い顔をされた記憶がない。なにかこう、鬱陶しがられるようなことが多かった気がする。それもそうか、僕はクビになるべくしてクビになったギタリストなんだから。


「………なるほどね。じゃあそのボツ曲たち、私とバンド組んで演奏しましょ?」


 僕は彼女が言っていることの意味がわからなかった。この子、『私とバンド組んで』って言ったのか?メジャーデビュー寸前でバンドをクビにされるようなポンコツの僕が、天才女子高生ドラマーとバンド組むとか、なんだそのおかしなストーリーは。しかも、ボツになった曲を演奏するとか正気じゃない。

 そもそもそれ以前に女子高生とバンドを組む26歳男性がどこにいる。下手したら通報されかねない。


「そんな無茶なこと言うな。第一、僕はもうバンドを辞めて今は寮の管理人なんだ。そんな立場の人間が女子高生とバンド組むわけないだろう」


「じゃあ、これからもずっと門限破り続けちゃうもんねー。こんなわかりやすい非行少女を放ったらかしにしちゃうなんて、管理人さんはお給料下げられちゃうかもねー」


 彼女は白々しく脅迫めいたことを言う。でも、ここまで来たからには引き下がるわけにはいかない。なんたって僕は寮の管理人なのだから。


「それとこれとは話が別だ。意地でも門限までに連れて帰るからな」


「じゃあ、私とバンド組んでよ。組んでくれたら規則守ってあげる」


「組まない。いいからさっさと寮に帰るぞ」


「イヤ」


 こんな問答を何周か繰り返して、これでは埒が明かないと僕は思った。そう思っているのは彼女も同じようで、徐々に二人ともイライラが募り始めていた。

 ふと、何か打開策らしきものを思いついた彼女は、急に近づいてきて僕の右腕をとった。今思えばこのとき、僕はもっと不意打ちに警戒すべきだったと反省している。コントロールを奪われた僕の右腕は、一瞬にして彼女の左胸を掴む形になってしまった。


 やや小ぶりではあるけれども、衣服越しでもほのかに柔らかくて何か癖になりそうな触感だった。そしてその触感からコンマ数秒の遅れで、僕の脳内では女子高生の胸を揉むという行為が社会的にどういった意味を孕んでいるのか思考が巡り、あまりの事の重大さに頭がパンクしそうになった。

 一方で彼女の方は自分から胸を触らせておいたくせに、まるで僕が無理矢理手を出したかのように見せたいのか、弱々しい女の子の素振りをしている。


「お、おいっ!いい加減にしろっ!こんなことをしても僕はバンドなんてやらないからな!」


 すると、彼女は何も言い返すことなく僕の後ろを指差した。にわかに信じられないのだけれども、その指の先には撮影用のカメラが設置されていたのだ。


「………どうしてここにカメラがあるんだ?」


「あれね、ドラム叩くときのフォーム確認用に使ってるの。……でも、それ以上に価値のあるものが撮れちゃったみたいね」


 僕はその瞬間、膝から崩れ落ちた。この小娘にまんまとしてやられたのだ。おそらく僕が彼女のバンド結成の誘いを断ろうものなら、たった今撮れたばかりのホットな映像を煮るなり焼くなりしてあっという間に僕の事を社会的に殺すだろう。

 こうなればもう白旗を上げるしかない。最初から僕には勝ち目などなかったのかもしれないけれど、バンドを組んであげれば全てが丸く収まるのであればそれは安い買い物かもしれない。


「話がわかる管理人さんは嫌いじゃないよ」


 これが、この新しいバンドのなんとも情けない結成秘話だ。

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