第27話 migration
僕は副理事長から呼び出しを食らった。仕事そっちのけでバンド活動に勤しんでいることに目を着けられたのか、はたまた桃子との距離が近すぎてPTAから苦情が来ているのか、悪いことばかりが頭をよぎった。しかし蓋を開けてみたら、――いや、副理事長室の扉を開けてみたら、それが杞憂だったことが判明する。
「いつも頼んでばかりで恐縮だが、君に折り入って頼みがある」
この学園の副理事長で僕の大学時代の同級生である松阪京介は、自身の机に両肘をついて神妙な面持ちで僕を見た。同い年で26歳であるはずの京介だが、10代に間違われそうな童顔はやはり変わっていない。学園の重役に就いたことで老け込むかと思っていたが、一般の成人男性よりも小柄であることもあってそう簡単に幼さが消えることはなさそうだ。
「頼みって?」
「うちの弟の面倒を寮で見てほしい」
「弟って、この間車を譲ってくれた弟……?」
「いや、うちは3兄弟なものでね、その下に末っ子の弟がいるんだ。今回お願いしたいのは末っ子さ」
松阪家には長男の京介、次男の大吾、三男の瑛神からなる三兄弟がいて、京介が面倒を見てくれというのは20歳で松阪学園大学に通う三男の瑛神。ちなみに先日僕に黒いミニバンを譲ってくれたのが次男の大吾で、彼は若き実業家として活躍しているらしい。
余談だが三兄弟の名前の覚え方は『京阪神』だ。東海道新幹線の駅の順番が京都、新大阪、新神戸であり、松阪兄弟はそこから順番に1文字ずつ取っている。もし四男がいたらさしずめ新神戸の次、『西明石』からとって明あたりだろうか。そう考えると長男の京介は一歩間違えたら京都の手前の『米原』からとって米介になりかけていたわけなので、京介が京介で良かったと思う。至極どうでもいい余計なお世話ではあるけれど。
「寮に入れるのは構わないけど、その末っ子の瑛神ってのはなんか問題でも抱えているのか?」
「……お恥ずかしながら、今年度になってから引きこもっているんだ。もともと少し暗い性格ではあるけれど、友達がいないわけでもないし成績も悪くはないから尚更心配でね」
自立を促すために一人暮らしをさせていたわけなのだが、やはり心配だということで、適度に距離を取りつつ目の届く範囲にある寮に入れてほしいということみたいだ。寮ならとりあえず食事が出るので男の一人暮らしよりは健康面でも安心だろう。
「多分、君なら僕ら兄弟より瑛神の心を開いてあげられると思うんだ。――かつて僕が君に助けて貰ったようにね」
あの時はどちらかと言えば京介を助けたというより京介に懐かれてしまったと表現するのが正しい気がするけれども、彼の中では今や僕は皆に一目置かれる学生の味方の兄貴分という感じらしい。京介は天才的に人を話に乗せるのが上手くて、僕はただ単純に彼の術中にハマっているのかもしれないが、信頼されて頼られているならば、それはそれで悪い気はしない。彼も彼で相当な人たらしだと思う。
「わかった、なんとかやってみるさ。――それで、引っ越しの予定はいつなんだ?」
「突然で申し訳ないが、明日だ。午前中には引っ越し業者が家財道具を運んで来る手はずになっている」
本当に突然すぎる。寮の部屋数にはかなり余裕があるので空き部屋が無いということはありえないが、掃除やら内装工事やらが済んでいて今すぐ入居出来る部屋は思い出せるだけで2部屋くらいだ。
しかも、そのうちのひとつは桃子がトレーニングルームと称してドラムの基礎練習や筋力トレーニングをするための部屋として勝手に使われている。ここを今すぐ立退けと言うのは流石に厳しいし、桃子からのある程度の報復も覚悟しなくてはならない。例の動画なんか流されたら人生が終わってしまう。
そうなると消去法で選ばれるのがもう一つの部屋、桃子のトレーニングルームのさらにひとつ隣だ。住む上では何ら問題はないが、桃子のトレーニングルームからの騒音が発生するのでご近所問題にならないか心配だ。京介の言うとおり瑛神が引きこもりで神経質ならば、最悪の住環境になりかねない。そうなれば尚更引きこもりなんて解消されないだろう。
仕方がない、ここは寮の管理人としての腕の見せ所だ。




