第26話 watermelon
夏休み、夏と言ったら海、海と言ったら水着。そんな連想ゲームのテンプレートでも出てこないくらいベタな思考回路の僕らは、夏休みを迎えてまもなく海へとやってきた。
先日譲ってもらったばかりの黒いミニバンにクーラーボックスやビーチパラソルなんかを詰め込んで国道248号をただひたすら海に向けて転がしていった。最初は僕と桃子しか乗っていなかったはずなのだけれども、三河大塚の駅を過ぎたころにはいつの間にか美織と柚香さんが後部座席に座っていた。
車内には夏っぽさが必要だという桃子の意向でThe Beach Boysの曲が流されていて、独特なエアコンの匂いを隠すためにこれまた誰の趣味だかわからないピンク色のボトルに入った芳香剤の香りが広がっている。僕の知らない間にクッションやティッシュ箱なんかを入れられる収納ケース、スマホスタンドやシガーソケットに挿すUSB充電器なんかも導入されていて、確実にうちの女性陣に運転席以外の部分は占領されてしまった。今後もし僕が領土拡大にむけて動こうとすれば、それは立派な紛争になってしまうだろう。
「やっぱり混んでるわね……、渋滞がひどすぎて海に着くころには夕方になっちゃうんじゃない?」
「さすがにこんな田舎でそれはないだろ。――まあ、確かに思っていたよりは混んでいるな」
「まったく、夏だからって安直に海に来れば良いってもんじゃないのよ。ちゃんと私みたいに考え抜いたうえで海に行くべきだわ」
一体桃子が海について何を考え抜いたのかは知らないが、前日にスーパーで小さめのスイカを買っているところだけは確認済みだ。考え抜いた結果がスイカ割りであるならば、そろそろ人類の思考はAIに取って代わられてもおかしくない。
一方で後部座席の二人はリアモニターにノートPCを接続して何かの映像を見ている。一体それが何かはわからないけれども、ライブみたいな音声が運転席に聴こえてくる。
「うわー、めちゃめちゃ懐かしいっすねこのライブ!――確か私が2回目の1年生の時の定期演奏会っすね?」
「ご名答、みおりんはよく覚えてるわね。この時の脩くんったらワックスでガチガチに髪の毛固めてて面白かったわ。しかも1曲目の1番最初のコード間違えちゃって――」
「頼むから後部座席で昔の恥ずかしい話をしないでくれ……」
過去一番大失敗したライブの映像を流されてしまっていて耳を塞ぎたくてしょうがなかったのだけれども、あいにく両手はハンドルに添えられていて恥ずかしいサウンドが鼓膜を直撃してくる。耳栓があるならば今すぐ僕の耳に挿し込んでほしい。
渋滞を抜けてビーチの駐車場にたどり着くと、大半の荷物を僕が抱えているうちに女性陣は皆砂浜へ行ってしまった。相変わらず僕に対する思いやりが少し足りないと思うのだけれども、民主主義下では少数派の意見が取り入れられにくいので仕方がない。僕サイドの人間が一人増えてくれたらもう少し楽になるのかななどと考えたりすることもあるが、多分そんなことはこれからも無いだろう。
僕は一人ビーチにパラソルを立てて陣取り、クーラーボックスから炭酸水を取り出して水平線を眺めながら喉の渇きを潤した。海に遊びにいくなんて人生の中で数回しかない僕は、この大海原と白い砂山を相手に何をすればいいのか全く分からないままただただ炭酸水を飲むだけの男になっている。
しばらくして更衣室にて水着に着替えた女性陣がやってくると、桃子と美織はすぐに水際へと駆け出して行った。先週ショッピングモールに行って水着を吟味してきたようで、桃子は花柄のビキニにデニムのショートパンツを合わせた可愛らしいコーディネート、美織はパレオのついたモノトーンの水着を身に纏っている。あまりこういうのに詳しくはないけれども、2人ともよく似合っているんじゃないかなと思う。
一応、誉め言葉のひとつでもかけてあげねば失礼かと思って、事前に考えた文章を一字一句暗記しておいた。しかしながらそんなのはお構いなしに彼女らは行ってしまったので、徒労に終わったのは言うまでもない。
一方で柚香さんは海辺には行かずにパラソルの陰に潜り込んで、僕の隣で早速缶ビールをあけ始めた。相変わらず彼女は身体のラインを見せるのが好きみたいで、レオタードの水着を召している。
「……私には何か誉め言葉用意して無いの?もしかして見飽きちゃった?」
「いやいや、見飽きてなんてないですよ。下手な言葉で褒めるのは失礼かなって」
「そんなことないのよ?言わないより下手な言葉でも貰ったほうが嬉しいんだから。ちゃんと女の子は褒めてあげないとだめよ?」
「すいません。――似合ってますよ、柚香さん」
「うふふ、ならばよろしい」
美味そうに缶ビールを流し込む柚香さんが羨ましい。誰か帰りの運転を変わってくれるのならば、今すぐにでも飲みたいくらいだ。柚香さんは悪戯っぽく『飲む?』なんて訊いてくるけど、返答をするのがもはや野暮だ。
僕はビールの誘惑から逃れるため、目線を遠くにいる桃子と美織に移して2人がはしゃぐ姿をぼーっと見ることにした。何故かよくわからないがスイカ割りの棒を美織が持っていて、そこに向かって桃子が小玉スイカを投げつけているという野球みたいなことをしている。……随分とアスリート感溢れるスイカ割りだな。
「桃ちゃんとはどう?上手くいってる?」
不意に柚香さんから放たれた一言に、僕は一瞬先日の自室でのことを思い出してドキッとした。でも結局やましい事は何もしていないのだから、そんなにビビる必要性もないなとビビった後で思った。ヘタレと言われてしまえばそれまでだけれども、桃子とのことは僕なりにしっかり線引きをしているつもりだ。
「それはどういう意味ですか?――寮生と管理人って言うならそこそこ上手くやれてるとは思いますよ」
「じゃあ、男と女としてだったら?――なんだかんだ桃ちゃんにはもう手を出しちゃったんでしょう?」
「出してませんよ! 僕が高校生に手を出せるわけないでしょう!」
「えー、つまんないの。せっかく桃ちゃんに色々教えてあげたのに……」
何を教えてあげたのかは知りたくもない。柚香さんはまるでいつも僕がやるようにため息をついてから、カバンの中に入っている日焼け止めクリームの容器を取り出して僕に渡してきた。
「……これは?」
「見ての通り日焼け止めクリームよ。……私に塗ってくれないの?」
「いやいや!それは着替えるときに塗ってきてくださいよ!」
「しょうがないじゃない。桃ちゃんもみおりんも私を待たずに行っちゃったんだもの。――だから脩くんが塗って。もちろん背中よ?」
もちろん背中にしか塗る気はない。無いのだけれども、何か心の中に変な躊躇いがある。僕は邪念を払ってからクリームを適量取り出して柚香さんの背中に塗り始めた。久しぶりに触れる彼女の肌は相変わらずきれいで、お酒が入っているせいなのか少し温かくかんじる。
まずい……、背中に塗っているだけなのに昔の記憶が掘り起こされてしまいそうだ。何度も抱いたことのある身体だけあって、そう簡単に忘れられないくらい鮮明な光景が脳内に湧き上がる。
あと少しでオスとしてのスイッチが入ってしまいそうになったところに、スナップが利いてスピンのかかった小玉スイカが僕の顔面を直撃した。投げたのはもちろん桃子。まるでフリーバッティングの要領で桃子は小玉スイカを美織に放ろうとしていたところだ。
「いってえ!人の顔にぶつけるタイプのスイカ割りなんて聞いたことないぞ!」
「違うわよ、これは一塁に牽制球を入れただけよ。ランナーがいたら盗塁に警戒するのは当然でしょう?」
「僕は福本豊かっ!」
「そんなわけないじゃない。あんたごときに私のモーションが盗めると思ったら大間違いよ。――どう?悔しいなら私の球打ってみる?」
「やってやろうじゃねえかよ!」
躍起になった僕はフリーバッティングスイカ割りで見事に桃子の球を打ち返した。そこまではよかったのだが、用意したスイカが全部粉砕されてしまったのでまたひとつ桃子に小言を言われてしまった。理不尽だ。




