007
「これが雄吾先輩の家っすか。大きいっすね! 門と玄関の間に庭があるっす!」
純和風の高木邸の門の前に立つ葵は、今までで一番のテンションで言った。
瓦葺きの二階建て。車が二台停められるガレージに、ガーデニングに凝った可愛らしい庭。産まれてこのかたアパート暮らしの彼女にとって、一戸建てと言うだけでも珍しいのに、シャッター付きのガレージや、しっかりと手入れされた庭と言うのは憧れを抱くには十分な物であったようだ。
「そうか?」
それに対して、雄吾は何とも言えない表情で応える。大きいと言っても、周囲の家と比べて特別に敷地が広いわけでも、絢爛豪華と言うわけでもない。この家で生まれ育った雄吾にしてみれば、普通である。
と言うか、平均的な日本人を意識して作られている家は、むしろ窮屈とすら言えた。油断してあるくと、襖に良く頭をぶつけるのだ。
「ご家族は何の仕事をしているんですか? やっぱり、これくらいの家を建てるには、悪いことをしなくちゃ駄目なんすかね?」
「家の親を悪人にすんな。公に認められた仕事をしている」
滅茶苦茶な事を言い始める葵に溜め息を吐く。確かに大きな一軒家だが、常識外れと言う程ではない。あくまでも平均的な一軒家である。これで悪事に手を染める必要があるのなら、どれだけの日本人が犯罪者として生きているのだろうか。
因みに、弁護士だとは人に言わない。世の中には頭の悪い人間も大勢いて、そう言った人間の大半は、世界が自分の為にあると考えている。小学生の頃、雄吾は父親の職業を言ってしまったが為に、そんな教訓を得る破目になった。
葵はオネイロスについて詳しく説明してくれたが、それとこれは話しが別だ。そもそも、まだ葵の言葉には裏付けがなく、信頼や信用と言う点においては話しにならない。なんとなく長い付き合いになりそうではあるが、わざわざ今、説明する必要性は感じない。
「それで? 見るだけで良いのか? それとも怪しい呪文でも呟くのか?」
自分の家の前で間抜けに立っているのもどうかと思い、雄吾は話しを元に戻す。あまり長いこと二人で外にいると、近所のおばさま方の噂になりかねない。
「ああ。はい。場所がわかれば十分っすよ。いつも、いつ頃に寝るんスか?」
「十一時には寝てるな」
「高校二年生の就寝時間にしては早いっすね。健康思考っすか?」
「まあ、そんな所だ。ただ都合を合わせて貰うんだ、葵の言う時間でも問題ないぞ」
「いえ。それこそ問題ないっす。私も美容と健康の為にそれくらいには寝るっす」
「そう言うものなのか?」
「そう言うものっす。女子は色々と大変っすよ?」
葵の言葉に思い出すのは、やはり百合だ。雄吾の中の年頃の女の子像は完全に彼女で固まっている。そんな彼女は割と不規則な生活をしている。少なくとも早寝早起きとは無縁だ。それに健康や美容に気を使っていると言うイメージもない。化粧台に向かうよりもリビングでゲームをしている時間の方がずっと長いし、家事全般も得意と言うわけでもなく、女子力の低い姪であると、今更に思うのだった。
目の前の葵も、どちらかと言えばボーイッシュな感じで、あまりそう言ったことに気を使う風には思えないので、その台詞は意外と言えば意外だった。
しかし冷静に考えて見れば、ボーイッシュと言うのは別に男の恰好をすることでもないだろう。実際、女子らしからぬレベルの単髪ではあるが、葵はそれを愛嬌と言うか個性としてしっかりと自分に落としこんでいる。彼女の顔を見て、男と思う奴はいないだろう。おかしいと笑う者もいないだろう。普通であったら違和感を覚えさせる髪型を、こうも自分の物にすると言うのは、相当の研究が必要だろう。
雄吾には良くわからないが、ワンピースタイプの珍しい制服も一年生だと言うのにしっかりと着こなしている。ダサい学校指定のサブバックにぶら下がるヌイグルミや無数の缶バッチも、あまり女々しくなく、かつ彼女の雰囲気にマッチしている。
美人と呼ぶには子供っぽいが相生葵は客観的に見て可愛い後輩であった。
「これが、女子か」
口調以外は可愛らしい後輩を見て、自分の姪っ子の将来に不安を抱く雄吾。一緒にランニングしたり、筋トレしたり、ゲームしたりしている場合じゃあない。彼氏とか、出来るんだろうか?
「え? なんなんっすか? その台詞。今まで女子と思われてなかったっすか?」
「いや。葵は可愛いって話しだよ。うん」
「嬉しくない! どうしてそんな悲しそうな眼で私を褒めるんスか? ねえ!」
と、珍しく葵が突っ込みに回っていると、「ちりーん」と鈴の音がなり、高木家の玄関が開いた。中学時代の真っ赤なジャージを着た百合が洗濯籠を持った姿が目に入る。左手はジャージの上着に突っ込んで腹をかいていた。口には好物のスルメイカ。
「お、おっさん、お帰り」
夢は雄吾に気が付くと、腹から手を抜いてハイタッチを求める様に高々とそれを掲げる。
「おっさんはお前だ」
満足げに笑う夢に突っ込みを入れ、大きく溜息を吐く。
姪っ子の将来に対する不安もあるが、
「って、誰? その子? 誘拐?」
来るであろう当然の質問と、
「おっさんって、やっぱり年齢詐称っすか?」
予想していた馬鹿な質問に対する溜息だった。
「百合。こいつは相生葵。後輩。本を貸してやる約束をした。葵。あいつは黒井百合。姪。俺が鰹なら、あいつは鱈だ。波の家で栄螺と益男と一緒に暮らしているんだ」
まともに説明するのも面倒くさいと、雄吾は面倒臭そうなのを隠さずに雑に答える。
「はあ。読書仲間って奴っすか。あんまり本とか読みそうな子じゃあないけどね」
「何で月曜日を憂鬱にさせる家族で説明するんスか。いや、わかりやすいっすけど。あれ? 姪? 歳の差があんまりないように思うっすけど……」
雄吾の説明が的確だったのか、二人の性格がいい加減なのか、釈然としない風でありながらそれ以上の追及は互いになかった。
「つーわけだ。本を持って来るから待ってろ」
都合良く、オネイロス関係の話しもキリが良かった。このまま帰しても問題ないと雄吾は判断する。伊織がいる時に連絡先の交換も済ましているので、問題があれば後から聴けばいい。
「え? 私は別に本なんて…………あ、はい。了解っす」
余計なことを言いそうな葵を眼力で黙らして、雄吾は自宅の門を潜った。洗濯物をしまうべきか、葵に話しかけるべきか悩んでいる百合の横を通って玄関に入ると靴を脱ぎ、二回の自室へと向かう。
部屋に入ると、筋トレの道具になりそうな重さのサブバッグを机の上に置き、本棚に向かう。本に関しては雑食なので、あまり統一感のない背表紙が並んでいる。堅苦しい哲学書もあれば、教師に勧められた英語の小説、翻訳されたTRPGのルルブ、変わった所では絵本もある。本棚を見れば人となりが分かると言う人間も世の中にはいるようだが、雄吾の本棚を見てその人はどんなプロファイリングをするだろうか?
そんなことを考えながら、最終的に雄吾はTRPGのリプレイ本を手にした。最近下火になりつつあるTRPG業界の為にも、若い女性の参加者は多いに越したことはない。男なんて単純な物だから、可愛い後輩が入るとなればゲームも盛り上がるだろう。単純な打算だった。
「しかし、男は単純か……。これを女にしたら、凄まじい非難を浴びるんだろうな」
果たして平等とは何なのか。差別、区別、分別。それらの差異と境界線は? どうでもいいことを考えることもなく、雄吾は三冊の本を手にして部屋を後にする。
廊下に出ると、きゃっきゃっと騒がしい話声。階段を下りていくとその声は次第にはっきりとして来る。もっとも、誰の声かなんて考えるまでもない。
「じゃあ、本当に高校生なの? 信じられない」
「うん。本当におっさんの風格があるもんね」
「ちっちゃい頃からそうなの?」
「ちっちゃい頃なんてあったかな? アルバムとか見る?」
「見る見る!」
葵と百合は五分もしない間に随分と仲好くなっていた。玄関の三和土で雄吾を肴にして楽しそうにお喋りをする姿は、とても初対面同士とは思えない。
思えば、葵は単身で二年生のフロアに来ていた。上級生の教室を訪れると言うのは中々に抵抗があると思うが、全然臆している風ではなかった。その後も、異性の先輩と堂々と会話をし、雄吾と二人切りで下校している。人見知りしない性格なのだろうか?
何にせよ、仲が良いのは悪いことではないだろう。
そんなことよりも、雄吾には一つ気がかりになることがあった。
「おい。葵」
「あ。お帰りなさいっす」
「本を持って来たんだが、一つ訊いて良いか?」返事を待たずに訊ねる。「お前さ、今、『なんとかっす』って言ってなかったよな?」
すると、葵は馬鹿なことを訊くなよ、と言わんばかりに溜め息を吐き、肩を竦める。妙にその仕草が堂に入っている。
「そりゃあ、先輩と話す時は敬語を使うっすよ。百合ちゃんはタメだからタメ口っす」
が、回答は凄まじくアホな物だった。『~っす』と語尾に付ければ敬語になると思っている奴を、雄吾は始めて見た。冗談かと思い、雄吾はやれやれと言わんばかりの彼女を見て、そこに嘘偽りがないことを知った。
こんな奴に師事しているのかと、悲しくなった。
初夢はここでおしまいです。




