第13話 coffee
「「お姉ちゃん!?」」
僕と美織はこれまでにないくらいのシンクロ率で声を上げた。僕らの先輩である柚香さんが桃子のお姉さんだって?そんなことがあるのか?年齢だって10歳も離れているじゃないか。
「あらぁ、このバンドには桃ちゃんもいたのね。それならそうと教えてくれたらいいのにー」
「柚香先輩が桃ちゃんのお姉さんとは流石に思わなかったっすから……」
「確かにそれもそうね。お姉さんはお姉さんでも、私は桃ちゃんの半分だけお姉さんだもの」
「……それは、どういうことっすか?」
「そのまんまの意味よ。私と桃ちゃんは『種違い』なのよ。――だから苗字も違うし歳も10個離れてるの」
「なぁるほど、そういうことだったんすね!」
と、すんなり理解できたのはこの世でおそらくは美織だけだろう。一方で僕はまだこの事態を飲み込めてはいない。飲み込むには咀嚼力も胃の容量も消化液も足りなすぎる。
でも確かに、この姉妹をよく見たらそこそこ似ている顔のパーツがある気がするし、タイプは違うけれど性格面での押しの強さは似ている。そういう意味では半分姉妹と言われても少し納得がいく。
「あんまり女子高生の妹の前で『種』とかそんなこと言っちゃダメよね。ちょっと自重するわね」
「……別にいいわよ、お姉ちゃんがそういうとこオープンなのは今に始まったことじゃないし」
「あらぁ、しばらく見ないうちに桃ちゃんも大人になったのね。もしかして男でも出来た?」
「……出来てない」
桃子が柚香さんをクッと睨むと、それ以上踏み入るのは良くないと思ったのか柚香さんは黙った。パッと見た感じではあるけれど、特段姉妹仲が良いわけでもなさそうだ。10歳差という年齢の違いと、たまにしか会わないという距離感が2人のバランスを絶妙に保っているようにも感じる。
「そんなに睨まないでよ桃ちゃん。私も桃ちゃんくらいのときはウブな感じだったんだから、あんまり気にしちゃダメよ?」
「………気にしてない」
見るからに桃子は調子が狂ってご機嫌斜めという感じだった。いつも僕に対しては強気であるので、柚香さんとのやりとりで調子が出ない桃子を見るのは何か新鮮な印象を受ける。
2人の会話が一旦止まると僕はハッとして、呼吸を落ち着けてから機材のセッティングを始めた。それにつられたように桃子も美織もセッティングを始めると、不思議と場の雰囲気はピリッとし始めた。
「それじゃ始めましょ、あまりダラダラしてたらスタジオの延滞料を払わないといけなくなるわ」
「そうっすね、さっさと始めるっす」
スタジオの使用時間もそれほど長くは取っていないので、今回は一発録りで進めていくことになっている。最初に演奏を録ってあとから歌をオーバーダビングしていくというスタイル。だからまだ疲労も溜まっていなくて思考も淀んでいない一発目の音出しが本当に肝になる。ここでコケると後々引きずってしまう。
準備が整ってコントロールルームにいる柚香さんから合図が送られてきた。桃子がスティックでカウントを入れると、僕は半音下げチューニングの愛機、黒いギブソン・レスポールスタジオをAaddコードの形で握り、弦をかき鳴らした。美織も大きな音で木目の美しいジャズベースを鳴らしてくる。もちろん桃子も天才的な手捌きでバンドサウンドを支えていた。
チラッとコントロールルームにいる柚香さんに視線をやると、昔と同じような眼差しで僕のことを見ていた。まるで母親のような優しい眼差しで、否が応でも昔を思い出してしまいそうだった。そして案の定、雑念が入ってしまったせいで僕はフレーズを間違えてしまった。
「……ごめんごめん、次はちゃんとやるから」
一発録りは大概の場合、一つ間違えると最初からやり直し。あまり何回も間違えていると集中力が切れてしまう。次はもっと集中せねば。僕は頬を2度叩いた。
そうやって気合を入れ直したつもりだったけれども、一度途切れてしまった集中力を取り戻すのは難儀だった。ミスがミスを呼び、それがメンバーにも伝播して、桃子にも美織にもミスが続いた。そして、いよいよレコーディングは煮詰まりそうになってきた。
「……間を取りましょ。みんな集中が切れてるわ」
そう言って桃子はスマホを持ってスタジオの外に出ていった。時間のロスはなるべく避けたいけれども、このままでは何も完成しないだろうし、多分他の皆も同じことを思っている。そう言う僕も少し時間が欲しい。
「先輩、ちょっと桃ちゃんのそばにいってあげてほしいっす」
桃子が出ていったのを見て、美織が僕に耳打ちするように小声で話してきた。
「それは、どうして……?」
「これはベーシストの勘というか第六感みたいなものなんすけど、どうも今日は桃ちゃんと演奏が合わないんすよ。もしかしたらっすけど………、いや、なんでもないっす。とにかく桃ちゃんのとこに行ってきてくださいっす」
美織にそう言われてしまったので、僕は理由がよくわからないまま桃子の後を追いかけるようにスタジオを出た。
当の本人は外の自販機の前に立っていて、何を飲もうか迷っている最中だった。
「いつものミルクティーじゃないのか?」
「そんな気分じゃない」
「じゃあお先に失礼するよ」
僕は冷たいブラックコーヒーのボタンを押して、ポケットからスマホを取り出して自販機の電子マネー読み取り部に当てがった。決済音が鳴ると同時に、ガゴンという大きな音を立てて缶コーヒーが転がり落ちてきた。
「私もそれにする」
桃子もブラックコーヒーのボタンを押した。そして僕は、彼女がスマホを取り出す前に自分のスマホを読み取り部に再び当てた。
「奢り」
「そう、ありがと」
桃子は飲み慣れないブラックコーヒーを手に取り、プルタブ開けて一口啜った。すると、いつもの仏頂面をさらにしかめていかにも不味いという表情を浮かべた。
「……あんたいつもこんなの飲んでるの?全然美味しくないじゃない」
「桃子にはまだ美味しさがわからないだけだよ」
「何よそれ、大人ぶっててムカツク」
不味い不味いと言いつつ桃子はもう一口ブラックコーヒーを啜った。今度は苦い顔をなんとか我慢している。苦味が喉元を過ぎ去ったところで、桃子は僕に一番聞きたかったことをぶつけてきた。
「昔、お姉ちゃんと何があったの?」
僕は、やっぱりかと思って肩をすくめた。そりゃ、あれだけ会うのを嫌がっていたのだから無理もない。ましてや半分だけだが血の繋がった姉のことなのだ、気にならないほうがおかしい。
変にごまかしても仕方がない。ここは正直に伝えるべきだろう。
「柚香さんは………、僕の元カノなんだ」
僕は、貯金箱をひっくり返すように頭の奥底から記憶を引っ張り出した。




