第23話 spray
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ライブハウスからそう遠くないとある雑居ビルにあるスナックのような飲み屋の中に桃子はいた。ただ、残念なことに脩也の嫌な予感は的中していて、拓を慕う数人の後輩らしき男たちに桃子は半ば強引にここへ連れてこられた後だった。
「早く帰してくれない?そろそろ戻って物販の準備とかしたいんだけど」
「帰すわけねえだろ。せっかく拓さんが地元に凱旋するっていう晴れ舞台を台無しにしてくれやがって……。伊勢脩也にはちょっとお灸をすえてやらないといけねえ」
「だったら脩也を連れて来ればいいじゃない。私を連れ込むとか意味わかんない」
「丁度いいところにドラマー女がいたから拾っただけだ。運が悪かったな」
主犯格の男はタバコに火をつけるとカウンターの椅子に座り、灰皿にトントンと灰を落とした。桃子を連れ去った目的は、敬愛する拓の晴れ舞台を台無しにした脩也への復讐である。
「何よ晴れ舞台って。引退の花道を飾るの間違いじゃないの?」
「ふざけたことを抜かすな。拓さんたちはこれからもっとでけえバンドになるんだよ。お前らなんか霞むくらいのな」
「今の私達にオープニングアクトで食われるようなバンドなのに?笑えるわね」
「ああ言えばこう言ううるさい女だ。――おい、コイツの口塞いどけ」
力ずくで取り押さえられた桃子は口元にガムテープを貼られ、更には手足の自由まで奪われてボックスソファに転がされた。男数人に囲まれた桃子はその力の強さに今までにないくらい強い恐怖を感じ、泣きそうになる気持ちを目を赤くしながらなんとか抑えている。
「さーてお嬢さん、伊勢脩也を呼ぶにはまだちょっと早いから俺らと遊ぼうか。――気持ちよくされるのが好きかい? それとも気持ちよくする方?」
「んんんっ……!――っ!!!」
「えっ?俺らにお任せするって?仕方ないなあ、じゃあ俺からちょっとお相手してもらおうかな」
主犯格の男が桃子の着ている彼女のお気に入りバンドTシャツとドラムを叩くときに愛用しているショートパンツを引き剥がすかのように脱がす。抗えない力で自分の身体を弄られている桃子は、いよいよ恐怖に耐えられなくなってついに泣き出してしまった。
「おいおい泣くことないだろう。――まあいいや、それもまた一興だ」
主犯格のだけでなく連れの男たちも、己の欲望をぶつけようと桃子を取り囲む。もう自分はこのままズタズタに傷つけられてしまうのだろうと諦めてしまった桃子は、抵抗する気力が無くなってしまっていた。
その時だった。スナックの入口扉を蹴飛ばすような大きな音が店の中に響いた。そして一人の男が店内へと入ってきた。
「桃子!大丈夫かっ!?」
「伊勢脩也っ!?何故お前がここに!?」
「そりゃあ僕は寮の管理人だからね。桃子の場所くらい簡単にわかるさ」
あられもない姿の桃子を見るなり、脩也は表情を変えた。その顔は般若のごとく怒りに溢れた顔で、脩也自身こんな顔をした経験がないくらい腸が煮えくり返っていた
「………お前ら、絶対に許さない」
「クソっ、ちょっと予定が狂ったが仕方がない。こいつもこの女同様に始末しちまおう」
男たちは脩也を返り討ちにしようと襲いかかってきた。しかしそれよりワンテンポ早く、脩也は用意してきたスプレー缶を手にとって彼らの顔という顔に振りかけた。
「いってえええええ!!何だこれ!?」
「目がやられたあああ!!!」
脩也が用意していたのは催涙スプレーの類。その昔働いていた警備会社にいた時に、撃退グッズの見本としてメーカーから貰ったものだ。効果は強力で、男たちの目と鼻に耐え難い刺激を与えている。もちろん脩也は催涙スプレーを自分自身で浴びないように、ちゃっかり保護ゴーグルを用意していた。
大の男が殺虫剤をかけた虫のように床でジタバタしているのをよそに脩也は桃子へ近づいた。弄られてぐちゃぐちゃになった桃子の衣服を直し、手足と口の自由を奪っていたガムテープを剥がすと脩也は桃子に背中を向けた。
「負ぶされよ、腰が抜けて立てそうもないんだろ?」
いつもなら捨て台詞のひとつやふたつ吐きそうなところだが、おとなしく桃子は泣きべそをかきながら脩也の背中に身体を預けた。
脩也が丁度立ち上がったところで警察がやってきた。桃子の居場所がわかったときに、脩也が美織に頼んで110番通報してもらったのだ。
男たちは桃子の誘拐と婦女暴行未遂で御用となった。一方で桃子は軽く事情聴取を受け、後日また警察署にて詳しい話をするということになった。
「なんで私の居場所がわかったのよ」
「そりゃあ僕は寮の管理人だから」
「……ごまかさないで」
「ごめんごめん。柚香さんに入れてもらった見守りアプリだよ。最後に桃子の携帯の電源が切れた場所までわかったからなんとかたどり着けた」
桃子は柚香が冗談半分でインストールしたアプリが役に立ってしまって豆鉄砲を食らったかのような驚きぶりを見せた。どこかズレた印象のある姉の柚香ではあるが、今日ばかりは感謝の思いが爆発しそうだ。
「そういやお腹減ってないか?結局晩飯食べ損ねたんだろ?」
「………うん。ラーメン食べたい」
やっとのことで外に出た二人は、すぐさま豚骨スープの香る赤いのれんをくぐり、温かい一杯にありついた。そして、物販のデモCDが売れまくってててんやわんやしていると美織から電話が来たのは桃子が3つ目の替え玉を注文した時だった。




