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第1話 nothing

 伊勢いせ脩也しゅうや25歳、もう少しで誕生日が来るからまもなく26歳。都内で活動する5人組バンド『Andy And Anachronism』のサイドギターとサイドボーカルを担当している。バンドのほうは最近動員数も増えてきて、自主制作のCDもそこそこの枚数が売れ始めている絶賛売り出し中というやつだ。だけれども、バンドだけでは生活が出来ないので、僕は昼間は会社員として働いている。いわゆる契約社員というやつで、なんとかバンドと両立してうまいことやっている。


 そんなある日の仕事終わり。僕は定時になると、会社のロッカーに入れてあるギターケースを取り出して練習スタジオに向かった。週末にライブが控えているので、その仕上げといったところだ。


『―――京王井の頭線 人身事故のため遅延』


 駅に着くなり目に飛び込んできたのは電光掲示板にでかでかと表示された『遅延』の文字。これでは練習にはまず間に合わない。とにかくメンバーに遅刻する旨を伝えようと、僕はスマホを取り出して電話をかける。かける先はバンドのボーカリストでリーダーの津島拓つしま たく、大学時代からの同級生でバンドの発起人でもあった。


「もしもし、たく? 井の頭線遅延してて、練習に間に合――」


『お前いい加減にしろよ、遅延だかなんだか知らないけれど練習する気あんのか?この間もその前もいつもいつも遅刻ばかりじゃねえか』


 拓は虫の居所が悪かったのか、電話越しでもわかるくらい怒っていた。


『なんのために俺がこの時間に練習セッティングしてやってると思ってんの?』


「そ、それはごめん。僕の仕事が終わるのがこの時間だからだよね。申し訳ない」


 うちのバンドメンバー5人のうち、会社員として働いているのは僕だけだ。他のメンバーはアルバイトをしているので、僕に比べると時間の融通がきく。それゆえ、バンドの練習時間はいつも僕の都合に合わせてもらうようになっている。


『それだけじゃねえ、ライブだってそうだ。お前のせいで本数こなせないし、おまけに遠征だって出来やしない』


「本当に申し訳ない。みんなに迷惑をかけてしまっているのは重々承知している。でもそれは、大学を卒業したときにメンバーみんなに了承してもらっただろう?」


『あの時と今じゃ事情が違うんだよ。………もういい、お前はもう来なくていい。クビだ』


「そんなクビだなんてあんまりだ! 第一、僕がいないとバンドは………」


『お前のギタープレイなんて中学生でも弾けるような事しかやってねえじゃんか。歌は俺で十分だし、お前なんて最初からこのバンドには不要なんだよ』


 突然の戦力外通告。反論する余地もなく拓から一方的に電話を切られてしまった。僕は何度も拓や他のメンバーに電話をかけ直すけれども、当然のように着信拒否。呆然とした僕は頭が真っ白になって、ほぼ意識などないような状態でいつの間にか自宅にたどり着いていた。


 確かに難しいフレーズを弾くようなギタリストではないし、拓に比べたら歌唱力という点でも見劣りする。でも、間違いなくバンドのために尽くしてきたわけであって、突然クビにされてしまうのはショックである。


 ……もう、いい年だしバンドをやるのはやめにしたらどうだ?という、神様からのお告げなのかもしれない。それならばすっぱりバンドを辞めて、真っ当に働いて生きていくことにしよう。

 そんな感じに自分を納得させながら一夜を過ごした。幸い、もうすぐ仕事の方も契約更新の時期。3年間真面目に働いてきたわけだし、正社員に登用してもらえる可能性も濃厚だ。神様もそこまで残酷ではない。


 そう思っていたのも束の間。


 バンドをクビになってから一週間ほどしたあと、会社で上司に呼び出された。僕はついに正社員登用の話かと思ってウキウキしていたけれども、ミーティングルームで席についた上司の重苦しい顔を見るなり、そのウキウキはどこかへ飛んでいってしまった。


「伊勢くん、まもなくウチで働いて3年になるね?」


「………はい、おかげさまで」


「それで、大変言いにくい話なんだけれど―――」


 そこから先は細かく覚えていない。ただざっくりと『会社の業績が悪いから僕は来月いっぱいで契約終了』ということだけは分かった。


 要するに、クビ。


 伊勢脩也、まもなく26歳。

 バンドも、仕事も失ってしまった。

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