第24話 virgin
こんなにボリューム感のある1日は恐らく人生で初めてだっただろう。久方ぶりに古巣のバンドと相見えたと思えば、渾身のアクトで会場を席巻したり、終わったかと思えば脱水症状で倒れたり、ふとしたスキに桃子が連れ去られて危うく傷物にされそうだったり、用意した物販のCDがあっという間に完売してしまったり。
バンドをクビになった直後なら、こんな日がくるなんてことは考えられなかっただろう。それもこれもみんなのおかげだ。決して僕だけの力ではない。
お馴染みのオンボロ軽バンで学生寮に帰って来ると、惰性で風呂を浴びてそのまま布団に飛び込んだ。しかしながら、身体はめちゃくちゃに疲れているはずなのに全く眠れる気がしない。まだあのライブの時の熱が身体に残っていて火照っているせいだろう。こんな時は寝酒を入れるに限る。
自室の冷蔵庫に入っているキンキンに冷えたレモンサワーの缶を取り出すと、カシュッという小気味よい音を立てて封を開けた。本当は脱水症状の後にお酒を飲むなんて最悪にも程があるのだけれども、今日くらいは許してほしい。
レモンサワーを缶の半分くらい飲んだところで、静かな自室にノックの音が転がった。こんな時間に誰なのだろうとすっとぼけてはいるけれども、実はそのノックの主が誰であるかは見当がついている。
「なんだ、お前も眠れないのか」
「違うわよ、あんたの部屋だけ電気が点いてたから寝落ちてるのかと思ったのよ」
桃子は目を逸した。こういう時の彼女は本当にわかりやすい。図星の時だけ目を逸らす癖を見抜いていることは、もうしばらく彼女に黙っておこう。
「いい? 中に入っても」
「どうぞ」
「本当にいいの?今まで部屋に入れてくれたことなんてないじゃない」
「………確かにそうだな。やっぱ無しで」
「もう遅いわよ。3歩ほど踏み入れちゃったわ。――私もなんか飲んでいい?」
「酒以外なら」
桃子は冷蔵庫を開けてジンジャーエールのペットボトルを取り出すと、勢いよくキャップを捻ってそのままラッパ飲みした。よっぽど喉が渇いていたのか知らないけれども、なかなか良い飲みっぷりだ。ソファー代わりに座っているベッドに2人で腰掛けると、お互い向き合うとこはなく明後日の方向を向いていた。
「……さっきはありがとう。脩也が来なかったらって思うとゾッとするわ」
「どういたしまして。――女子高生が夜中1人で街をふらつくなとか色々言いたいことはあるけど、とにかく無事で良かったよ」
「……本当に、怖かった」
桃子は思い出したかのように半べそをかいているので、よしよしと頭を撫でた。本当に桃子が無事で良かった。あと少しでも桃子が傷つけられていたら、催涙スプレーどころじゃ済まなかったかもしれない。
他にも色々話したいことがあったはずなのだけれども、今ここに桃子がいてくれるならそれでいいやと思うことにした。多分、言葉に起こしたら文句よりは感謝の方が多く出てくるだろうけど、桃子はそれを言われるのを望んでいるかと言えば否だろう。気は強いけど実はかなりの恥ずかしがり屋な桃子のことだ、感謝の言葉は一括払いより分割払いにしたほうが本人も心地よいに違いない。
「脩也、1つお願いがあるの」
「なんだよ、車を買い替えるのはまだちょっと待ってくれよ」
「……そうじゃない。貰って欲しいの」
桃子は座る向きを変えて僕の方を向いた。その顔はちょっと緊張感があって桃子にしては随分としおらしく見える。
「何を?」
「私の処女」
「えーっと、………それはまた、なんで?」
「ほら……、その……、あんな感じの奴らに奪われるくらいならさっさとあんたにあげちゃった方が良いかなって思ったのよ。――別に誰かに密告したりなんてしないから、大人しく貰ってよ」
なんだかデジャヴだ。柚香さんに付き合って欲しいと言われたときと同じような感じがする。あのときは確か、柚香さんが好きでもない男に迫られているから代わりに付き合って欲しいと言われた。今思うと柚香さんなりの照れ隠しなのかもしれない。でもまさか姉妹揃って似たような場面に出くわすとは、種違いとはいえそれなりに血は争えないみたいだ。
「ねえ……、お願い。私にもしてよ、お姉ちゃんにしたみたいにさ……」
いつかの宿題を教えてあげた時みたいに、僕より頭ひとつ分身長の低い彼女は、ここぞとばかり上目遣いで僕に詰め寄ってきた。
可愛い、いい匂いがする。僕を男に創り上げた神様が悪いことにして、あとは勢いでどうにかなるだろうと未来の自分に投げてしまっても良い気がする。でも、そこまでの行動が出来なかったのが彼女にヘタレだと言われる所以なのかもしれない。
桃子に聞かれないように生唾を飲みこんだ僕は、ベッドから立ち上がって窓を開けた。ちょうどそこからは満月と半月の中間くらいの中途半端な月が、これまた中途半端な高さにぼんやりと光っているのが見える。
「ばーか、そういうのは本当に好きになったヤツのためにとっておけよ」
「………また、誰かに奪われそうになったら?」
「その時は助けに行ってやる」
そう言ってはぐらかすのが精いっぱいだった。仕方がない、僕は学生寮の管理人なのだから、桃子を守る方に動くのが正しいんだ。
しばらくの沈黙が訪れる。やっとのことで後ろを振り返る頃には、桃子はもう部屋から出ていってしまっていた。彼女がどんな顔をしていたかは、今はちょっと知りたくは無い。




