第38話 focaccia
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「………桃ちゃん、本当に申し訳無いっす。私のせいで先輩をケガさせてしまって」
「もうそれは仕方がないわ。いい加減謝るのはやめてちょうだい」
「はいっす……」
脩也が運ばれた病院からほど近いところにあるファミリーレストランに桃子と美織はいた。美織のほうが桃子より8歳年上ではあるのだが、傍から見るとその落ち着きぶりから桃子のほうが先輩であるようにも見える、そんな不思議な女子2人組だ。
「脩也がああなってしまった以上、高校生バンド選手権は棄権してもいいと思うわ。私は別にこの大会にこだわりは無いし、無理に怪我をおして出たことで脩也の手首が悪化する可能性もあるわけだから、ここは安牌を切るのも悪くはないと思うの」
桃子はテーブルに運ばれてきたミラノ風ドリアとフォカッチャへ手を付ける前に、自分には高校生バンド選手権の決勝大会へ出場する意思はそれほど強くない旨をきっぱりと美織に告げた。元はと言えばこの大会に出場しようと言い出したのは美織で、桃子はバンドの実力を試したかった時にたまたまこの大会があったから出たに過ぎないのだ。
しかし、美織はそうではなかった。
「桃ちゃんに批判されるのを承知の上で言うっす。私は、この大会を棄権したくはないっす」
「美織、言い出しっぺだからってそんなに意地を張らなくてもいいのよ? 第一この大会自体そんなに――」
「意地を張っているわけではないっす!」
あまりに食い気味に美織が強く言い返すものだから、桃子は一瞬怯んだ。それと同時に、美織から並々ならぬ想いというのを桃子は感じ取った。
「………びっくりさせてごめんなさいっす。ただ、ちゃんと理由があるんすよ」
「言ってご覧なさいよ」
「私は、先輩のことが好きっす」
美織からの回答は予想斜め上からやってきた。突然の脩也への告白。流石に文脈がぶっ飛んでいて桃子も理解が追いつかない。美織らしいといえば美織らしいのだが、今はそんな個性豊かな表現力が求められる場面ではない。
「でも、私自身はとても先輩に釣り合っているような人間ではないっす。ずっとお世話になりっぱなしで、私ばっかり受け取ってばかりで。――だからせめてもの恩返しではないっすけど、夢半ばで帰ってきた先輩が今度こそ日の目を見るようなチャンスを自分の手で作ってあげたかったんす」
桃子は何も言えなかった。自分より遥かに脩也との付き合いが長い美織の想いというものに、口を出すことができるなんて到底出来なかった。やや涙目になりながら力の入った言葉を放つ桑名美織という年上の女性に、桃子は羨ましさすら感じていた。
「今回の先輩の怪我は私のせいっす。でも、ここで棄権なんてしたら今までこのバンドで積み上げて来たものが一気に崩れてしまうような気がしてしょうがないんすよ。そうなったら、今まで通り私は桃ちゃんや先輩とバンドを続けていいのかわからなくなりそうで怖いっす。―――そんなのは嫌なんすよ。先輩に怪我を負わせてしまってこんなこと言えた立場ではないんすけど、私は大好きなこのバンドを守りたいんす」
桃子は美織のその言葉をゆっくり咀嚼した。確かに間接的に加害者のような形になってしまった美織は相当な負い目を感じている。その十字架を美織がずっと背負うようになってしまえば、それこそ彼女の言うとおりバンドを続けていくのが難しくなるだろう。しかしながらそれを回避するために強行出場をするというのは、不治の病を治すために劇薬を投与するようなものだ。
「………美織の言いたいことが理解できない訳ではないわ。私だって同じ立場になったら多分今の美織と同じことを言うと思うし、脩也に日の目を見てもらいたい気持ちは誰よりも大きい自負がある。――ただ、良い方法が無いのよ。方法さえあれば、私だって諦めたりはしない」
2人は言葉を発するのをやめた。結局のところ、お互いの気持ちは大体同じ方向を向いているのだ。これ以上言い合う意味は無い。
しかしながら、事態は解決することなくどんどん閉塞する方向に向かっていく。しかも、時間というものは絶対に止まってくれない。ただただ2人の間には沈黙が流れた。
「……ドリア、冷めちゃうっすよ」
「そうね、お先に頂くわ」
桃子は手元のスプーンでドリアをすくって口へ運んだ。幸い、長話のおかげでアツアツのドリアはちょうどいい温度になっている。一方の美織は、少し遅れて運ばれてきたアラビアータを見て何か思ったのか、店員を呼び止めた。
「すいません、私も追加でフォカッチャをお願いしたいっす」
店員がかしこまりましたと言って伝票代わりの端末をいじっていると、その瞬間、桃子にまるで電流でも走ったかのように妙案が浮かんだ。
「待って美織、もしかしたら………」
「どうしたんすか?桃ちゃんもフォカッチャ追加っすか?」
「それもあるけど違うわ。この状況を打開する策、思いついちゃったの」
上手くいくかは分からないが、この閉塞状態を打ち破るには十分な劇薬的発想を桃子は思いついた。そして、その内容を聞いた美織は度肝を抜かれたのだった。




