第2話 family
失意の中、僕はこれからの身の振り方を考えていた。ただ、やっぱり人生というのはタイミングが重要なのだなと言うことを思い知らされた。
一つはバンドのほう。僕がクビになってしばらくすると、なんとメジャーデビューが決定して全国ツアーまで行われるという発表がなされたのだ。あくまで推測ではあるけれど、これを見越して僕をクビにした可能性も大いに考えられる。当たり前だ、会社員の僕がいたら日程の都合がつかなくてとてもじゃないけれど全国ツアーなんて出来やしない。おまけに、メンバーがひとり減ればチケットやグッズの売上げの取り分が増える。
ギタリストとしての伊勢脩也は、クビになるべくしてクビになったのだ。
もう一つは会社のほう。契約終了で無職になる寸前、会社のプレスリリースにて業績の大幅上方修正が公示された。上司に契約更新をかけ合ってみたけれど、今更変更など出来ないと一蹴された。真面目に働いた3年間は、ほぼなんの意味も持たなかったのだ。
食い扶持も生き甲斐も失ってしまった僕は、せめて親孝行でもしようと思い東京を離れて実家に戻ることにした。実家のほうなら自動車関連のメーカーがたくさんあるし、それなりに仕事もあるだろう。
帰ってきた僕を両親は優しく迎えてくれた。両親と同居する姉夫婦と姪っ子も、僕をのけ者にすることなく接してくれた。家族がいてくれて本当に良かった。
良かったのはいいのだけれども、両親と姉夫婦の中で暮らすのはやっぱり居心地が良いとは言えない。なるべく早く仕事を見つけて、実家の近くで一人暮らしをするのがお互いのための最善だと思う。
きっかけは1本の間違い電話だった。仕事を探しにハローワークへ行った帰り道、スマホを見たら不在着信が入っていた。電話の主は大学時代の同級生、松阪京介だ。彼はうちの地元では有名な『松栄学園』という学校法人の跡取り息子で、いわゆるボンボンというやつだ。そのせいで大学時代は周りから浮いていたのだけれども、偶然僕が授業で彼の隣の席に座ってから、まるで雨の日に拾われた捨て犬のように懐かれてしまった。とは言っても、彼は全然悪い奴ではない。むしろ自分が跡取りであることに少し負い目を感じているようで、そのプレッシャーを跳ね返すために努力している真面目な奴だ。
僕はすぐさまリダイヤルすると、2〜3コールのうちに彼は電話に出た。
『やあ久しぶり。ごめんごめん、ちょっと携帯電話の操作を間違えて君にかけてしまったよ。忙しいところすまないね』
なんだそういうことかと僕は肩をすくめると、間違い電話ではあるけれど久しぶりの会話ということで話は盛り上がった。もちろんお互いの近況も話した。僕が今、失意の最中であることも。
『そうか、じゃあ君は今こっちに戻ってきているんだね。いろいろ苦労されただろうに』
「んで、今は仕事を探してハローワーク通いってわけさ。早く自立したいもんだよ」
そう僕が漏らすと、彼は電話越しでもわかる声で『そうだ』と独り言を呟いた。
『今、うちの学校で求人を出しているんだけれど、ちょっと特殊な仕事のせいで誰も応募してこなくてね。君に合うかわからないけれど、よかったらその仕事をやってみないかい? ――もちろん形式的に面接はするけど、僕のコネ採用みたいなものだから心配は要らないよ』
渡りに舟というのはまさにこのことである。彼の言う『特殊な仕事』というのが少し気になるけれど、ほぼ採用確定というのは大きなアドバンテージだ。話だけでも聞いてみる価値はある。
「頼むよ京介、是非ともその仕事、紹介して欲しい」
『本当かい?やってくれるならこちらとしてもものすごく助かる』
話はトントン拍子で進む。とりあえず明日、松栄学園に来てほしいと京介に言われた僕は、なにか負の重圧から解放されたようなそんな気分だった。
翌日、ビシッとスーツをキメて松栄学園に向かうと、『副理事長室』と銘打たれた立派な部屋へ案内された。どうやら、今の京介はこの学園の副理事長らしい。
「やあいらっしゃい、待ってたよ脩也」
京介は僕と同い年。大学卒業以来3年ぶりに会うわけだけれども、やや低い身長と、10代の学生と言われても分からないくらいの童顔は変わっていなかった。ただ、若干大人っぽくはなったかもしれない。
「そんなに緊張しないでくれよ。僕と君の仲だろう?」
「まあ、そうなんだけどさ……。やっぱりこういうかしこまった部屋は苦手というか………」
「ははは、君らしいと言えば君らしい。大丈夫、君にお願いしたい仕事はそんなにフォーマルなものではない」
電話口に『特殊な仕事』ということ以外、仕事内容を全く聞かされていなかった僕は、早速前のめりになって京介に質問をした。僕は教員免許も持っていないし、胸を張れるような立派な資格も持っていない。……自動車免許はあるけれど。
「ここで言うより見てもらったほうが早い」
そう言って京介は僕を連れて副理事長室を飛び出し、構内の外れにある集合住宅のような建物へ案内した。
「ここ、うちの学生寮なんだけれど、君にここの管理人をやってほしい。住み込みで」
「へ?」
僕は変な声を出すと同時に少し肩透かしを食らったかのように軽くズッコケた。もっと『キツイ・汚い・危険』の3Kが揃った仕事だと勝手に予想していたので、まさかこんなのほほんとした仕事だとは夢にも思っていなかった。
「寮の管理人の仕事なんて、すぐに応募が集まりそうな気もするんだけど……?」
「どうもそれがそうでもないみたいなんだ。今どき住み込みの仕事なんて時代錯誤のようでね、待遇を良くしてもなかなか応募が来なかったんだ」
確かに今どき住み込みの求人なんて滅多にないし、僕の周りでそういう仕事をしている人間を見たことがない。そういう時代の流れなのだろう。でも僕にとっては逆に好条件だ。両親と姉夫婦の住む実家からつかず離れずの絶妙な距離で一人暮らしができる。
「僕は君の面倒見の良さを買っているんだ。頼むよ脩也、この仕事を受けてほしい」
たとえ嘘であったとしてもこういうふうに言われるのは嬉しいものである。僕は二つ返事で了承すると、あっという間に採用が決まって松栄学園の学生寮管理人になった。
新しい住まいとなったのは学生寮の空き部屋で、家賃と通勤時間はほぼゼロに近い。待遇も東京で働いていた頃に比べて格段に給料は良い。こんなに良い事づくしということもそうそうないだろう。
そして学生寮の管理人としての勤務初日、寮に住んでいる学生の前で挨拶をすることになった。住んでいる学生は高校生と大学生合わせて20人程度。この学園は地元から通う子が多いおかげで、寮のキャパシティの割には住んでいる学生は多くない。
僕は皆が集まっている寮の食堂で軽く自己紹介をした。まだ20代で若いせいもあって、学生たちはまるで友達のように接してくれて安心した。これならば多分やっていける。
自己紹介が終わって解散というその時、とある一人の女子生徒が突然立ち上がって僕に言った。
「どうして、あなたがここに……?」
それが、天才ドラマー少女との出会いだった。