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第32話 brother

 その日、寮に帰って食堂で夕飯を食べていると真っ先に瑛神から質問攻めにあった。内容はもちろん、僕が『伊勢海老P』であることを黙っていたことだ。


「黙っていたなんてひどいじゃないですか。それならそうと言ってくださいよ」


「い、いや……、ほら、まさか大昔に自分が投稿した曲が伸びてるなんて思いもしなかったからさ………。――なんというか、ごめん」


 クールで表情の乏しい瑛神ではあるけれども、子供のように頬を軽く膨らませて『ぷんすか』という擬音が聞こえてきそうな顔をしている。それほどまでに正体を隠されたということを怒っているのだろう。

 でも考えてみてほしい。『僕は伊勢海老Pのことを尊敬しているんです!』というやつに対して『実は伊勢海老Pは僕なんだ』と返す会話はどう考えてもぶっ飛び過ぎている。いずれ打ち明ける気はあったのだから少し段階を踏ませてもらってもバチは当たらないはずだ。


「でも僕は逆にこれはチャンスだと思ってます。師匠がこんなにすぐそこにいるなんてこれ以上の事はないですよ」


「……し、師匠?」


「師匠も師匠ですよ。僕を音楽の道へ突き進ませてくれた恩人であり、多大なる影響を与えてくれた師匠です」


 そんなに大袈裟に言われるとどんどん現実味が無くなってくる。僕には弟子をとった覚えなどないし、人の人生を変えてしまうような影響力があるとは到底思えないから。しかしながら、瑛神は僕のことを引きこもりになった原因ではなく音楽の師匠という形で受け入れてくれたことは助かった。下手をしたら京介にチクられて、減給処分だってあり得たかもしれないのだ。


「そう言ってもらえるのは嬉しいけれども、僕は瑛神のことを引きこもりにさせてしまった張本人であるわけだから、手放しに喜べないよ」


「そんなこと気にしないでくださいよ。結局引きこもりになって寮に引越してきたから師匠に出会えた訳ですし、それに僕は引きこもりなるべくしてなったんですから」


「……どういう事?」


「ご存知の通り僕は松阪家のボンボンです。でも跡取りは京介兄さんだし、大吾兄さんは名門大学に入って実業家になった。僕にはハナから何も無かったんです」


 そんなことはないだろとはすぐに言えなかった。優秀な人間が近くにいると、自分がいくら頑張ってもその人に及ばないということを嫌でも思い知らされる。そんなことは拓とバンドをやっていた時に何度も経験した。そして、自分には価値などないのだと思いこんでしまう。


「とりあえず大学には入っておけということで松栄学園大学に入ったわけですが、何もやりたいことなんてなくて灰色の日々を送っていました。惰性で学校に行って惰性で卒業して惰性で生きていく未来が僕にはもう見えていたんです。――そのときに師匠が作った曲を聴いてなかったら、本当にその通りになっていたかもしれません」


「『恩人で師匠』っていうのはそういうことか。――藪から棒に現れる弟子なんて後にも先にも瑛神くらいだよ」


 瑛神はうっすら笑みを浮かべた。師匠とまで言われるのは大袈裟な気もするけれど、人に慕われるということは案外悪いものではないなと思った。桃子に僕が作った曲を採用してもらったときのように、どこかで自分のことを認めて欲しいという下心があったのだと思う。


「ですから、引きこもりの原因を作ったのは師匠だと京介兄さんに告発したりはしませんよ。ご安心ください」


「うっ……」


 僕は瑛神に心を完全に読まれてしまって恥ずかしくなった。しかしながら、不安要素がひとつ消えたのは喜ばしい。物事が丸く収まること以上に好ましいものはない。

 話し込んでいるうちに夕飯を食べ終わった。そして食堂のテーブルの上にある大きなやかんから、麦茶をコップに注いで喋りすぎて乾いた喉を潤していく。夏は麦茶、冬〜春先は温かい緑茶が入っていて、いつも用意してくれているパートのおばちゃんたちのホスピタリティを存分に感じながら飲むお茶というのは案外悪いものではない。


「そういえば師匠に相談したいことがあるのを忘れていました」


「相談? 一体どうしたんだ?」


「実は、レイラがギターを探したいから一緒に楽器屋に来てほしいって言ってくるんです」


 僕はそれを聞いて待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべたいところであったけれども、瑛神に悟られてしまってはまずいと思い必死で表情筋を殺した。レイラに吹き込んだ作戦がどうやら動きつつあるみたいだ。ここで瑛神の相談に乗りつつ、レイラが望むような方向に持っていけたら万々歳。


「へぇ、レイラさんってギターを弾くんだね」


「いえ、彼女、全然弾けないんですよ……」


 それは知っている。知った上で楽器屋デートに持ち込む作戦を練ったのだから。


「じゃあギターを始めたくなったんじゃないか?楽器のことが分かれば、歌うことにも引き出しが増えるかもしれないし」


「そうなんですかね……、うーん」


 瑛神はまるで探偵が推理するかのように顎に手を当てて訝しげな表情をする。髪の長い瑛神ならディアストーカーハットとインバネスコートがあれば完璧な探偵コスプレが完成するだろう。間違いなく似合う。


「彼女が楽器を始めたいなんて一度も口にしたことが無かったのに、どうしてこのタイミングでそんなことを言い出したんだろうって思いましてね。――もしかしたら、誰かに吹き込まれたのかなって」


 全くこの男は本当に鋭い。それもそうだ、レイラに吹き込んだ人間は目の前の僕なのだ。本当に探偵事務所でも立ち上げてしまったほうがいいのではないかと感心しながら、僕は表情を殺すために麦茶をもう一杯飲んだ。


「……師匠、僕はどうしたらいいんでしょうか」


「どうしたらって……、一緒に楽器屋に行ったらいいじゃないか」


「で、でも、多分あのレイラがギターを弾きたいなんて言うくらいだから、おそらく相当の理由があるんじゃないかと思うんです。多分、意中の人が出来たとか……。―――師匠、実は何か知ってたりしませんか?」


「………いや、何も知らないな」


 あまりにも間の悪すぎる返事をしたおかげで、瑛神にバレてしまってもおかしくない雰囲気になってしまった。まずい、ここで作戦がバレてしまってはすべてが御破算だ。僕はもう体内の水分補給なんて必要ないくらい潤っているけれども、誤魔化すためにもう一杯麦茶を飲んだ。


「師匠じゃないとすれば、一体誰なんだろう……。サークルのメンバー……?いや、そんなことは………」


 また瑛神が探偵の顔をしてぶつぶつと独り言を呟き始めた。あれほど鋭い勘を持っている割に、自分自身が答えであるというところにはたどり着かないのが少しもどかしい。


「そんなに考え込むなんて、レイラに意中の人がいたらまずいのか?」


「……いえ、まずくはないです。むしろその、意中の人がまともな人なのかなとか、レイラ大丈夫なのかなとか、なんというか……」


 いつもはきっぱりと物を言う瑛神だけれども、言葉の歯切れが急に悪くなった。ちょっと露骨すぎやしないかとは思いつつ、僕は瑛神に核心をついた質問を投げかけてみる。


「もしかして瑛神、レイラのこと……、好きなのか?」


「……………………………………そんなこと、ないですよ?」


 色白の瑛神の顔が真っ赤になったところで今日の相談タイムは終了となった。

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