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第36話 covered

 ◇


 毎朝美織を起こして学校へ送り出すという脩也のモーニングルーティンが途切れたことが1度だけある。脩也が柚香に別れを切り出した日とそこからの数日、彼は美織の家に現れなかった。

 美織ははじめ、脩也だって人間なのだから体調を崩してしまったり、なんやかんや朝起きられない事もあるだろうとあまり気にしていなかったのだが、3日目になっても脩也から連絡ひとつやって来ないので徐々に心配になってきた。それに、ほぼ留年確定した自分のことを毎日毎日脩也が優しく構ってくれていたのもあって、彼がやって来なかった数日の間に、美織は得も言われぬ寂しさを感じていたのだ。


「先輩………、なんで来てくれないんすか……? 私のこと嫌いになっちゃったんすか……?」


 そんな美織の独り言がワンルームに虚しく響いた。今まで眠くて憂鬱で仕方がなかった朝が脩也のおかげで楽しいひとときになっていたので、たかだか数日彼がいないだけでも美織の心にはぽっかり穴が空いたようになってしまった。そこで初めて美織は、知らず知らずのうちに脩也へ好意を抱いていた事に気づいたのだった。

 一応、心配だったので脩也と柚香に連絡のメッセージを送ってはいた美織だったが、どちらからも返事はなかった。柚香は就職活動で忙しいし、脩也もなにかしら事情があるのだろうと、美織はぐっとあふれ出そうになる気持ちを押さえていた。


 脩也から連絡があったのは5日目の夜だった。


『ごめん、明日からはちゃんと行く』


 と、一言だけ美織のスマホへメッセージを送ってきた。美織はそのメッセージを見るなり、心の中に渦巻いていた不安感みたいなものが一気に吹き飛んだ。明日また脩也に会える、そんなことをずっと考えてしまって、逆に寝付けない程だった。


 翌朝、午前7時半に美織の部屋の呼び鈴が鳴った。いつもなら美織はまだ夢の中なのだが、今日に限って脩也が来る前に目が覚めてしまった。この数日間何もなかった風を装うように、できるだけ元気よく立ち振る舞おうと美織はドアを開けた。


「先輩おはようございますっす! ……一体どうしたんすか? 顔色もあんまり良くないっすよ?」


「ああ、大丈夫。ちょっと風邪をこじらしちゃってな、もう治ったから安心して」


 疲労の色が見える脩也の顔を見て、美織は彼がただ体調が悪かっただけではないなというのを察した。なんとなくではあるけれども、柚香と何かあったのではないかと思った。それは根拠も何もない、ただの女の勘。


「……そうなんすか。まあとりあえず上がってくださいよ、外、寒いっすから」


 美織は脩也を家に上げると、何も言わずに脩也は朝ご飯の支度を始めた。卵焼きとお味噌汁を手際よく作り終わると、あっという間に美織の部屋の真ん中にあるローテーブルは温かい朝食で彩られた。


「いただきます。――先輩、食べないんすか?」


「……いや、食べるよ。ちょっと考え事をしていただけだ」


「……やっぱり先輩なんか変っす。隠し事をしている感じがするっす」


 脩也は参ったなと苦笑すると、まるで尋問で追い詰められた犯人のように開き直って語り始めた。


「別れた。柚香さんと。―――あれ? 案外びっくりしないんだな」


「びっくりはしたっす。したっすけど、想像の範囲内だったもんすから……」


「ハハハ、そりゃあそうかもな。僕は顔に出やすいらしいから。――最近、柚香さんとすれ違うことが多いというか、ちょっと思うことがあってね」


 柚香は脩也の恩人であるということくらいは美織も知っていたのだが、その時初めて2人の馴れ初めだったり、脩也が柚香のことをどう思っていたかを知った。話を聞くうちに美織は、この2人がお互いに相手に尽くさないと気が済まない性格で、徐々に気持ちがすれ違って行ってしまったのだなと理解した。


「自分から別れを切り出しておいて自分で凹んでるの、超ダサいよな僕。桑名を起こしに行くのも5日くらいサボっちゃったし、ちょっとメンタルが弱々しすぎやしないかなって反省してる」


「そんなことないっす。……先輩は、優しくて素敵だと思うっすよ」


「………ありがとう。桑名は優しいね」


 美織はそれ以上言葉が出なかった。自分の都合だけ考えてしまえば、想いを寄せた人が彼女と別れて落ち込んでいる状況なんていうのは、自分へ乗り換えさせる絶好のタイミングであることは間違いない。しかしながら美織はそれをしなかった。そんなやり方はずる過ぎると思ったことに加えて、こんなぐうたらな自分と脩也ではあまりにも釣り合わなすぎると思ったのだ。せめてもう少し自分がまともになってから、ちゃんと自立できるようになってから、たとえそれが受け入れてもらえなかったとしても脩也に想いを伝えよう。そう心に決めた。



 そんな気持ちを心の中にしまい込んでから6年、何とか大学を卒業して就職し、ひょんなことから脩也と一緒にバンドを組むようになって、やっと美織は自分で自分を認められるようになってきた。もう少しで脩也に想いを伝えても恥ずかしくない自分になれると思っていた矢先、目の前で彼は脚立から転落して気を失ったまま動かなくなった。


 美織はその瞬間背筋が凍った。このまま脩也が帰らぬ人になってしまうのではないかとパニック状態になり、訳も分からず涙があふれ出た。

 この人が私のことを死ぬほど嫌いになってもいい、恨まれてもいい、何なら私なんていなかったことになっても構わない、ただ、脩也を死なせないでほしい。と、美織は病院に着くまでの間、神でも悪魔でもとにかく何かにすがりたい一心で祈り続けていた。

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