第33話 strategy
瑛神とレイラのデートという僕の小さな作戦の決行日になった。長い付き合いがあるとはいえ、初心そうなレイラと瑛神をいきなり2人きりにするというのは荷が重い。なので僕も一緒にレイラのギターを探しに行くことにした。場所は美織の働いている楽器店で、入店したら僕はレイラと瑛神を2人きりにして、店番で暇を持て余しているであろう美織と適当にお喋りして時間を潰すという単純な作戦。流れとしても自然だし、お互いに余計な気を使わなくて住むという我ながら良い作戦な気がする。と言うより、シンプル過ぎて最早作戦と呼べるのかわからない。
店に足を踏み入れると、楽器屋さん特有の乾いた空気の中に雑な湿気があって肌に触れるとやんわり冷たい空気を感じた。何度浴びてもこの空気のひんやりさは心地がいい。おそらく僕以外の誰もこの心地よさを理解してくれないけれども、この瞬間がたまらなく好きだ。
「いらっしゃいっす。あれ?先輩、舎弟でも連れてきたんすか?」
「言葉のチョイスが絶妙に最悪だな……。――まあ、弟分みたいなもんだ」
流石に師匠と弟子というのは対外的に恥ずかしいので、そんな感じにぼかすことにした。それぐらいがちょうどいいだろう。
「ギターコーナーは向こうだから、あとは若い2人で行ってらっしゃい」
そう言うと、連れてきたレイラも瑛神も意表を突かれたのかお互いにチラッと目を合わせた。まさかこんなに序盤から2人きりになるとは思わなかったのだろうか、僕としては結構お膳立てしたつもりだったのだけれども、この2人にはもう少し面倒をみてあげる必要があったかもしれない。少し反省。
ややぎこちない足取りで2人がギターコーナーへ向かっていくと、僕は『ご武運を』という感じで背後から2人を拝んだ。
「……先輩、何やってるんすか?」
「ちょっと人助けをだな」
「もしかしてあの2人の恋のキューピッド的なやつっすか?――んもー、先輩は昔っからそういう面倒見るの好きっすよね」
お前に言われたくないわと言いたいところではあるけれども、事実なのでしょうがない。『やたら面倒見が良い』という僕のイメージを作ったのは僕に世話されまくった美織であるということに美織自身が自覚していないみたいなので、今度は逆に寮の仕事を目一杯手伝わせて『無慈悲な先輩』というイメージを植えつけてやってもいい。
「それで、あの2人は上手く行きそうなんすか?」
「上手く行ってもらわんと困る。――あれはどう見ても両想いだよ」
「あらまぁ、それはそれはハートフルっすね。でもいいじゃないっすか両想い。片想いをずっと続けるより全然幸せっすよ」
「そうなのか? 」
「そりゃあもう」
「美織、片想いしてるのか?」
その瞬間、美織はちょっと遠くに視点が合ってきょとんとした顔になった。ちょっとまずいことを聞いてしまったのかもしれないと思って、僕は美織から目を逸してしまった。
「それは…………、内緒っす」
いつもバカでかい声で会話する美織から、まさかそんなに絞ったような声が出ると思わなかった。美織にだって言えない事情のひとつやふたつはあるだろうし、ここはちょっと僕のデリカシーが無かったと反省すべきだろう。
少しの間2人に訪れた沈黙であったけれども、あっさりとそれを打ち破るような人影が楽器屋併設の練習スタジオから出てきた。
「美織、スタジオ練習終わったわ。精算お願い。――なんで脩也がここにいるの?」
「ちょ、ちょっと野暮用で……」
ドラムを叩きまくってまるで湯上がり直後みたいにタオルを首にかけた桃子がそこには立っていた。夏休みで暇を持て余しているようで、とにかく時間があればドラムを叩きに来ているらしい。
「ふーん、『今日は用事があるから』ってバンドの練習を別の日変更してほしいって連絡がきたから、何かあるとは思っていたのよね。……まさか美織とお喋りするためだったとはね」
「いやいやいや、それは違うぞ。美織とのお喋りは成り行き上仕方がなくてだな………」
ジト目というのはこういう目つきなのかなと思いながら桃子に威圧されている。高校生バンド選手権の全国大会が目前に迫っているだけあって、普段より桃子の圧が強い。
「……まあいいわ。その代わり、大会で結果が出なかったら罰ゲームね」
「罰ゲームってお前なぁ……。――んで、一体その罰ゲームってのは何をやらされるんだ?」
「そうねえ……、お祭りで焼きそばでも奢ってもらおうかしら」
桃子の考えにしてはえらく軽い罰ゲームだなと思ってしまうあたり、僕は既に桃子の毒に慣らされてしまっているのかもしれない。お祭りの焼きそばは高いんだ。数量の指定が無いところをみると、諭吉1枚ではケリがつかない可能性だってある。桃子はそういう子だ。
「まあまあ桃ちゃん、落ち着いてくださいっす。先輩は舎弟の恋路のお膳立てをしているんすよ」
「舎弟の恋路……?なに?あんたカタギじゃなくなったの?」
「そんなわけあるか!」
美織よりもバカでかい声でツッコんでしまったせいで、この店内における僕の視聴率が爆上がりしてしまった。ちょっと恥ずかしい。
成り行きの説明は美織にすべて任せると、桃子は興味なさそうな顔でまた僕のことを見た。
「そう、それであの陰キャラは脩也の舎弟になったわけね」
「舎弟はやめろ舎弟は」
「どのみち興味ないからどうでもいいわ。――そうよ、ついでにあんたもギター買っちゃえば?現実的に、1本しか持ってないのはライブやってると結構しんどくない?」
「確かに……、チューニング替えたり弦切れたりするとしんどいな」
今僕が持っているギブソンの黒いレスポールスタジオというギターは長いこと使っていて手に馴染んでいるし、音作りに関しても勝手知ったるという感じでなかなか満足している。しかしながら、桃子の言うようにライブをこなしていると1本だけでゴリ押すのはなかなか辛くなってくる。例えば、弦を切ってしまったら張り替えるか他の対バンの人からギターを借りるかしなければならず、結果的に一時中断をはさんでしまうのでライブの流れを殺してしまいかねない。他にも曲によってチューニングを変えたりすることもあるので、ライブ慣れしたギタリストなら複数本持ち込んでいたりすることは珍しくはない。
ただ、今の僕にはあまりお金が無いのだ。
「それなら先輩、おとといちょっと良い感じの中古を買い取ったっすよ」
美織が思い出したかのように中古ギターコーナーから1本のギターを取り出してきて僕に渡してきた。
「これは……、ギブソンのSGじゃないか。――しかも、¥59,800はいくら何でも安すぎる……」
ギブソン社のSGと呼ばれるモデルのギターはクワガタみたいな独特な形をしていて、僕の持っているレスポールの後継機種として発売されたモデルだ。詳しいことはwikipediaでも読んでもらった方が早いので割愛する。5年ほど前のモデルでカラーは黒、ラージピックガードが特徴であり、中古でも間違いなく10万円は超えるものなのでその価格に僕は驚いた。
「なんでこんなに安いんだ?」
美織は何かのキャラクターを真似するように目線を落としたまま言う。
「人を死なせてる、三人」
「嘘つけ」
「冗談っす。本当は背面に大きな傷があるので超特価扱いになっているっす。――どうすか?先輩もギター買っちゃうっすか?」
「さすがにお金が無い。車も買ったし維持費で財布事情が――」
「それなら、明後日のうちのお店の棚卸を手伝ってくれたらこの値段にするっす」
美織は僕だけに見えるように電卓をたたいて数字を見せてきた。――棚卸を手伝うだけでこの価格になるなら買ってもいいかと思える。
「待て待て、ギターは値段じゃなくて音だ。ちょっと試奏させてくれよ」
「それは構わないっすけど、もうちょっと待ってからのほうがいいかもしれないっすよ?」
僕は美織が指差した試奏ブースのほうを見ると、瑛神とレイラがいちゃいちゃとお目当てのギターを鳴らしているではないか。すっかり忘れていたけれども、よく分からないうちに上手くいっているみたいで良かった。
結局、演奏性もサウンドも悪くないので、僕は晴れてこの傷アリ特価品の黒いSGをお迎えすることになった。ちなみに、レイラはエリック・クラプトンっぽい黒のストラトキャスターを買ったらしい。レイラだけに。




