第14話 similar
僕が柚香さんと出会ったのは大学1年生の秋。まだ拓たちと『Andy And Anachronism』を結成する前で、軽音楽部には入らず高校時代から続けていた同級生とのバンドに情熱を注いでいた。一方で柚香さんは行きつけのライブハウスでPA卓をいじる音響担当のアルバイトをしていて、僕とはライブの打ち上げなんかでよく話すような関係だった。
ある打ち上げのとき、僕のバンドのメンバーが急にバンドを辞めると言い出して喧嘩になった。辞める理由も、どうして喧嘩になったかもよく覚えていないけれど、覚えていないくらいなので些細なことで喧嘩をしたのだろうと思う。口先も腕っぷしもそれほど強くない僕は、散々もみくちゃになった挙げ句ボロボロになって泣きべそまでかいていた。
当時の僕はバンドが生きる全てだと思い込んでいただけに、そのバンドが一つの喧嘩で空中分解してしまったことで完全に心神喪失状態だった。今思えばとてもバカバカしく感じるけれど、逆にそれほどまでにバンドにご執心だった当時のその熱量はちょっと羨ましく思う。
そんな心神喪失バンドバカがボロボロになっていたところをを助けてくれたのが柚香さんだ。鬱っぽい思考が止まらなかった僕に手を差し伸べてくれたかと思えば、軽音楽部に入部するよう誘ってくれたり、いつの間にか彼氏彼女の関係になっていたりと、一体何故僕にそこまでしてくれるのかわからないくらい助けられた。
でも、『Andy And Anachronism』を結成してバンドが上手く行くようになると、優しい柚香さんに甘えてばかりだった状況が自分自身で許せなくなってきていた。そしてある日、僕は柚香さんにその思いとさよならを告げると、その日から卒業するまで柚香さんは僕と一切の言葉を交わさなかった。バカな僕は、ここにきてやっと取り返しのつかないことをしてしまったと後悔した。
僕が恩を仇で返すような真似をしたことを柚香さんは根に持っているんじゃないかと、今日久しぶりに会うまでずっと気にしていた。いや、正直なところまだ気にしている。さっき、柚香さんの眼差しで動揺して演奏ミスをしてしまったのがいい証拠だ。出会ったら真っ先に謝ろうと思っていたけれど、色々あってタイミングを逃してしまったのも尾を引いている。僕は本当にどうしようもない男だ。
「へえ、それで胃が痛そうにしてたわけね。どんだけメンタル弱いのよあんた」
柚香さんとは打って変わって辛辣さの塊とも言える桃子は、自分からこの話題を振ってきたくせにもう既に興味がなさそうだった。ついでに言えば、髪をいじって枝毛か何かを探している。桃子みたいな性格に生まれてきたらどれほど気が楽だっただろうか。ちょっと羨ましい。
「でも私が思うに、お姉ちゃんは別に怒ってないと思うわよ」
「それはなんで?……もしかして姉妹のテレパシー的な?」
「そんなんじゃないわよ。ただ、あんたたちが似たもの同士だと思っただけよ」
「似たもの同士?僕と柚香さんが?」
「そう、似た者同士」
僕はそう言われて、自分はそんなに柚香さんと似ているのかと疑問に思った。それもそうだ、自覚がないのだから。案外自分の内面というのは、自分自身が一番よくわからないのかもしれない。着眼点の鋭い桃子のことだから、彼女の言う通り僕と柚香さんは似た者同士なのだろう。
「二人とも変に自分に厳しいのよ。本当は甘えたいのに、他人に甘えることを良しとしない。それどころか誰の役にも立たない自分には価値がないなんて思いがち。そんなこと考える必要なんて私は無いと思うんだけどね」
「それは……」
桃子の今日一番キレのあるストレートがインコースぎりぎりいっぱいに突き刺さってきた。まるで思考を見透かしているかのような桃子の眼差しは、おおよそ17歳の女子高生がたどり着けるようなものではない。この子は本当に不思議だ。
「だからお姉ちゃんとは何もなかったように普通に接するのが一番いいのよ。その方がお互いのためでしょ」
「……まあ、確かに理由はどうあれ、柚香さんにビビりながら接する必要はないな。善処する」
「『善処する』と『行けたら行く』と『あと5分だけ寝る』は信用ならないわ。ちゃんとしてちょうだい。あんたたちを見てるとイライラするのよ」
「……すまん」
女子高生に説教される26歳、とても滑稽な光景である。これは駄洒落ではない。今日ずっと桃子の機嫌が良くないのはそういうことであった。結局、原因は僕自身である。もっとしっかりせねば。
「まあ、レコーディングもまだ終わってないんだし、次からはちゃんとしてよね。あんたがちゃんとしてないと私も叩いてて楽しくないのよ。大体、私はあんたらの昔話なんて興味ないしそのせいでミスばっかりされるとかたまったもんじゃないわよ」
説教し終わったくせにまだ桃子は不機嫌だ。いつも言いたいことを言い終えたらすっきりしてケロッと切り替えるくせに、今日はやけに引きずっている気がする。まるで、自分が輪の中に入れないでいる転校生みたいだ。
「もしかして桃子、妬いてるのか?」
「……次また同じこと言ったら張り倒すわよ」
桃子は急に僕から目を逸らした。図星だ。前にもこんなことがあった気がする。妬いているというか、僕と美織が柚香さんと昔のことを語り合っているせいで、いつものような振る舞いができないのがもどかしいのかもしれない。要するに、蚊帳の外。『お子様扱い』のようなことをされて、疎外感のようなものを感じているのだろう。
「なあ桃子、僕さ、長いことギター弾いている割に、下手なんだよな」
「何よいきなり、そんなこと知ってるわよ。だからバンドをクビになったんじゃない」
「それでいろいろな曲をコピーしようと思っても、下手すぎて弾けなくてさ。それこそギター弾くの嫌になったりして」
桃子は興味なさそうブラックコーヒーを啜りながらも、ちゃんと僕の話を聞いている。
「それで僕はどうしたと思う?」
「知らないわよ。別に興味もない」
「自分の弾ける曲が無いなら、自分で作ればいいと思ったんだ。そうしたらギターが楽しく弾けるかなって」
「そこまでしてギターが弾きたいとか、よっぽどギターバカなのね」
「ははは、違いない。でもそのおかげでこのバンドにも出会えた。今はまだ、このバンドで共有できるような思い出なんて全然ないけどさ、曲と同じく、無いならこれから作っていけばいいんじゃないかって思ってるよ」
「なにそれ、かっこいいこと言ったつもり?」
桃子は呆れた顔をしながら無理やりブラックコーヒーを飲み切って、空き缶をゴミ箱に勢いよく放り投げるやいなや、僕に背を向けてレコーディングスタジオに早足で戻っていった。でも怒っているような感じは全くなくて、その早足な歩み方は軽快で、なんとなくだけれどもさっきまでの不機嫌さはどこかへ飛んで行ってしまったような気がした。




