第16話 micro
レコーディングから数週間して、ミックス作業が終わったという連絡が柚香さんからやってきた。音源データなのだからウェブ上のサーバーなんかにアップロードすればそれでいいのだけれども、柚香さんは出来栄えチェックも兼ねて直接データを持っていくと言って聞かなかった。
美織といい柚香さんといい、なんでこううちの学生寮に足を運びたがるのだろうか。一応、柚香さんには妹の様子を見に来るという大義名分があるわけだけれども、駅から近いわけでもないし、入門手続きだって結構面倒くさいからそんなに頻繁に来たくなるような所ではないはず。利点といえば自販機の飲み物が爆裂に安いくらいしか思いつかない。
「美織だけじゃなくお姉ちゃんまで訪ねてくるとか脩也モテモテね」
いつもの通り寮の食堂で来客の準備をしていると、これまたいつも通り桃子が茶々を入れにやってきた。午前中は補習授業があったようで、桃子は2年生の学年カラーである青いリボンのついた夏物の制服を身に着けている。この松栄学園は制服が可愛いことで有名で、それ目的で入学してくる生徒もそこそこいる。桃子がその類なのかは知ったところではないが、美少女に可愛い制服というのは実に破壊力が高い。
「バカ言うな。女性ばかり僕のところを訪ねてくるせいでそれはそれは気を遣うから大変なんだよ」
「あのお姉ちゃん相手なら尚更神経使いそうね。――この間もお姉ちゃんに言い寄られてたのギリギリで断ってたものね」
僕は心臓を掴まれたようでドキッとした。あの時は確か桃子も美織も寝てしまっていて、言うならば柚子さんとサシの状態だったはずだ。
「……お前もしかして、あの時起きてたのか?」
「そりゃもうバッチリ起きてたわよ。お邪魔しちゃ悪いかなと思って私なりに気を遣ったつもりよ?感謝しなさいよね」
最悪だ。よりにもよって桃子にその一部始終を聞かれてしまっていたようだ。あんなところを聞かれていたとか格好悪すぎる。
「でもまあ、なかなかのヘタレっぷりで面白かったわよ。『自分のことで精一杯なんですぅ、誰とも付き合う余裕無いんですぅ』って。なかなかからかい甲斐があるじゃない」
「悪意のあるモノマネはやめろ!」
「実際そんな感じだったから仕方ないじゃない。忠実な再現よ」
最近思うのだけれども桃子のやつ、ドラムを叩くときより僕をからかっているときのほうがイキイキしている気がする。普通の女子高生なら友達と遊んだり彼氏とデートして充実の時間を過ごしているのが世の常だろうに、26歳の成人男性をからかって楽しんでいるとはなんと桃子は虚しいのだろうか。だがしかし、女子高生にからかわれる26歳成人男性が言えたことではないのも確か。
「もう、お姉ちゃんに私のことよろしくって頼まれたんでしょう? だからもう少しそのヘタレっぷりをなんとかしなさいよね。あんまり酷いと私が恥ずかしくなるじゃない」
「はいはいわかったわかった……、寮の管理人として精進しますって」
桃子は呆れた顔で『はぁ……』とため息をついた。いやいや、ため息つきたいのは僕のほうなんだけれども。
そうこうしていると柚香さんと美織がやってきた。本格的な夏はもう少し先だけれども、既に今年の猛暑を予見するような暑さが続いているせいもあって、2人は思ったより薄着だ。
それにしても美織はともかく、柚香さんはちょっと肌の露出多くないですか?一応ここ、学生寮なんだけど。
「お待たせしちゃってごめんなさいね。やっと完成したからみんなにちょっと出来栄えをチェックしてほしいの」
「ありがとうございます。柚香さんだって忙しいのにここまでやってもらっちゃって」
柚香さんはりんご印でお馴染みのノートPCを取り出し、オーディオインターフェースとちょっと高そうなヘッドフォンを接続して僕に渡してきた。価格はうろ覚えだけれども、このヘッドフォンだけで福沢諭吉さんが5人は軽く飛んでいく代物だ。道具に投資を惜しまない柚香さんらしいチョイスだと思う。
「桃子、先に聴くか?」
「私は後でいい。お姉ちゃん、私にも用がありそうだし、脩也が聴いてる間に済ませるわ」
確かに柚香さんの荷物にはノートPCだけでなく、ターコイズブルーのキャリーケースがあった。おそらく中身は妹の桃子への生活必需品とか仕送りの類なのだろう。身内同士で話したいこともあるだろうから、僕は姉妹をよそにおとなしく出来上がった音源を聴くことにした。
音源の感想を一言で言うと、おおよそ自分の曲とは思えない出来だった。もちろん、良い意味で。音源を何度も繰り返し聴いたけれども、どこかのバンドがまたカッコいい新譜を出したんだなあという他人事みたいな気持ちがしていた。
本当にこの曲を僕が作ったのだろうか、自分自身のことなのにもう一つ僕には人格があるのではないかという、そんな不思議な感覚だ。
「先輩まだっすか? 早く私も聴きたいっす」
「ああ、ごめんごめん……。ほれ、存分に聴きなよ」
ヘッドフォンを美織に渡すと、僕は何か手持ち無沙汰になってしまったので、激安の自販機から新商品のエナジードリンクみたいな炭酸飲料を買って寮の外で日向ぼっこのようにぼーっとしていた。
暑さも相まっていたずらに時間を潰してしまい、飲み物の炭酸がいい感じに抜けてきた。すると、窓が開いているのか桃子の部屋の方から姉妹のやり取りが聞こえてくるではないか。聞き耳を立てる趣味は無いけれども、何やら会話がヒートアップしているみたいで聞き入ってしまった。
「……だからお姉ちゃんとは趣味が合わないのよ!こんなに派手なもの着るわけないでしょ!」
「あら、結構似合うと思って買ってきたんだけどお気に召さなかった?」
「似合うも何もこんなのほとんど紐じゃない!隠すべきところが隠れないとか全く意味ないわよ!」
「桃ちゃんはわかってないわねえ……、それがいいんじゃないの。特に桃ちゃんみたいな体型は映えるわよ?」
なんだなんだ? なんの話をしているんだこの姉妹は? 多分服か何かだとは思うのだけれども、少し様子がおかしい。あの桃子が大声出して騒ぐくらいだから、よほど変な物なのかもしれない。
「……第一、こんなものがあっても使い時がないわよ」
「あるかもしれないじゃない。脩くんを誘惑する時とか絶対使えるわよ?マイクロビキニ」
僕はちょうど口の中に飲み物を含んでいたおかげで、ほぼ炭酸の抜けたエナジードリンクを口と鼻から吹き出した。人工的なフレーバーが鼻から抜けてなんとも不思議な感覚だ。
マイクロビキニだと?一体女子高生の妹に何差し入れしてるんだ柚香さんは?しかも、まるで僕がマイクロビキニ好きみたいな感じではないか。……いや、別に嫌いではないけど。
あまりに大きな音を立ててしまったおかげで、窓から姉妹が顔を出してきた。
「あらあら、噂をすれば影ってやつね」
「…………脩也、今の会話は忘れなさい」
ニヤニヤする柚香さんと鬼の形相の桃子のコントラストが素晴らしい画である。僕は何事もなかったように後ずさりしてその場を去ろうとした。
「待って脩くん、あなたにもちょっと渡したいものがあるの」
「………なんですか? いかがわしい物は勘弁してくださいよ?」
「そんなんじゃないわよ。ほら、スマホ出して」
僕は言われるがままにスマホを出して、柚香さんが用意していたQRコードを読み取った。すると、とあるアプリのダウンロードサイトに繋がった。
「………見守りアプリ? これって、子供とかに持たせたスマホの居場所がわかるやつですよね?」
「そう。一応脩くんは寮の管理人っていう保護者だから。桃ちゃんの状況確認に役に立つかなーって。もちろん私のスマホにも入ってるわよ」
桃子は先程の鬼の形相とはまた別の拗ねた顔をして、子供扱いするなと言いたげである。でもまあ、親も姉も遠くにいるわけだからこれくらいはしてあげてもいいかなと思う。
「じゃあよろしく頼むわよ、管理人さん」
そう言って柚香さんはウインクをするのだけれども、相変わらず片目だけを閉じるのが下手すぎて僕は少し笑ってしまった。
ちなみに、完成した音源はデモCDにするのとサブスクリプションで配信するらしい。僕はあまり詳しくないのでそのへんは美織に任せようと思う。




