第39話 master
無事に退院して寮に戻ってきた僕は、とある方法を思いついていた。もちろん、高校生バンド選手権に棄権せずになんとかして出場する方法だ。その方法を実行するために、僕は寮内のとある部屋の前に立っていた。
その部屋の扉をいざノックしようとしたとき、隣の隣の部屋から桃子がやってきたのだった。
「あら、脩也もここの住人に用事があるの?」
「ああ、………もしかして、桃子も?」
「そうよ、多分あんたと考えてることは同じかもね」
僕はまさか桃子が同じような事を考えていて、しかもそれを実行しようとしていたということに驚いてしまった。桃子単独でこんなことをやろうだなんて思いもしなかったのだから。
「――勘違いしないで、私がここに来たのは美織のため。別に私自身、大会を棄権しても良かった。でも、あんなに自責の念にかられている美織を見たら何もしないわけにはいかないじゃない」
桃子は何か心を決めたような表情だった。
独りよがりの天才ドラマーだった桃子が、仲間のためになんとかしてやろうという気持ちになったという、そんな桃子の優しさが垣間見えたのが僕にとって嬉しかった。そして、それを僕に悟られないように精一杯強がっているのもまた桃子らしくて、思わず笑みが溢れそうになってしまう。………いかんいかん、こんなところで微笑んでいたらまた桃子に『気持ち悪い』だの『ふざけてるの?』だの言われてしまう。表情を殺せ、僕。
「――それで、やっぱり桃子もこいつをバンドへ引き入れようって思ったのか」
「………正直気乗りはしないけどね。でも、彼のことを調べれば調べるほど、今の私達に足りない部分を補ってくれる気しかしなくなるのよ」
「それはもはや恋みたいなもんだな」
「バカ言わないでよ。あんな陰キャラと恋愛沙汰とか死んでもイヤ」
当事者不在のままボロクソに言われてしまうので僕は彼のことを少し気の毒に思いながらも、いつも通りのキレキレな桃子節を聞くことが出来たおかげで安心した。
もう既におわかりかと思うけれども、ここは瑛神の部屋の前。僕と桃子は瑛神をバンドへ引き入れようと、この場所にやってきたのだ。僕がギターを弾けないならば、信頼できる腕前の持ち主に弾いてもらえばいい。そう、誰かにできないことがあるのならば、他の誰かが担当すればいい話なのだ。それがバンドってやつの良いところである。
満を持して桃子が瑛神の部屋のドアをノックするが、返事は無い。少し間をおいて先程より強くノックするが、やっぱり返事は無かった。
「おかしいわ……、実は門限破って外出中とかじゃないわよね?」
「いや、ちゃんと帰宅札が掲示板に掛かってたからそれは無いはず。――もしかしてもう寝てるんじゃないか?」
「仕方ないわね……。脩也、マスターキー持ってきなさい」
「いやいやいや、それは流石にプライバシーの侵害過ぎて駄目だ。夜の静かな時間帯の男子はプライバシーに敏感なんだよ」
「………なにそれ、意味わかんない」
「お前にはわからなくていい」
下手にマスターキーで部屋に入り込んでしまったら、瑛神自身がマスターになっている可能性すらあるのだ。そんなことになればお互いに深い心の傷を負うことになるのは間違いない。
「じゃあいいわ、私がなんとかする」
「なんとかするって、桃子お前何をするつもりだ?」
「いいからあんたはここで待ってなさい」
桃子はそう言うと僕を瑛神の部屋の前に置き去りにしてどこかに行ってしまった。いい加減桃子との付き合いも長くなってきたのだから、僕はこの時彼女がとんでもないことをしでかすことに警戒すべきだったとあとから反省した。
10分もしないうちに桃子は戻ってきた。そして信じられないことに、彼女の右手にはマスターキーが握られていたのだ。
「桃子お前、どうやってそれを!?」
「あんたが後生大事にしているキーケースから取り出しただけよ。……まったく、バカみたいにわかりやすい暗証番号するなんて、まるで歩くセキュリティーホールね」
「………なんで桃子がキーケースの暗証番号を知ってるんだよ」
「適当にそれっぽい数字を当てていたら開いたわ。――車のナンバーと同じ数字にするとか浅はかね」
今すぐ僕のパスワードとか暗証番号関連を一度見直す必要性が出てきてしまった。こんなにあっさり破られてしまうとは、桃子の勘は本当に恐ろしい。
「さあ観念しなさい!マスターキーがあれば最早丸裸にしたも同然よ」
完全に目的と手段が逆になってしまっているが、僕はそれどころではなくてツッコミを入れる余裕すらなかった。……申し訳ないが瑛神よ、尾鷲桃子とはこういう奴だ。お取り込み中であるのならば本当にごめん。
桃子は鍵穴に勢いよくマスターキーを挿し込んでぐるりと回すと、ロックされていたドアはあっさりと開いた。そして直後、ドアが開いたことに気づいた住人の断末魔的な叫び声が響いた。
「う、うわああああああ!!!見、見ないでくださいよおおお!!!」
やはり瑛神は部屋の中にいた。そして、その彼の姿に僕と桃子はあ然とするしかなかった。




