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第35話 roused

 ◇


 美織が脩也と出会ったのは今から約6年ほど前になる。当時、大学の軽音楽部で柚香とバンドを組んでいた美織は、ベースを弾くことに夢中になりすぎてしまったおかげで2回目の大学1年生を迎えようとしていた。そのときに柚香が美織の生活面での面倒を自分の代わりに見てほしいと脩也に頼んだのが最初のきっかけである。


「――というわけで脩くんお願いっ!このままだとみおりんが留年しちゃうかもしれないの」


「……それは分かったけど、なんで僕が?」


「理由はいろいろあるんだけれど、一番の理由は『脩くんは早起きがめちゃくちゃ得意』だからかなぁ」


 脩也はその瞬間、美織という後輩の女の子が大体どういう感じの子なのかある程度察しがついてしまった。学力的な問題が無いにもかかわらず留年しそうになるいうことは、単純に学校に行けていないということだ。それが人間関係だったり通学時間だったりと人によって理由はあるだろうが、美織の場合はシンプルに『怠惰』であることが容易に想像できる。ベースの弾きすぎで夜更かしをしてしまい、翌日の午前中の授業をすっぽかす、そして授業についていけなくなってさらに足が遠のいてしまう。そんな悪循環に陥っているのだろうと、脩也は大体のストーリーが思い浮かんでしまった。


「……んで、肝心のバンドメンバーである柚香さんは手伝ってくれないの?」


「もちろん手伝うわよ? でも、私もそろそろ就職活動を始めなきゃいけないから、脩くんと分担しましょうってことよ」


「まあ、そういうことなら……」


 柚香はお馴染みの下手っぴなウインクで可愛く脩也にお願いをする。もう何度もその下手なウインクを見てきた脩也ではあったが、やっぱり何度見ても可笑しくて笑ってしまうのだった。そしてなにより、普段から柚香に尽くされてばかりだった脩也にとって、逆に何かを頼まれることが嬉しかった。以前に絶望していた自分を救ってくれた柚香への直接的な恩返しではないが、後輩を助けてあげることによって巡り巡って柚香への恩が返せるならばそれでもいいと思っていた。


 当時の美織は現在と変わらないボブカットに少しフレームの大きい眼鏡の組み合わせといういかにもサブカル系女子という感じだったが、今と大きく違うのはその髪の色である。まるでカラオケのドリンクバーにあるメロンソーダのような目に刺さる緑色の髪で、よっぽど視力が悪くない限り、美織が大学構内の長いメインストリートを歩いていれば一発で視認できるくらいだった。脩也は初めて会ったとき『ランカ・リーって実在するのか』という素っ頓狂な感想が思い浮かぶ程度には驚いていて、交友こそなかったものの脩也の中では既に美織がぶっ飛んだ女の子であるという認識があった。

 そんな一風変わった後輩の女の子と初めてまともに話すのが、朝イチに彼女を叩き起こすというこれまた特殊なイベントであるということに脩也は少し戸惑いを感じていた。しかし、柚香が事前に話を美織に伝えてあると言っていたし、とりあえず起こして朝飯を食わせて学校に連れて行ってやればいいのだから何も気に病む必要はない。脩也はそう言い訳をして、あまり何も考えずに渡された合鍵で美織の部屋のドアを開けた。


「おはよう桑名、………やっぱり寝てるよな」


 午前7時半、脩也がドアを開けて玄関先でおはようと声をかけるが、その先にある美織の部屋からは全く返答も物音もない。誰も見ていないのにやれやれというポーズをとった脩也は、おそるおそる靴を脱いで美織の部屋に上がり込むことにした。許可を取ってあるとはいえ、女の子の部屋に入るというのはやはり緊張する。

 玄関から小さなキッチンを越えて1枚のドアを開くと、そこは一人暮らしにちょうどいいサイズのワンルームだった。清潔だが鼻を突きさすような化粧品の匂いと、お世辞にも片付いているとは言えない雑多な床が美織の生活というのを暗に物語っている。そして、ベッドの上で布団や毛布と一体化している美織を見つけた脩也は、絶対に起こしてやるという強い決意でその塊をほぐし始めた。


「うぅ……、寒いっす……。私の身ぐるみなんて剥がしても高くは売れないっすよぉ……」


「まるで羅生門だな……。さしずめ僕は下男ってところか」


 毛布と布団をすべて剥がすと、寝ぐせでぼさぼさになった緑髪と落とし損ねた化粧でくちゃくちゃになった美織がやっと覚醒してくれた。


「……誰っすか?」


「柚香さんから話聞いてなかったのか? ――2年の伊勢脩也だ」


 美織はビジー状態の脳になんとか血液を送ってその言葉を理解しようとした。そして、やっと脩也の存在を咀嚼し終えて手元にあった眼鏡をかけた。


「ああー!柚香さんの彼氏さんっすね、どうもこれからお世話になるっす」


「……ずいぶんと呑み込みが早いな?」


「それが取り柄っすから。――それで、朝ご飯はまだっすか?私、パンでもご飯でも両方いけるっすよ」


「お前なあ……」


 脩也は少し呆れた表情で肩をすくめた。今でこそ連発しているこの脩也の仕草ではあるが、実はその起源が美織にあったということは脩也自身覚えてない。

 そして、美織を起こしては朝ご飯を作り、そのあと学校へ送り出すというモーニングルーティンを脩也は卒業するまで続けることになる。

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